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王太子殿下、逃亡。  作者: 花日


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5.逃避行の結末

「……な……ッ! なぜ公爵令嬢が愛妾など!」


王妃が驚くのも無理はない。

通常愛妾に、そこまでの身分は求められない。なぜなら 王妃とは違い、愛妾は表立って扱われる存在ではないからだ。


だが今回は、王の慰めのための愛妾ではない。王統を繋ぐことを目的として、正式な手続きを経て迎えられた愛妾だった。


その子が王位を継ぐ可能性がある以上、相応の家柄を持つ女性でなければならなかった。


そこで白羽の矢が立ったのが、王宮で女官を務めていたエレノアだった。


エレノアはかつて婚約者の裏切りによって婚約を破棄された令嬢で、その経験から、結婚に未来を求めることをやめた。己の力で生きる道を求めた彼女は、家族の反対を押し切って王宮に上がり、女官として仕えることとなる。


そしてその勤勉さと聡明さによってたちまち頭角を現すと、ほどなくして王付きの女官に任命された。


もちろん彼女が愛妾に選ばれたのは、家柄だけが理由ではない。王家への忠誠心が厚く、なにより、王にとって誰よりも信頼できる女性だったからこそだ。


――ここまでの話は、五公爵家の者たちにとっては、すでに周知の事実。誰もが口を閉ざし、静かに成り行きを見守っていた。


ただ、王妃とライオネルだけが、初めて突きつけられた現実に愕然としていた。


「で……ですが……!」


王妃は必死に言葉を探す。


「今さらその者を王家へ迎え入れれば、結局は王位継承争いが起こりますわ!」


「なぜだ?」


王の眉がぴくりと上がる。


「な……なぜって、こうしてライオネルも見つかりましたから……」


「こいつには今日この場で、王位継承権を返上する書類に署名させる。そのために探し出したのだ」


「そのため……?」


「ああ。本人の意思の確認と署名がなければ、王太子変更の手続きに時間がかかる」


王は当然のことのように言い放った。


「王位を捨て、王族としての責務から逃れようとしたことを本人が認めたのだ。継承権を失うのは当然であろう」


「……」


王妃は言葉を返せなかった。


王太子とは、ただ王の血を引く者ではない。国を背負う覚悟を持つ者だ。

一度その責務から逃げた者を、再びその座に据えることなどできるはずもない。


「――併せて、王族としての身分も剥奪する」


「剥奪!?」


王の言葉に、ライオネルが思わず声を上げた。


「当然だろう。王族としての身分を残しておけば、どこで子を成し、その血を旗印にする者が現れるかわからぬ。国を捨てて逃げた者を、いつまでも王族として扱う理由などない」


ライオネルは唖然としたまま、王を見つめる。


そしてはっと我に返ると、


「……逃げ出したことは申し訳なく思っています。王位継承権の放棄にも同意します! ですから、王族の身分まで奪うことだけは、お赦しいただけませんか?」


縋るような声で嘆願した。


「駆け落ちした女と一緒になりたいのだろう?」


王は冷ややかな目をライオネルに向けた。


「ならば、王族としての身分など必要あるまい。王族に、己の望む相手と自由に生きるような勝手は許されぬ。王族の特権だけを享受しながら、責務からは逃れるなど都合のいい話だ」


「……」


「それも承知の上で、全てを捨てて逃げ出したのであろう?」


「……っ」


ライオネルは唇を噛んだ。


「……そうです。あの子と一緒になれるなら、平民になっても構わない、そう思っていました。ですが……」


ライオネルは悲しげに眉を下げた。


「その……あの……」


そしてもごもご言い淀んだあと、観念したように小さく息を吐くと、ぽつりと呟いた。


「ヴァルネの森へ辿り着いた翌朝には……いなくなっていたのです」


「は?」


「彼女の姿がどこにもなくて……。いくら探しても見つからず……戻ってくることもありませんでした……。だから私は、レグナートへ……」


「……帰ろうとしたのか?」


「はい……。ですが、私一人ではレグナートへ戻る術もなく、途方に暮れていたところを、宰相府の者に見つけてもらったのです」


「……お前は、何をしているのだ」


王は呆れた目を向け、ため息を吐いた。


ライオネルは、『全てを捨てても構わない』と誓い合った相手に、あっさりと逃げられていたのだ。


「私も何がいけなかったのか、さっぱりで……」


ライオネルは小さな声で、途方に暮れたような声を漏らした。


「陛下。若気の至りです。赦してさしあげては? ……確かに軽率な行いではありました。しかし、本人も深く反省しております。王位継承権を放棄するのであれば、ノエルの補佐として務めさせるという道もあるのでは?」


王妃はすかさず王に進言した。


だが王は取り合わなかった。


「あり得ぬ。こいつの起こした問題は、『若気の至り』で済ませられる範囲ではない」


「今回の贖罪のため、誠心誠意王家に仕えます! 婚姻もマリアベルと結びます! ……その……マリアベルとグランフォード公爵が赦してくださるのなら、ですが……」


王に退けられ、ライオネルは必死に言い募った。


そして、縋るようにマリアベルへと視線を向ける。


「――ははは。冗談だとしても、笑えませんな」


声を上げたのはグランフォード公爵だった。公爵は冷ややかな声で笑うと、すっと表情を消した。


「我が娘を、殿下の一存で捨てたり拾ったりできる存在だとお思いか?」


「そんなつもりでは……ッ!」


公爵の冷たい視線に、ライオネルはびくりと肩を震わせ、


「……マリアベル……」


助けを求めるように、その名を呟く。


「……発言をお許しいただけますか?」


マリアベルは小さく息をつき、そっと手を上げた。


「許そう」


王が頷くと、マリアベルはすっと立ち上がった。

そしてスカートをつまむと、丁寧に頭を下げる。


「まず――無事にお戻りになられて、安堵いたしました」


「マリアベル……!」


ライオネルの顔に、ぱっと喜色が戻る。


「しかし、私と殿下との婚約は、すでに正式に破棄されております」


顔を上げたマリアベルの瞳には、微かな温もりさえなかった。


「私は王太子妃に、ひいては国母になるために、これまで努力を積み重ねて参りました。それを、殿下はご存知ではありませんでしたか?」


「……それは……」


ライオネルは口ごもると、視線を逸らした。


「殿下は、もう王太子ではなくなるのでしょう?」


「……そう……だね」


「私は王太子妃となるために、殿下と婚約していたのです。王太子の地位を捨てた殿下と、婚姻を結ぶ理由がありません」


マリアベルは、冷たく言い放った。


そして――ほんの少し目を伏せる。


「共に国を支えていく方だと、信じておりましたわ」


「……ッ!」


ライオネルは息を呑んだ。


「これでわかっただろう」


王は吐き捨てるように言った。


「お前が捨てたのは王位だけではない。婚約者との信頼も、王太子としての信用も、全てを捨てたのだ」


ライオネルは、全身から力が抜けたように、その場にへたり込んだ。


「ギルバートを王族に迎え入れる理由は理解できたか?」


王はへたりこむライオネルを一瞥しただけで、王妃へと視線を戻す。


「……ギルバートを王子として迎えることには異論はありません。ですが、なぜ王太子にまで据える必要があるのです? 王位継承順位まで変える必要がどこにあります!」


王妃は王をきつく睨みつけると、吐き出すように言った。


――へたりこんだライオネルには一瞥もくれなかった。


「先程も言ったように、ノエルはまだ幼い。実務能力の高い者を王太子の座につけることが――」


王妃は扇子を前に突き出し、王の言葉を遮った。


「では、ギルバートは中継ぎでよいでしょう? ノエルが成長した暁には、王太子の座を譲るというのであれば、認めましょう」


王が大きなため息を吐き、口を開こうとした、そのとき。


会議室の扉を叩く音がした。


「失礼いたします」


入室してきたのは、王の側近だった。


男は恭しく頭を下げると、王のもとまで足早に進む。そして耳元で何かを囁いた。


「そうか……」


王は小さく呟くと、目頭を押さえた。


そしてしばらく沈黙したあと、王妃をまっすぐ見据えて言った。


「――王妃よ。お前に、他国との内通の嫌疑がかかっている」


重々しい声が、静まり返った評議の間に響いた。


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