61.受け入れ準備
「捕虜の受け入れ準備、進んでいるかしら?」
マリアベルは憲兵隊の詰め所へ顔を出した。
憲兵隊は、主に軍内の取り締まりや拘留を担当しており、捕虜の管理も彼らの任務の一つだった。
「はい。牢の準備、それから食糧の確保も済んでおります」
憲兵隊長が胸に手を当て、恭しく答えた。
「あとは怪我をしている者もいるでしょうから、薬師室と救護班に応援を願おうかと」
「……必要かしら?」
マリアベルは思わず呟いた。
ギルバートは今も怪我で苦しんでいるかもしれない。勝手に攻めてきた敵にまで、こちらが手当てをしてやる必要があるのだろうか。
「し、しかし……通常は捕虜にも治療を施しておりますが……」
「……そうね。では慣例通りに」
「承知いたしました……」
「ああ、それと、捕虜の中にヴァルネの王太子がいたら、私の元へ連れて来てちょうだい」
「へっ?」
「頼んだわね」
にこりと微笑むマリアベル。だが、その瞳は凍えるほどに冷ややかだった。
「……」
マリアベルの微笑みを前に、部屋に重苦しい沈黙が流れる――。
「マリア……じゃなくて王太子妃様!」
その空気を壊したのは、ドアからひょっこりと顔を覗かせたライオネルだった。
「薬師長に許可を取りに行こう!」
「は? どうして私が……!」
「いいからいいから。ほら、行こう!」
ライオネルはそう言うと、渋るマリアベルを無理矢理部屋の外へと連れ出した。
――
「なんなのよ、もう! 私やることが沢山あるんだけど!」
ライオネルに押されるように薬師長室へと向かいながら、マリアベルは声を荒げた。
しかしライオネルは、苦笑いを浮かべながらも足を緩めようとはしない。
「いいから、いいから」
文句を言うマリアベルを宥めながら、ライオネルは有無を言わせぬ勢いで彼女を薬師長室の前まで連れて行くと、躊躇いもなくドアを叩いた。
「薬師長ー! お邪魔しまーす!」
一声かけると、返事も待たずに勢いよくドアを開ける。
「……おやおや、懐かしい組み合わせですな」
薬師長は急な来客に驚いた様子を見せたが、二人の姿を認めると顔をほころばせた。
「はは、そうだね。急に来てごめんね。悪いんだけど薬師長、何か気分が落ち着くお茶、もらえない?」
「……」
薬師長は黙り込むマリアベルの顔をちらりと見ると、心得たように頷いた。
――
「どうぞ」
薬師長が差し出したのは、リンゴを思わせるほのかな甘さと、爽やかな薬草の香りが漂う温かいお茶だった。
「レモンバームとカモミールを少しブレンドしましてね。緊張がほぐれますよ」
「……ありがとう」
お茶を一口飲んだマリアベルは、無意識のうちに小さく息を吐き出していた。
「……」
その様子を黙って見届けた薬師長は、微笑みを浮かべたまま一歩引いた。
「まだ途中の調合がありますので、私はあちらにおりますからね」
そう言って、少し離れた奥の作業机へと向かうと、カウンター越しに背を向けた。
薬師長が薬草をすり鉢ですり潰す、ゴリゴリという心地よい音が部屋に響き始めると、しばらくその音を聞いていたマリアベルが、そっとカップを置いた。
「それで? 私を連れ出した目的は何?」
マリアベルが視線を向けると、ライオネルは目を丸くした。
「目的? 目的なんてないよ! ただ君は、少し休んだほうがいいかなって。捕虜の受け入れは僕が担当するから、君は仕事を忘れて……」
「結構よ! 任された仕事を投げ出すようなことはしないわ!」
ライオネルが言い終わる前に、マリアベルはぴしゃりと言い放った。
「……そうは言うけど、君は今、ヴァルネの人たちに関わるべきじゃないよ……」
「どうしてよ!?」
「だって……君……ヴァルネの王太子を連れて来させて、どうするつもりなの?」
「穴を掘って埋めてやるのよ!」
「…………怖いよ」
「だって……! あの男のせいでギルバートが……!」
「うんうん。わかるよ。心配だよね。だったら君は仕事をするより、ネブラ山に行ってギルバートを探したらどう?」
「……」
マリアベルはため息をついた。
――とっくに陛下に止められたわよ。
「私が行っても何の役にも立たないわ」
「そうかな? 君が行けば穴の出口くらい見つけられそうじゃないか」
「はあ……。出口なんてあるわけないじゃない」
「どうして? だって山に穴が開いたんだよ?」
「そうよ。ギルバートは穴に落ちたの。出口なんてあるわけないでしょう? 落とし穴を思い浮かべてみなさいな」
呆れた目をするマリアベルに、ライオネルは首を傾げた。
「じゃあ、誰かが山に落とし穴を掘ったってこと?」
「まさか。そうじゃなくて、爆破の衝撃で地面が割れて……」
マリアベルはそこまで言って、ふと口を噤んだ。
――地面が、割れて?
爆破の衝撃で地面が崩れることは理解できる。だが、その下に、人が落ちるほどの空間が広がっているものだろうか。
――まさか……。
「……あるかもしれないわ。出口が」
そうぽつりと呟いたマリアベルは、次の瞬間すくりと立ち上がった。
「調べないと……!」
「何かわかったの? 僕も手伝おうか?」
「ええ! ……いえ、ライオネル殿下。捕虜の受け入れをお願いしてもいいかしら?」
「もちろんだよ」
「ありがとう。感謝いたします」
マリアベルは慌ただしく頭を下げ、部屋を駆け出していった。
その瞳には、強い決意が宿っていた。
「殿下、なかなかやりますな」
マリアベルの後ろ姿をにこにこと見送っていたライオネルに、薬師長が声を掛けた。
「そう? 僕はただ、マリアベルに薬師長のお茶を飲んでもらおうと、ここへ連れて来ただけなんだけどね」
「ほっほっほ。そういえば、昔からお二人でここへいらっしゃるときは、決まってマリアベル様がお怒りでしたなあ」
「マリアベル、怒ったらとっても怖いんだよ。でも、ここに来て薬師長のお茶を飲むと、ちょっと落ち着くんだよね」
ライオネルは肩をすくめた。
「そう言っていただけるのは、嬉しいことです。それにしても……」
薬師長はライオネルを見つめた。
「殿下も、いいお顔になられましたな」
「そうかな? 自分ではわからないけど……。前は僕、どんな顔してた?」
「そうですな……。笑っていらっしゃるときも、どこか無理をしておられるような……そんなお顔をされていましたね」
「そっかあ……」
ライオネルはお茶を一口飲んだ。
「僕、王太子じゃなくなってよかったのかも」
「ほう?」
「ギルバートを見てて思ったんだよね。ああ、僕はあんな風にはなれないって」
ライオネルは手を組むと、大きく伸びをした。
「民と触れ合うのは好きだから、王族ではいたいけど、人の思惑を探ったり、あれこれ指示を出したりするのは苦手だし。それにさ……」
ライオネルは目を伏せた。
「……僕、マリアベルに頼られたことなんてまったくなかったんだ。僕はマリアベルに頼ってばっかりだったっていうのに。だから、彼女は人に頼らない人なのかと思ってたんだけどさ」
ライオネルは小さく笑った。
「でも、違ったんだよね。だってマリアベルは、ギルバートのことはとても頼りにしてたから。……僕が頼りなかっただけだった」
「……殿下……」
「ま、そんなことにさえ、僕は気付いてなかったんだけどね」
力なく笑うライオネルに、薬師長は目を細めた。
「ですが今日、マリアベル様は殿下に仕事を頼んでおられました」
「そういえば……そうだね」
「頼り甲斐が出てきたのではありませんか? 私も頼りにさせてもらいますよ」
「ふふ、任せて!」
窓から差し込む夕陽が、ライオネルの笑顔を優しく照らしていた。




