55.戦いの幕
「おおー!」
「わああー!」
十人ほどの隊列が三つ。兵たちは大声をあげ、周囲を威嚇するように進んでくる。
ところが、道幅の狭い渓谷に差し掛かると、誰が先に進むかで押し合いを始めた。
「お前たちが行け!」
「いや、お前の部隊から行け!」
ギルバートは崖の上から、その様子を見下ろしていた。
――なんだ? 士気が高いのではないのか。
「まだだぞ。あれは見張りだ」
ギルバートは手を上げ、周囲の兵たちを制した。
息を殺し、見張りの三隊が通り過ぎるのをじっと待つ。
やがて、本隊が姿を現した、そのとき――。
「今だっ!」
ギルバートの号令とともに、頭上の崖から大小さまざまな石が一斉に降り注いだ。狭い山道を進む敵兵たちに、逃げ場はない。
「なにっ!? 奇襲だ! 上を見ろ!」
悲鳴と怒号が飛び交い、狭い通路で前衛と後衛が激しく押し合う。敵の陣形は、瞬く間に大混乱に陥った。
こちら目掛けて弓を射かける者もいたが、高所に加え、風も強いこの場所に、矢は届かない。
それどころか、風に流された矢が味方の頭上に降り注ぎ、敵の混乱に拍車をかけた。
「なにをしている! 進め!」
後方から叱責の声が飛ぶ。
大きく曲がる道に遮られ、後方からは何が起こっているのか見えていないのだ。
「んなこと言われても……!」
「ひとまず駆け抜けるぞ!」
敵兵たちは我先にと駆け出し始めた。
軽い革の胸当てをつけた歩兵が、重い甲冑をまとった兵に押し倒される。
「俺が先だ!」
さらに後方から、騎兵が馬を急かし、倒れた歩兵を容赦なく踏みつけながら追い抜いていく――。
その混乱を尻目に、ギルバートは傍らに置いていた弓に手を伸ばした。
「殿下! ここから狙うのは無理です!」
「早く移動せねば!」
周囲の兵たちが慌てて声を上げる。
レオポルドの言うとおり、風の強いこの場所で、弓で狙いを定めるのは難しい。
だが、ギルバートは動じなかった。
ギリッと弓を引き絞る。
ヒュン――。
矢は騎兵の馬の首元へと吸い込まれた。
『ヒヒーン!』
馬が嘶き、騎兵が体勢を崩す。
ギルバートは間髪入れず、次の矢をつがえた。
ヒュン――。
今度は、先を走る騎兵の馬に命中する。
再び響く嘶き。馬がよろめき、その進路を塞ぐように倒れ込んだ。
「うわっ!」
「止まれ! 止まれぇ!」
ギルバートは周囲の怒号にも動じず、三射目を放った。
ヒュン――。
三頭目の馬が嘶き、騎兵が鞍の上で大きく体を揺らした。
「よし、行くぞ!」
敵の混乱を見届けたギルバートは、後方へ回り込むべく駆け出した。
目の前の光景に目を見開き、唖然としていた兵たちは、その声にはっと我に返り、慌てて後に続いた。
――ギルバートの背を追いながら、兵の一人は昨夜のことを思い出していた。
ギルバートと共に行動することが決まったとき、兵たちはレオポルドに抗議に行ったのだ。
「殿下をお守りしながらでは、作戦行動に支障が出ます。本陣でお待ちいただくよう、お願いしていただけませんか?」
だが、兵たちの言葉に、レオポルドは不思議そうに首を傾げた。
「なぜ、殿下がお前に守られねばならんのだ?」
「え?」
「そんなことより、殿下の足を引っ張るなよ! もしそうなったら、鍛え直しだ!」
あのときは、意味がわからなかった。
だが、今ならわかる。
あの腕前も、敵の動きを見極める判断の速さも、兵たちが想像していた王太子の姿とはまるで違っていた。
険しい山道をものともせず駆けていくギルバートの背を見つめ、兵はキリリと顔を引き締めた。
――このままでは本当に、足手まといになりそうだ。
「殿下に続け!」
兵は仲間たちを促し、ギルバートの後を追った。
――
その頃、敵の前方では、レオポルドたちが隊列を組んで敵の到来を待ち構えていた。
見張りの兵は、すでに捕らえられている。
――当初ギルバートは、敵の数がわからない以上、数で劣っていても対抗できるよう、道幅の狭い峡谷で迎え撃つつもりだった。
だが、軍議を進めるうちに、レオポルドが疑問を呈した。
「敵の数が少なかった場合、わざわざ峡谷で待ち構える必要はないのでは?」
「それはそうですが、最悪を想定すべきです」
もちろん、敵の数が少なければ、峡谷で迎え撃つ必要はない。むしろ、道幅が狭いぶん、こちらも兵を展開しにくくなる。
だが、敵が二千、いや、それ以上いる可能性も否定できないのだ。山腹の開けた場所で迎え撃つよりも、道幅の狭い峡谷に誘い込んだほうが、数の不利を補やすい。ギルバートはそう考え、峡谷での迎撃を主張していた。
「うーん……ですが敵は、何日も山の中を進んできた兵ですよね? 多少人数に差があろうと、こちらが負けるとは思えませんが」
「レオポルド殿はそうかもしれませんが……」
「いえ、殿下。私もレオポルド様の意見に賛成です」
渋るギルバートに、軍議に参加していた副官の一人が声を上げた。
「殿下がこちらの損害を減らそうとしてくださっていることは、ありがたく思います。しかし、我々は疲れ切った敵に負けるほど、軟な鍛え方はしておりません」
周囲の副官たちも、力強く頷いた。
「それに山中ならば、敵も大軍を展開することはできません。人数差があったとて、極端に狭い峡谷にこだわる必要はないでしょう」
「そうですな。我々がわざわざ山を駆け上がり、敵の陣営に攻め込むわけでもありませんからな」
副官は小さく笑った。
「ええ。その通りです」
「三人でも四人でも、まとめて相手をしてやりますよ」
ほかの副官たちからも、賛同の声が上がった。
「ふむ……わかった。ならば私は、君たちが敵と相対するまでに、少しでも敵の戦力を削る方法を考えよう」
ギルバートは周囲を見回した。
どの兵も力強い目をしている。
――どうやら少し、過保護だったようだ。
こうして決まったのが、峡谷で敵を分断し、混乱に乗じて戦力を削る作戦だった。
ギルバート率いる奇襲部隊が崖の上から敵を攪乱し、組織的な動きを封じる。
そして混乱に陥った敵を、今度はレオポルドの部隊が山腹の開けた場所で迎え撃ち、確実に打ち取るのだ。
この方法であれば、ギルバートたちは味方への被害を抑えながら、頭上から一方的に攻撃を仕掛けられる。敵の戦力を削るには、うってつけの作戦だった。
「さあ! そろそろ本隊のお出ましだ! 気合い入れろよ!」
レオポルドが瞳を輝かせて、力強く叫んだ。
「「「おおーっ!」」」
そこへ、渓谷から混乱した敵兵が次々と飛び出してきた。
だが、隊列を組んで待ち構えるレオポルドたちの姿を認めるや、ある者は驚きに足を止め、またある者は慌てて踵を返そうと、たたらを踏む。
レオポルドたちは、そんな敵兵を落ち着いて無力化していった。
「ははは! 楽な仕事だな!」
「ええ。奇襲部隊が少し張り切りすぎたのでは?」
軽口を叩き合いながらも、兵たちの手際に乱れはない。陣形を崩さず、押し寄せる敵を次々と制圧していった。
一方その頃――
ギルバートは獣道を走り抜けていた。時折視界に入る峡谷の様子から敵の規模を見極めつつ、本隊を挟み撃ちにするため、敵の後方へと向かっていたのだ。
――敵の数は……二千……いや、千五百ほどか……?
松明の数ほどではないが、敵の数もそれなりに多い。はったりというほどではなかったか……。
だが、この規模ならば、作戦通りレオポルドたちが制圧できるだろう。
さらに後方から挟み撃ちを仕掛ければ、敵はますます混乱する。
問題はなさそうだな。
ただ……俺が奇襲部隊を率いて駆け回っていたなどとマリアベルに知られれば、怒られるだろうが。
ギルバートは木々に短剣で目印をつけながら、苦笑を浮かべた。
それでも、細く入り組んだ獣道を抜け、正確に敵の後方へ回り込むには、自分が直接指揮を執る必要があった。
ギルバートたちは敵の後方へと回り込むと、隠してあった甲冑を身につけた。さらに腰に剣を挿し、矢筒を背負う。
「全員揃っているか?」
「はっ!」
「我々の役目は敵の攪乱だ。無理に打ち取る必要はない」
ギルバートは兵たちを見回した。
「基本は弓で攻撃し、敵に近づきすぎないよう注意しろ」
「はっ!」
ギルバートは小さく頷き、敵の隊列へと視線を向けた。
ひときわ護衛の厚い、豪奢な馬車が目に留まる。
――あれか。
ギルバートは矢をつがえると、その馬車に狙いを定め、矢を放った。
「始め!」
号令とともに、周囲からも次々と矢が放たれた――。
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