57.侵入者の目的
侍従の先導で牢へと向かいながら、マリアベルは侵入者について考えていた。
この時期、このタイミングで現れたのだ。ヴァルネに関係する者と考えるのが妥当だろう。
だが、たった三人で城へ忍び込み、一体何をしようとしていたのか。
懸念していたとおり、王妃クラリッサの奪還が目的だったとしたら――火災を起こし、警備が手薄になった北の塔に侵入する。確かに、兵の配置を見直していなければ、それも可能だったかもしれない。
だが、そこからクラリッサを連れて、城を脱出することはできただろうか。――いや、鉤縄を使って塀を越えるなど、クラリッサにできるとは思えない。
では、所持品にあったあの毒で、何かを企んでいたのだろうか。
もしあの毒で井戸が汚染されれば、水源を失った城はパニックに陥っていただろう。
だが、それで何になる? 歪んだ正義感か。レグナートへの復讐か。
そもそも、井戸に毒を投げ入れたところで、水を汚染することはできなかっただろうと、薬師長は言っていた。
では、誰かを毒殺するつもりだったのか。
王族の誰かを狙っていた?
だが、王族の口に入る物は、厳しい監視のもと、徹底して管理されている。
外部の者がそう簡単に毒を仕込めるとは思えない。
では、なぜ――。
「……まさか」
マリアベルは思わず呟き、足を止めた。
「どうかされましたか?」
前を歩いていた侍従が振り返る。
「いいえ、なんでもないわ」
マリアベルは小さく首を振り、再び歩き出した。
――
「こちらへどうぞ」
侍従が案内した先は、騎士団の詰め所だった。
「牢ではないの?」
「はい。牢は薄暗く、空気も悪うございます。それに、他の囚人もおりますので……」
どうやら、マリアベルのために別の場所を用意してくれたらしい。
無機質な石造りの廊下を進むにつれ、遠くから聞こえていた兵たちの練兵の声が、次第に遠のいていく。
「こちらは、捕らえた者を一時的に隔離しておくための場所でございます」
侍従が目配せすると、扉の前に立っていた兵が鍵を回し、分厚い木製の扉を静かに押し開けた。
そこは石壁に囲まれた小部屋だった。奥には鉄格子で仕切られた狭い牢があり、その前を武装した兵たちが固めている。
マリアベルが一歩踏み出すと、牢の中にいた人物がゆっくりと顔を上げ――
「――ッ!」
その瞬間、マリアベルは息を呑んだ。
「あなた……ルシアン=グレイヴね」
牢の中で、男が目を見開いた。
「なっ……!」
侍従が驚きの声を上げる。
ルシアン=グレイヴ――それは王妃の不貞相手であり、ノエルの父親と目されている男だった。
「ちっ……。あの女、俺の風体まで話していたのか」
眉を寄せ、吐き捨てる男を見て、マリアベルは先ほど思い至った自分の推測が、正しかったと確信した。
「いいえ。それは違うわ」
マリアベルは小さく首を振った。
「その髪、瞳の色、そしてその顔立ち。見ればわかります」
「……?」
その言葉に、男は怪訝な顔をした。
風体を聞いたことは否定しておきながら、今度は風体を根拠にされたのだ。男が戸惑うのも無理はない。
だが、マリアベルが『見ればわかる』と言ったのは、決して嘘ではなかった。
――本当に、ノエル殿下とよく似ているわ。
髪の色も瞳の色もよく似ている。何より、顔立ちが瓜二つだった。
ルシアンが城を去ったのは、ノエルが生まれてすぐのこと。マリアベルが城に上がるよりも前だった。
当然、二人に面識はない。
もしかすると、城で開かれた茶会などで、クラリッサの護衛として控える姿を目にしたことくらいはあったかもしれない。だが、さすがのマリアベルも、護衛の一人ひとりまで覚えてはいなかった。
それでも、この男がヴァルネ側の人間であり、クラリッサのいる北の塔を目指していたらしいこと。そして何より、ノエルの出生にまつわる秘密を知っている者には、この男がノエルの父親だとわかってしまう。
それほど、よく似ていた。
クラリッサが彼をヴァルネに帰したのは、正解だったといえるだろう。
だが、ノエルの出生については、箝口令が敷かれている。多くの兵がいるこの場所で、それを口にすることはできない。
マリアベルはさっと扇子を開くと、
「貴族の子息で、王族の警護を任されるほど優秀な騎士だと聞いていたけれど……密偵にでも成り下がったのかしら?」
口元を扇子で隠し、蔑むような眼差しでルシアンを見据えた。
「……!」
ルシアンの眉がぴくりと跳ねた。
「あら、気に障ったかしら? ああ、でも王妃様の護衛を解雇されて国に戻されたのですもの。密偵にされても仕方がありませんわ」
「……ッ違う!」
ルシアンが牢の鉄格子を掴んだ。
ガシャンッ、と大きな音が響き、周囲に緊張が走った。
「何が違うのかしら?」
マリアベルは張り詰めた空気など意に介さず、扇子を口元に当てたまま、涼しい顔でルシアンを見つめた。
「私は解雇されたのではない! 密偵でもない!」
「あら、こそこそと門を乗り越えておいて、よくそんなことが言えるわね」
「それは……」
ルシアンは言葉に詰まった。
「……クラリッサ様に会うためだ。致し方なかった」
目を泳がせ、そう呟くルシアンに、マリアベルはどうしようもない怒りを感じた。扇子を持つ手にぐっと力が入る。
「――嘘はおやめなさい!」
自然と低い声が出た。
マリアベルはパチリと扇子を閉じると、その先端をルシアンへと向けた。
「会うため、ではなく、殺すため、でしょう?」
――!
周囲がざわりとどよめいた。
「王妃様が裁判で、ヴァルネの――いいえ、あなたの不利になる証言をする前に、口を封じてしまおうと考えた。違っていて?」
「……ちっ」
ルシアンは答えることなく顔を背けた。――それが答えだった。
「自らの保身のために、かつての主人を手にかけようなど、やはりあなたは騎士ではなかったようね」
マリアベルはそう言い捨てると、踵を返して部屋を後にした。
――
「王太子妃様……先ほどのお話……」
廊下を足早に進むマリアベルに、侍従が声を潜めて話しかけた。
「……彼の尋問は、諸々の事情を知っている近衛に任せた方がいいわ」
「……承知いたしました。すぐに手配いたします」
――不貞の末に子を成し、国を裏切ってまで守ろうとした男に、命を狙われる。……皮肉なものね。
クラリッサは決して、王妃としての資質に欠けた女性ではなかった。
茶会や夜会での立ち回りは見事で、無益な争いの種を見逃すことなく、王妃として女性たちをうまくまとめていた。その姿は、マリアベルにとって目指すべき王妃像の一つだった。
マリアベルはクラリッサから、次期王妃としての指導も受けていた。厳しい師ではあったものの、決して理不尽なことは言わない人だった。
だからこそ、「ノエルの婚約者候補として城に残れ」と命じられたとき、違和感を覚えたのだ。
もしかするとあれは、クラリッサなりに異変を知らせようとした、最後の賭けだったのだろうか。
――いえ、それはさすがに穿ちすぎね。
マリアベルは小さく息をついた。
それでも、長年、国母として国と民を慈しんできた彼女が、国を売り渡すことに少しでも躊躇していたのであってほしい。
そう思わずにはいられなかった。




