タートルネック
1
渡邊はシングルベッドから飛び起きた。額にはうっすらと汗がにじんでいる。別に悪夢を見たとか、うなされていたとかいうわけではない。ただ今が夏だったからだ。
カーテンで日光を遮っているにもかかわらず、外ではギラギラと猛暑の気配がしていてげんなりする。いまだって冷房を入れて、布団も反対側が見えそうなほど薄いシーツをかけているというのに寝汗をかいてしまっている。
渡邊はとりあえずベットから這い出る。特には予定のない、平和な1日であったので、午後まで寝てしまった。昨日は22時には寝た。明日は部屋を片付け、買い物に行き、ゆっくりと貯めていたドラマをみるぞと意気込んで眠りについたはずなのに今ではそのどれもやる気が微塵もわかないから困っている。
少し視線を下にやると空いたペットボトルが転がっている。少し屈み、腕を伸ばしてペットボトルを鷲掴みにする。パリっ、と繊細な音が鳴るが、音だけが繊細で、カラのペットボトルは丁重に扱う必要はない。台所に向かい、流し台に放り投げる。
そのまま冷蔵庫からオレンジジュースと定期的に買い足してあるアイスを取り出そうとする。冷蔵庫中段に堂々と鎮座している2リットルのジュースを指2本でつまみ取り、下段からはアイスを、取ろうと凍りついていて中段に比べて若干や開きにくい引き出しを開ける。「さぁ〜て、アイスは、と。」自然と声がこぼれた。
しかしいくら探せど、ない。
小まめに買い足してストックしてあるバニラアイスが。
とはいえ、さほど驚くことはなかった。そういえば、と思っていた。昨日も朝、寝起きにバニラアイスを食べたが、その時にはすでに残り一個となっており、明日買い足そう、と呑気に考えていた。アイスの買い出しに行くことも加味して昨日は早く寝たのだった。
まだ寝ぼけていたのか、すっかりそのことには忘れていた。
早速、渡邊は近くの業務スーパーに買いに行くこととした。徒歩10分という、近いとも言えるが、帰りに重い荷物を持って帰るには遠い距離だ。
しかしまぁ、朝の、いやもう昼か。昼の散歩と考えれば少しぐらい汗をかくことは許容しよう。どうせ帰りはアイス食べながら帰ってくるんだし。寝巻きのまま、黄緑色のサンダルを乱暴に履き、渡邊は自宅のドアを開けた。
2
上からの日差しが銃弾の雨のように渡邊の体を射止めた。
この暑さの中、外に出ようと考えた僕がバカだったな、と後悔するがすでに4分歩いた所まで来てしまい、引き返すのはもったいなかった。だが幸いに、この先は川沿いの道で比較的日陰も多い。なのでこれまでの暑さほどではないだろう。
前から人が歩いてくる。暑さで視界までやられてしまったのか、近くに来るまでその人の輪郭しか分からなかった。
川の中に目を落とすと、小さな魚、(メダカよりはでかいのだろうが)がひょろひょろと弱々しく水を尾ひれでかいていた。
言葉遊びをしたかったわけではないが、その中にいわかん、いわか?
いや緑色の亀の甲羅だ。暑そうに首を伸ばして水面から顔を出しているのが可愛らしい。
観 察している間に前の人物が近くまで歩いてきた。
渡邉は目を疑う。暑さで頭イカれたか?俺がか?いや相手が、だ。
なぜこの8月の酷暑の中、タートルネックのセーターを着ているのだ。しかも性別の分かりにくい、おそらく男だろうが、は汗一つかかずに前方一点だけを見つめてこちらに向かってくる。
そして通り過ぎる際、こちらに一瞥をくれ通り過ぎていった。世の中には特殊な人間も居る。特に春にかけておかしな人間も何処からか湧いてくる。
そのことについて考えすぎて頭が熱くなってきた。早くスーパーへ向かわねば。
3
どういうことか。スーパーに入店した。そこまではいい。いや良くはない。入店する前、駐車場にて買い物を終えた母親と子供を目撃した。仲睦まじい親子というには無縁な、氷山の塊をそのまま頭にのせたような無表情で自分の車に向かっていった。
子供なのにそんなに無表情でおたくの教育はどうなっているんですか、と聞きたいわけでもない。なぜ親子そろってクソ熱い中タートルネックを着てるんですか?と聞きたい。
その異変は駐車場だけではない。店内を見渡してみるとタートルネックを着た人間しかいない。
買い物カゴを持っているタートルネックに、カートを押しているタートルネック。店員までも、品出しをしているタートルネックに、遠くにはレジ打ちをしているタートルネック。
酷く困惑した渡邉は思わず近くを通った女に思い切って尋ねてみた。「どうしてみんな、タートルネックの服を着ているんですか?」
そうすると女は眉をピクリと動かし、「まぁ、そういうものですから。タートルネック。」
そのまま颯爽と生鮮野菜のコーナーへ向かってしまう。
正面切って「そういうもの」と言われてしまうと反論はおろか、追加で質問することもできない。渡邊は唇を尖らせながらも、アイスクリームの棚の列へ向かうことしかできなかった。
またまた少し凍りついているアイスの入った、ショーケースのスライド式の扉を開く。
バニラアイスを一つだけ取り出し、かごに入れた。この暑さに何個も持って帰ると溶けてしまうと考えたからだ。それにタートルネックの疑問が頭のほとんどを埋め尽くし、渡邊の思考能力を奪っていた。他の買うべきものなど思い出せず、アイス一つだけをレジへ持っていく。
無愛想な店員がレジ打ちをしている。この列の店員ももれなくタートルネックだ。というかタートルネックではない人がいない。
「百三十九円です。」まさにこのアイスのような冷たさの声でこちらに払うべき額を告げる。
財布から百円硬貨を二枚取り出し、トレーの上に丁寧に乗せる。
「あの、ちなみに。」
「なんでしょうか?」
「どうしてタートルネックを?」
「どうしてと言われてしまうと困ります。そういうものですからね。」
そういうものなのか。ひょっとして僕の知らないだけでクールビズタートルネックと言うものが日本で主流になっているのかもしれない。少し前に、現場で建築をしている人が、扇風機が内蔵されたジャンバーみたいなのを着ていた。その類の可能性もある。
店員からお釣りと木製のスプーンを受け取り、店をあとにする。
4
ポケットからおもむろに携帯を取り出すと友人から電話が何件も来ているではないか。
というか今日まだ携帯開いてないな。
最初にかけてきた九時間前って、まだ朝の四時じゃないか。どんな用件なんだよ、確認するため折り返してかけ直す。
友人はコールを3つと待たずにすぐに出た。
「お前今どこにいる!?」鬼気迫る声が携帯を通して耳に飛び込んでくる。
「スーパーからの帰りだけど。そういや聞いてくれよ。」
「まさかタートルネックと言わないよな!?」
「良くわかったな。最近のトレンドか?センス無いよな。」
「お前絶対にソイツらを刺激するなよ。その様子じゃあ知らないようだが、今日の夜明けに宇宙人が侵略しに来た。」
「は。」
「そいつらに話しかけたか?」
「ちょっとな。なんでタートルネックなんですか?ってだけだ。ってか宇宙人ってなんだよ。」尋ねるも友人はそれには答えない。
「『暑くないですか?』とは聞いてないよな?」
「聞いてないけどお前から聞かなければ言う可能性はあったが。」
「絶対に聞くな。」
どうやら友人の説明によると明け方に日本上空に未確認飛行物体がやってきて、その床部分が開き日本全土に宇宙人がばら撒かれたらしかった。
そしてその宇宙人はタートルネックを着た人間そっくりに化け、普段は無害なのだが「暑くないですか」と聞かれた途端に暴走し、質問者を捕食する、らしい。
にわかには信じがたいが、こんなにタートルネックだらけの現状をみるとあながち嘘とも思えない。
「スーパーはもうほとんど全員と言っていいほどタートルネックで溢れてたけど。」
電話越しに舌打ちが聞こえてくる「クソ!この街ももう乗っ取られる!この国に逃げ場はどこにも残ってないんだ!」
「な、なんでそんなに侵略されてるんだよ。聞かなければいいだけだろ。」
「人は真夏にタートルネックを着ている人間を見ると、まぁ厳密には人間ではないんだけど、そんなことは置いといてだな、」
「着ている人間を見ると聞かずにはいられないんだよ。人間の好奇心は業が深い。」
「それ以外は無害なのか?」
「そうだな。お前も見た通りだが、なぜか一般社会に溶け込もうとしている。とりあえずお前は家に帰れ。そしてテレビで何らかの発表があるまで大人しくしてろ。俺も小まめに連絡する。」
「あぁ。わかった。その通りにする。取り敢えず外は危険だから急いで家に帰るとするよ。」
「気をつけろよ。」その言葉を最後に電話が切れた。
5
こうしてはいられない。急いで帰って、もう引きこもろう。今自転車で通り過ぎていった人もタートルネックだった気がしなくもない。気にしたら終わりだ。聞いたら終わりだ。
足早に駆ける。ただ家だけを目指す。そういえばいつの間にか手に持っていたアイスがなくなっている。頭が混乱していてどこかにおいてきてしまったのだろうか。だが今さら探しに戻るわけにはいかない。
行きにも通った、川が見えてきた。そして目の前には黒い塊が歩道の中央あたりに転がっていた。その横を高速で通る。それももう後方に過ぎ去っていく。渡邊は急いでいた。無視して家に帰ろうとしたが、どうしても黒い塊が気になってしまったのだ。踵を返し、引き返して一分くらいの黒い塊まで戻る。
あぁ。亀だ。行くときにも見た。水面から顔を出していた亀だ。
それが今は路上にいる。この猛暑の中、熱せられたコンクリートの上にいては干からびてしまう。
甲羅を両手でもち、川に返してあげる。とても甲羅は乾燥していた。
パタパタと抵抗しながらも明らかに水分が足りていない亀に思わず話しかけてしまった。
「こんな路上より川のほうがいいよな。暑くなかったか?」
「あ。言った。」亀が口をカパッと開き発音した。
「え?」
「暑くはないですよ。」
亀は首を反転させ、渡邊の方を向き、開いた口をそのまま2メートル程の大きさまで開けた。急に口だけがアンバランスに大きくなり、その不気味さに戦慄が走る。真夏だというのに、寒い。
渡邊は声を出すことすら忘れて立ち尽くした。
目の前には真っ赤な口内が広がっていた。




