54.レオポルドと山登り
「殿下! お待ちしておりましたぞ!」
ギルバートがネブラ山の麓に到着すると、レオポルドが笑顔で駆け寄ってきた。
その顔は、数日にわたって野営を続けているとは思えないほど、溌剌としていた。
「出迎えありがとうございます。敵に動きはありましたか?」
「それが……敵は士気が高いと報告を受けておりましたので、殿下が到着される頃には、山裾まで迫っているものと思っておったのですが……」
レオポルドはネブラ山を振り返った。
「どうやら、予想していたほど行軍速度は速くないようですな。ようやく山の中腹まで進んできたところですね」
ギルバートもネブラ山に目を向けた。
――あれか? 遠くに松明の灯りが見えるような気もするが……。
「向こうには騎馬や兵糧を積んだ荷台もあるでしょうから、通れる道が限られているのでしょう」
「おそらくそうでしょう。ただ、敵の規模については、偵察を進めていますが、奴ら本陣の前方に何人もの見張りを出し、ずいぶんと警戒を厳しくしているようでして。おかげで、全容がまだ掴めていないのですよ」
「ふむ……それだけ警戒を厳しくしているということは、やはり松明の数は、はったりか……」
ギルバートは目を細め、顎に手を当てた。
「敵がまだ中腹にいるのは好都合だが……」
考え込むギルバートの隣で、レオポルドがぽんと手を打った。
「やはり、今からひと当てしてきましょうか?」
「は?」
「私は偵察に向かないと、これまで止められておりましたが……殿下のためにも、敵の全容を解明することは必須! 私が見張りを突破して、確かめて参りましょう!」
「見張りを突破? それは偵察ではなく戦闘です!」
笑顔で準備体操を始めるレオポルドを、ギルバートは慌てて止めた。
「それに、こんな真っ暗な山の中を、敵の規模もわからないまま突っ込むなど、自殺行為ですよ」
「真っ暗……確かにそうですね」
レオポルドは、はっとしたように目を見開いたあと、不敵に微笑んだ。
「この闇に乗じれば、敵の指揮官をやれるかもしれません!」
「……」
ギルバートは頭を抱えた。
無茶苦茶だ。あまりにも無茶苦茶な提案である。
だが、レオポルドならば、本当にやり遂げてしまうかもしれない。
そう思えてしまう自分がいることが、何よりも厄介だった。
「……お気持ちだけいただいておきます。勝手な行動は、絶対にやめてください」
彼は軍人だ。こう言っておけば、上官にあたる自分の命令を無視することはしないだろう。
正直なところ、彼が敵の指揮官を討ち取ってくれれば、こちらとしては楽になる。だが、そのために敵兵に囲まれれば、レオポルド自身が命を落とす危険もある。
被害を最小限に抑えるために、わざわざ最前線まで出向いてきたのだ。レオポルドを無謀な戦いに送り出すわけにはいかなかった。
「……む。そうですか……」
「明日、山の案内をお願いします。あなたが活躍するのは、そのあとですよ」
「承知しました!」
――
翌日、ギルバートはレオポルドら数人の兵と、地元の猟師を伴って山を登っていた。
しばらく進むと、木々が途切れ、山腹にやや開けた場所が現れた。数十人が横に並べるほどの道幅がある。だが、その先は左右から岩壁が迫り、道が急に狭まっていた。
「この先はどうなっている?」
狭い峡谷に差し掛かったところで、ギルバートが尋ねた。
「ああ。この先は道が大きく折れとります。崖が張り出しとりましてな」
猟師が道の先を指差す。
「ほう」
ギルバートは道の脇に連なる岩壁と、その上に広がる斜面を見上げた。
「この道以外に人が通れる場所は?」
「あっしらが通るような獣道ならありますが……」
猟師は兵たちの姿を見回した。
「そんな重たい甲冑を着て、腰に剣を差したままじゃ、通れませんぜ」
「ふむ……。だが、その獣道を使えば、この峡谷を抜けられるのか?」
「まあ、抜けられますが…… 一人ずつなら、って話でさあ」
「……行ってみるか」
ギルバートはそう呟くと、着ていた甲冑を脱ぎ、剣を置いた。腰に短剣が残っていることを確かめると、猟師に向き直る。
「悪いが、案内してもらえるか?」
「ちょ……お待ちください!」
「危険です!」
目を丸くして、慌てて止めようとする兵たちを尻目に、レオポルドもまた甲冑を脱ぎ捨てた。
「お供しましょう!」
「頼む」
二人は猟師のあとについて、獣道へと入っていった。
踏み固められた道などなく、急斜面に張り出した木の根や岩を足場に、身をかがめながら進んでいく。
「慣れてねえ者には骨が折れますぜ」
そう言いながら先を行く猟師に、ギルバートもレオポルドも難なくついていく。
ギルバートは足場を見極め、確実に体重をかけながら、無駄のない動きで。一方のレオポルドは、張り出した岩も木の根も苦にする様子はなく、軽々と乗り越えていく。
その様子を、残された兵たちは呆気に取られて見送ることしかできなかった。
険しい山道を行く猟師の後ろ姿は、みるみるうちに小さくなっていく。そこに続く二人の足取りには、危なげなところなど微塵もなかった。
「レオポルド様はともかく、王太子殿下ってあんなに動けるのか……」
「ああ、あんな道、俺たちだってあんなに早くは進めねえぞ……」
やがてギルバートたちは、峡谷を見下ろせる場所までたどり着いた。
「この狭さならば、敵兵が何人いても一斉には攻めて来られませんな。ここで迎え撃ちますか?」
「そうですね。道が大きく曲がっているのも都合がいい。できればこの崖に、弓兵を置きたいところですが……」
下を覗き込むギルバートに、レオポルドは首を振った。
「ここに弓兵を置いても無駄でしょうな。風が強すぎる」
その言葉に、ギルバートは目を細め頬を打つ風を確かめた。
山頂から吹き下ろす風と、渓谷から吹き上がる風。崖の上では、風が複雑な流れを生み出していた。
「矢の軌道が乱れ、狙いが定まらないか……」
「ええ。足場も悪いですから。弓ではなく、岩でも落とせばよいのでは?」
「いや、それは危険すぎます。味方を巻き込みかねません」
「ん? 降ってくるとわかっていれば、避けられませんか?」
「……無理です」
ギルバートは半眼になった。
いくら降ってくるとわかっていても、頭上から降り注ぐ岩を避けながら戦うなど不可能だ。そもそも、そんな作戦を持ちかければ、兵が恐怖で動けなくなるだろう。
ギルバートは小さく息を吐くと、猟師に向き直った。
「ひとまず峡谷を抜けた先まで、案内をお願いします」
猟師は苦笑しながら頷くと、再び走り出した。
――
獣道を通って峡谷を抜けた三人が、山道をたどって兵たちのもとへ戻った頃には、日はすっかり真上に昇っていた。
「殿下!」
「ご無事でよかった……!」
胸を撫で下ろす兵たちに、ギルバートは淡々と告げた。
「敵を迎え撃つ策が見えた」
「は……?」
「これより本陣へ戻り、軍議を開く」




