62.動き出したマリアベル
その頃、マリアベルは足早に書庫へと向かっていた。
ネブラ山について調べるためだ。
地面が崩れて穴が開いたということは、もともと地中に空洞があったのではないか。その天井が、爆破の衝撃によって『抜け落ちた』のではないか。
そう考えたからだ。
では、その空洞は何なのか。
廃坑か。地下水路の跡か。それとも、地下の避難所のようなものか。
いずれにしても、人の手で造られたものならば、どこかに記録が残っているはずだ。
マリアベルは書庫に着くなり、古い記録を片っ端から調べ始めた。
――
日が落ちても、マリアベルは書庫を出ようとしなかった。
なにしろ、調べるべき書物は膨大だ。
この一分一秒が、ギルバートの生死を分けるかもしれない。
そう思うと、食事を取る気にもなれなかった。
「暗くなってきたわね……」
マリアベルは、卓上の呼び鈴に手を伸ばした。
侍女を呼び、書庫のランタンに火を点けてもらおうとしたそのとき、ガチャリ、と扉の開く音がした。
そして顔を上げるより早く、あたりにパッとあたたかな橙色の光が広がった。
「誰?」
マリアベルが振り返ると、そこには、火の点いた大きなランタンを掲げたアルベルトとライオネルの姿があった。
さらにその後ろには、盆に温かいスープとパンを載せた侍女が、不安げな面持ちで控えている。
「あら、ライオネル殿下。どうしたの? 捕虜のことで何かあったのかしら?」
「違うよ。君が食事も取らずに書庫にこもってるって聞いてさ」
ライオネルが歩み寄り、アルベルトもそれに続いた。
アルベルトが手にしていたランタンを、マリアベルのデスクの端に置くと、揺れる火が広げられた古い書物や地図をあたたかく照らし出した。
「根を詰めるのはわかるけれど、ギルバートが見つかる前に、君が倒れちゃ元も子もないよ」
ライオネルはそう言うと、侍女が持つ盆をマリアベルの前に置いた。
「何を調べてるのかわからないけど、僕らも手伝うからさ。……まあ、僕はあんまり力にならないかもしれないけど、アルベルトがいるから」
「お任せください。書物を読むのは得意ですから」
アルベルトはそう言うと、マリアベルが手にしていた書物をそっと取り上げた。
「あっ……」
「王太子妃様は、まずお食事をお済ませください」
マリアベルは小さく息をついた。
「……わかったわ。ありがとう二人とも。頼りにさせてもらうわね。あなたも、心配かけたわね」
マリアベルは侍女に目を向け、優しく微笑んだ。
「いえ……とんでもないことでございます」
侍女はほっとしたように表情を和らげ、頭を下げた。
――
手早く食事を済ませながら、マリアベルは自分の立てた仮説を二人に話した。
「なるほど。山の中に人工物があった可能性、ですか」
アルベルトが興味深そうに頷いた。
「ええ。根拠を示せるものはないのだけれど……」
「いえ、可能性は高いと思います。地震や爆発の衝撃で地面に亀裂が入ることはままありますが、人がすっぽり落ちるほどの穴が突然口を開けるのは珍しい。地下に何らかの空間があったと考えるのが自然です」
「随分詳しいのね」
マリアベルが目を瞬かせた。
「ええ。少し前に帝国で大きな地震があったでしょう? あれを受けて、少し心配になりまして……地質学の教授にいろいろとお話を伺ったのです」
「ああ、あのおじさんね!」
ライオネルは思い出したように、ポンと手を打った。
「……あなたもその話、聞いていたのね」
「うん。アルベルトに、国防に関係することだからって言われて、僕の名前で約束を取り付けたから、一緒に行ったんだよね。帰りに市井を覗いて……っと、なんでもないよ」
「ふーん」
慌てて口元を押さえるライオネルに、マリアベルは冷ややかな目を向けた。
「いやー、でもあのおじさんの部屋、石とか砂とかいっぱいあって、すごかったよねー」
「部屋ではなく、研究室です」
露骨に話を逸らすライオネルに、アルベルトは律儀に訂正を入れた。
――ライオネル殿下、絶対に教授の話を聞いていなかったわね。
マリアベルは息をついた。
アルベルトがわざわざライオネルの名で約束を取り付けたのも、当時王太子だったライオネルが、国を気にかけ、行動している姿を周囲に示すためだろう。
「過保護はよくないわよ」
マリアベルはアルベルトにじとりとした目を向けた。
「ええ。重々承知しました。ですから今は、方向転換しております」
「そう、安心したわ」
苦笑して答えるアルベルトと、鼻を鳴らすマリアベル。
ライオネルは二人を交互に見やった。
――なんだか、怖いんだけど!
そう思ったものの、口を挟むのはやめておいた。
「では、王太子妃様は、空洞の正体を探すためにここにいらっしゃったのですね?」
「ええ、人工物ならば記録が残っているはずだから」
ライオネルを置いて、二人の会話は続く。
「わかりました。私もネブラ山に関する書物を探してみます」
「助かるわ」
「ぼ、僕も! 僕も探すよ!」
ライオネルは慌てて手を上げた。
「ええ。お願いするわ」
◇
一方その頃、王はマリアベルの父であるグランフォード公爵マーカスを城へと呼び出していた。
「夜分にすまぬな」
「いえ。王太子殿下の件、伺いました。痛ましいことです……」
「ああ……。マリアベルは今も必死にギルバートを救う手掛かりを探しておる。だがな……」
王は苦しげに目を伏せた。
「状況は厳しいと言わざるを得ない……」
息を呑むマーカスに、王は沈痛な面持ちで言葉を継いだ。
「ギルバートが落ちた穴は、かなり深いようだ。たとえ穴から救い出せたとて、彼奴が無事である可能性は低いだろう」
「……」
唇を噛み締める王に、マーカスは何も言えなかった。
「無論、だからと言って捜索を止めるつもりはない。だが、最悪の想定をしておかねばならん」
「……ええ。国政を停滞させるわけにはいきませんからね……」
――陛下のお気持ちは察するに余りある。
父としては、ただ息子の無事を信じていたいに違いない。だが、国を担う立場にある以上、それだけでは済まされないのだ。
「……ギルバートが戻らなかった場合、新しい王太子を立てる必要がある。それでな……今日呼んだのはマリアベルのことだ」
「はい」
「私は、マリアベルを王太子妃から降ろすつもりはない」
「……それは」
マーカスは言葉に詰まった。
―― 国母を目指し、努力を重ねてきたあの子にとっては、ありがたいお言葉だろう。だが……。
「マリアベルを新たな王太子と再婚させる……と?」
「ああ」
「……なぜそうまでしてマリアベルを?」
夫を亡くして間もなく、新たな王太子と再婚する。そうすれば確かに王太子妃の座は守られる。だが、周囲の反発を招くことは避けられないだろう。
ただ、政務に通じたマリアベルが王太子妃でいることが、王にとって都合がいいだけなのだとしたら――
マーカスは目を細めた。
「其方の懸念は理解している。ただ……もしギルバートが戻らず、王太子妃の座まで失えば、マリアベルは立ち直る術を失ってしまうのではないかと思ってな。無論、マリアベルの王太子妃としての能力を惜しんでいることも否定はせぬが」
「陛下……」
「ただな……今日のマリアベルの様子を見るに、それは酷な判断かもしれん」
「……?」
マーカスはここ最近、マリアベルと顔を合わせてはいなかった。王の言葉の意味がわからず、眉をひそめる。
「――随分と愚息に心を寄せてくれていたようだ」
王は悲しげに微笑んだ。




