59.兵からの報告
マリアベルは王の執務室へと急いだ。
「陛下!」
「マリアベルか……」
王は執務椅子に腰掛け、厳しい表情で腕を組んでいた。
その前では、一人の兵が床に這いつくばるようにして頭を下げている。
ネブラ山での出来事を急ぎ報告するため、単騎で城へと送り出された兵だった。
「申し訳ございません……! 申し訳ございません……」
そう繰り返す兵の前で、マリアベルは足を止めた。
「顔を上げなさい! 何があったの!? ギルバートはどうなったの!?」
恐る恐る顔を上げた兵は、まだ十四、五歳だろうか。マリアベルよりもずっと幼く見えた。真っ赤に腫れた目には、まだ涙が浮かんでいる。
「ぼ、僕は……ギルバート殿下が指揮されていた、別働隊にいました……」
「別働隊?」
「ヴァルネ軍の戦力を削るために編成された、奇襲部隊だそうだ」
王が口を開いた。
「あやつは部隊を率いて、山の中を駆け巡り、最前線で指揮を取っていたらしい」
「なぜそんなことを……!」
――危険なことはしないでと、あれほど念を押したというのに!
マリアベルは唇を噛みしめた。
「殿下の指示は的確で、僕らは順調にヴァルネ軍を追い詰めていました。だけど、指揮官の乗る馬車に奇襲をかけたとき、中から人が飛び出してきて……」
「ヴァルネ王ね?」
「ヴァルネ王……? いえ、若い男でした。ギルバート殿下とそう変わらない歳の……」
「……? それで?」
「その男が何か喚き散らして……僕は部隊の後方にいたのでよく聞こえなかったのですが、そのあと殿下が急に『退避しろ!』と叫んで、こちらに駆けてこられて……」
兵の瞳に再び涙が浮かぶ。
「僕はびっくりしてすぐに動けなくて……その直後、ものすごい爆音がしたんです。足元がぐらぐら揺れて、地面が割れて……!」
「地面が割れた?」
「はい…… 穴に落ちかけた僕を、殿下が突き飛ばして助けてくださって……だけど、代わりに殿下が……!」
「まさか……その穴に落ちたの……?」
「はい……」
ぐらりと視界が揺れた。よろめいたマリアベルを、護衛の騎士がとっさに支えた。
「申し訳ありません……! 僕のせいで……僕の……。申し訳ありません……ッ」
涙を流しながら必死に頭を下げる兵に、マリアベルは何も言えなかった。
助けられたあなたに罪はない。自分を責めないで――そう声を掛けるのが正しいのかもしれない。けれど、マリアベルにそんな余裕はなかった。息をすることさえ忘れたように、ただその場に立ち尽くす。
「今、兵たちが必死に捜索を続けておる。ひとまず続報を待つしかあるまい」
王の言葉を最後に、その場は解散となった。
――
その夜、マリアベルはベッドの上で膝を抱えていた。
気を抜けば身体が震え、涙が溢れそうだった。
「無事に帰るって、約束したじゃない……!」
もしギルバートが見つからなければ……。
いや、そもそも崖崩れに巻き込まれた彼が、無事でいる保証などどこにもないのだ。
マリアベルは頭を振り、最悪の想像を必死に振り払った。
――もとを正せば、二人の始まりは約束だった。
ライオネルに駆け落ちをされたマリアベルが、国母になるためにギルバートを頼った。
きっとギルバートは、王太子の座を狙っていたのだろう。彼もまた、マリアベルの申し出を受け入れた。
そうして二人は、互いの目的のために手を組み、共に過ごす時間を積み重ねてきた。
ならば、彼を失うことが怖いのは、積み重ねてきた時間を無駄にしたくないからか? 国母への道が閉ざされるかもしれないからか?
いや。
――そんなこと、もうどうでもいい。
国母になんて、なれなくてもいい。
ただ、もう一度彼に会いたい。
『まったく君は……』
そう言って、困ったように目元を緩ませる彼の顔が好きだった。
マリアベルが突拍子もないことを言っても、いつも最後まで話を聞いてくれた。
どれだけ忙しくても、マリアベルを気にかけてくれていた。
「ギルバート……ッ」
マリアベルはぎゅっと自分の体を抱きしめた。
――
翌朝、マリアベルは再び王の元を訪れていた。
一睡もできず、青白い顔のまま、マリアベルは王に詰め寄った。
「私をネブラ山に行かせてください」
「ならん」
王もまた一睡もしていないのだろう。疲労の色を浮かべた顔で、それでも毅然とマリアベルの申し出を退けた。
「私もギルバートの捜索に加わります! 人手は多い方がいいはずですわ!」
王は黙ってマリアベルを見つめた。
ライオネルが出奔し、将来が閉ざされようとしていたときでさえ、余裕を滲ませていたマリアベルの顔は、今や焦りと恐怖に苛まれ、見たことがないほど憔悴していた。
「そなたの気持ちはわかる。私とて、できることならすぐにでもネブラ山に向かいたい。――だがな」
王は小さく息を吐いた。
「そなたが行って、何ができる? その細腕で、屈強な騎士たちと同じように土砂を取り除けるか? 山中を駆け回れる体力が、そなたにあるか?」
「それは……」
マリアベルは言葉に詰まった。
実際のところ、マリアベルが山へ行ったところで、大した力になれないことは、自分自身よくわかっていた。
「それでも……! 少しでも彼のそばに行きたいのです……!」
「マリアベル……」
涙を堪えて訴えるマリアベルに、王は痛ましげに眉を寄せた。
「――それでも、認めることはできぬ」
「……!」
「そなたが行けば、騎士たちはそなたの護衛にも人手を割かねばならぬ。それでは、ギルバートの捜索が遅れることになる」
王の言うことはもっともだった。マリアベルとて、頭では理解している。それでも、この気持ちを抑える術がなかった。
――ならばもう、許可などいりません!
そう言いかけた、そのとき――マリアベルの脳裏にクラリッサの言葉が響いた。
『感情に囚われると、人は正しい判断ができなくなることがあるのよ』
『そうして下した判断が、取り返しのつかない事態を招くこともあるわ』
マリアベルは、はっとした。
――私は、今……! だめね……これが感情に囚われるということなのね。……私が今すべきことは、わがままを通して彼の元に駆けつけることではないわ……。
マリアベルは大きく深呼吸をすると、真っ直ぐに王を見つめた。
「申し訳ありません。取り乱しました」
「よい。そなたにそこまで想われているのだ。ギルバートは必ずそなたの元に戻るだろう」
そのとき――
「失礼いたします! 軍の副隊長殿が先触れとして到着されました!」
王が顔を上げた。
「捕虜を連れた部隊が、間もなく帰還するとのことです。また、事の詳細について、陛下に直接ご報告したいと申されています」
「すぐに通せ」
王はマリアベルに目を向けた。
――落ち着いて報告を受けられるな?
マリアベルは、その視線の意味を察し、力強く頷いた。




