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王太子殿下、逃亡。  作者: 花日


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7.さらなる疑惑

「言い掛かりよ!」


 王妃は叫んだ。だがその声が、評議の間のざわめきを抑えることはなかった。


「全ては王妃様の企みということか……」

「だが、なぜライオネル様を排除する必要がある?」

「ライオネル様とて、王妃様のお子であろう」


 皆が眉を寄せ、口々に疑問を投げかける。


 王妃は周囲を睨み回し、口を閉ざした。

 ただ、扇子を握る手だけが震えていた。


「それに関してですが、興味深い書簡があります」


 ギルバートの言葉が、ざわめきを止めた。


「ノエル様の懐妊が判明した頃から、産後間も無い頃までに送られた書簡です」


 そう言って、ギルバートは三通の書簡を手に取った。


「まず、最初の書簡ですが、符牒は『紫紺の龍は秘密を飲み込む』。追伸には、『我が王も王妃様のご懐妊を喜んでおられます』とあります」


 ギルバートは二枚目の書簡へ目を移した。


「次の書簡です。符牒は『案ずるな、迷える子』。追伸は、『祖国から出産に向けて医師団を派遣します』」


 そして、最後の一枚を掲げる。


「最後の書簡です。符牒は――『男は頂を目指した』」


 ギルバートは、わずかに間を置いた。


「追伸には、『王子殿下のご誕生をお喜び申し上げます』とあります」


「秘密を、飲み込む……?」


 誰かの呟きが、評議の間に静かに響いた。


「……まさかノエル殿下は……」

「いや、あり得ぬだろう」

「だが符牒の意味を考えると……」


 誰もが同じ可能性に思い至っていた。

 だが、誰も、その先を口にすることはできなかった。


「ノエルの出生記録と、閨の記録を持ってこい!」


 王が声を張り上げる。


 ほどなくして、侍従が二冊の帳面を抱えて戻ってきた。


 一冊はノエルの出生記録。

 もう一冊は、王と王妃の閨事を記した記録だった。


 王はまず、ノエルの出生記録に目を通した。


『二ヶ月の早産』

『健康状態に問題なし』


 王が記録を目で追う。


「……この記録を書いた医師は?」


「……ヴァルネ王国から派遣された医師にございます」


 侍従のその言葉に、評議の間が再び静まり返った。


 王は何も言わず、もう一冊の帳面を開いた。


 そこには、王と王妃が閨を共にした日付が記されている。


 王の指が、ひとつの日付の上で止まった。


「……違います!」


 王妃が声を上げた。


「ノエルは間違いなく陛下のお子でございます! 陛下とて、産まれたばかりのノエルを抱き上げて、『小さいな』とおっしゃっていたではありませんか!」


 王妃が、叫ぶように言い募った。


「……ああ……私は確かに、産まれてすぐのノエルを抱いた。そのとき、早産だと聞かされて……小さいが、元気で良かったと……」


 王はそこで言葉を止めた。


「だが……産まれたばかりの赤子を抱いたのは、ライオネル以来八年ぶりだった」


 そして記憶を辿るように、ゆっくりと続ける。


「ライオネルと比べて、本当に小さかったのか……? いや……赤子など、皆小さいだろう」


 王は再び帳面へ目を落とした。


 最後の閨の記録より前、三ヶ月ほどにわたって記録が途切れている。


「……ここは、なぜこんなに空いている?」


 王が眉を寄せる。


「この頃は、サイブル帝国の皇帝陛下が代替わりされた時期にございます。陛下は即位式へのご出席に加え、新皇帝陛下との外交交渉にも臨まれておりましたので、三ヶ月ほど王都を離れておられました」


 側近が答えた。


「……王妃は?」


「王妃様は、王都に残られていたはずです」


 最後の閨から出産まで、二ヶ月の早産ならば記録と符合する。


 だが、もし早産でなかったのなら、ノエルを身籠ったのは最後に閨を共にした時より、さらに二ヶ月ほど前になる。


 王は、先ほどの空白を思い返した。


 王が不在だった三ヶ月間、王妃は一人王都にいた。


 ――では、ノエルは誰との間にできた?



 ――実のところ『ノエル殿下は本当に陛下のお子か?』という噂は、随分前からまことしやかに囁かれていた。


 それというのも、ノエルが王の色を何一つ継いでいなかったからだ。


 金髪碧眼の王と、藍色の髪に深い紫の瞳を持つ王妃。それに対してノエルは、黒に近い藍色の髪に灰色の瞳だった。


 もっとも、ライオネルとて髪は王妃と同じ藍色で、王と同じ色を受け継いだのは瞳だけ。


 それに王家には、代々他国からの輿入れもあり、さまざまな国の血が混じっている。どのような色が現れたとしても、それだけで王妃の不貞を断じることはできない。


 だからこそ、噂は噂の域を出なかった。



 重い沈黙が場を包む中、へたり込んだまま俯いていたライオネルが、ぽつりと呟いた。


「僕も、生まれたばかりのノエルに会いました。本当に小さくて、柔らかくて……。壊れてしまいそうな小さな手に、恐る恐る触れた覚えがあります」


 それまで一度もライオネルに向けられることのなかった王妃の視線が、初めて彼を捉えた。


 そしてぱっと顔色を変えると、


「そうでしょう? わたくしも、あまりに小さなノエルを見て、この子はちゃんと大きくなるのかと不安になったものですわ」


 しみじみと思い出すように頷いた。


「だけど……ノエルはその後すぐにヴァルネへ預けられてしまって……戻ってきた時には、すっかり元気になっていて……だから僕は、ノエルが小さく産まれたことを今まで忘れていました」


 ライオネルの言葉に、何人かがはっと顔を上げた。


「そういえば、そうでしたな……」

「ああ。確か、戻られたのは一歳になった頃で……」

「そうだ。一歳のお披露目に間に合うのかと、気を揉んだものだ」


「……一年近くも、母国に?」


 ギルバートが眉を寄せる。


「ああ。ノエルの療養のため、母国に預けたい。出産に立ち会った医師のもとで療養させたほうが安心だ、と、王妃に頼まれてな。私が許可を出した」


 王は苦い顔で頷いた。


「……そのとき、王妃様は?」


 ギルバートが問いかける。


「王妃は確か……ノエルに付き添って一度ヴァルネへ戻ったが、ほどなく帰ってきたはずだ」


「記録を調べれば、確かなことが分かりますわ」


 マリアベルが声を上げた。


 すぐさま、王妃とノエルの滞在記録が調べられた。


「これによると、王妃様とノエル殿下が出国されたのが、殿下がお産まれになってちょうど三週間後のこと。そして王妃様は、ふた月ほどでお帰りになっていますね」


 ギルバートが記録を読み上げる。


「王妃様の侍女から誕生を祝う手紙が届いた、わずか五日後には、ヴァルネに向けて出発されたのですね」


 マリアベルは顎に手を当てた。


「侍女に帰国の連絡はされなかったのでしょうか?」


 すっと王妃に視線を送る。


「返事を返すどころか、文を読む暇すらなかったわ! ……一刻も早くノエルを良い環境に置きたかったもの!」


 王妃はマリアベルを睨みつけた。


「……それほどお急ぎだったのですね」


「当然でしょう!? 子供のいないあなたにはわからないでしょうけれど、母というものは子供にとって最善の道を選ぶものなのよ」


 王妃は鼻を鳴らす。


「……そうですね。私には子がおりませんから、母の気持ちはわからないのかもしれません。ですが――産まれたばかりの、それも二ヶ月も早く産まれた赤子を、長時間の馬車の旅に? それほど小さな赤子ならば、長旅そのものが負担になったのではありませんか?」


「……! そっそれは……」


 王妃は言葉を失った。


 その様子を見て、ギルバートが静かに口を開く。


「赤子には辛い旅だったでしょう。それでも王妃様は、ノエル殿下を産後わずか三週間で母国へ預けることを選ばれた」


 ギルバートは眼鏡のブリッジを上げた。


「その後、ノエル殿下がどのように成長されたのか――」


 一度言葉を切り、王妃へ鋭い視線を向ける。


「それを見届けたのは、ヴァルネ王国の者たちだけ……ということですか」


「……ギルバートよ、わかりやすく言ってくれ」


 王が頭を抱えながら声を上げる。


「失礼いたしました。簡単に申し上げると――」


 ギルバートは小さく息を吸った。


「ノエル殿下が本当に二ヶ月早く生まれたのか、我々には確認する術がない、ということです」


「……!」


 王は顔を強張らせた。


「ノエル殿下が二ヶ月早く産まれていたのか、一歳までの成長を見ていれば、ある程度は判断できたでしょう。しかし、その間、ノエル殿下を直接見ていたのは――」


「……ヴァルネの医師や侍女たちだけ……か」


「ええ。その者たちの証言を、我々はどこまで信用できますか?」


「信用……するのは難しいな」


「陛下!!」


 王妃が悲壮な声を上げる。


「憶測ですわ! ノエルは間違いなく、陛下のお子です!」


「……」


 王は腕を組んで黙り込んだ。


 そして、


「……その頃、王妃の身辺にいた者を調べろ」


 低く呟いた。


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