4.密議
ここから三人称視点になります。
王太子の逃亡からふた月。結婚式まで、もう、ひと月と迫ったこの日――。
国王の召集により、王宮の評議の間には五公爵家の面々が、秘密裏に集められていた。
重厚な円卓を囲むのは、各家の当主や正統な後継者たちばかり。その中でただ一人立場の異なるマリアベルの姿は、否応なしに人目を引いていた。
だが、彼女がこの場にいることこそが、今日呼び集められた理由が王太子に関することなのだと、周囲に確信させることになった。
上座に深く腰掛けた王は、居並ぶ面々を見渡すと、静かに口を開く。
「……皆、よく集まってくれた。今日呼び立てたのは他でもない、王太子の件だ」
皆驚きもなく、頷きを返す。
「これは王家に深く関わる事態である。よってこの場に王妃を招く」
王の合図で評議の間の扉が開くと、王妃がゆったりと現れた。
柔らかなシルクのドレスを優美にたなびかせ、すっと背筋を伸ばして歩く。その身から漂う香水の香りが、ふわりと周囲に広がった。
「皆様にご心痛をおかけして申し訳ありませんわ。しかし、本日の会議で第二王子ノエルが正式に王太子に承認されました暁には、皆様の期待を裏切らぬ立派な王に育てることをお約束いたしましょう」
王妃は痛ましそうに眉を下げながらも、どこか晴れやかな顔を向けた。
場が小さくさわめく。誰もが、この会議が新たな王太子を決めるものだとは聞いていなかったからだ。
「……その前に、王妃よ。私はお前に問わねばならぬ」
王は目配せをもって周囲のさわめきを抑えると、王妃を見据えた。
「王太子の出奔を手助けしたのは――王妃、お前だな?」
ざわっ――
「な、何をおっしゃるのです!」
「お前が母国――ヴァルネ王国の者の支援を受け、王太子と娘を国外へ逃したのであろう?」
「無礼ですわ! なんの証拠があってそのようなことを!」
王妃は鋭い声を上げる。だが、王の口調は落ち着いていた。
「証拠ならある。……入れ」
その声に導かれて入室してきたのは、ギルバート。
そしてその後ろには――
「王太子殿下!!」
周囲の貴族が一斉に声を上げた。
「……なっ!」
王妃の顔色が変わる。
「我が国との国境にほど近い、ヴァルネ王国の森の中にいらっしゃいました」
ギルバートは静かに礼をとると、すっと後ろに下がる。
(間に合ったようね)
マリアンヌはほっと胸を撫で下ろした。
「ライオネル、お前の出奔に手を貸したのは王妃だな?」
気まずげに目を伏せる王太子に、王は硬い声で問いかけた。
「はい……。母上が手配してくださった者に、国外へ連れ出してもらいました」
「なんと……!」
「王妃様はなぜそのようなことを!」
周囲が一斉に騒がしくなった。
「王妃よ、これでも言い逃れを続けるつもりか」
王が鋭い視線を向ける。
「……仕方ありませんわね」
王妃は小さく息をつくと、王を真っ直ぐに見つめ返す。
「ええ。わたくしが手を貸しました」
「そなたは……!」
「ですが! これはライオネルの、ひいてはこの国のためでございます」
王妃は王の言葉を遮り、言葉を重ねる。
「愛する者と結ばれたい。そう願うのは人として自然な感情ではございませんか? ましてライオネルは、王位を捨てても構わないと口にするほど、その想いは強いものでございました」
王妃は痛みに耐えるように目を伏せる。
「そのような者を無理に王位へ就け、政略の婚姻を結ばせれば、いずれ国政にも影を落としましょう。……国を混乱に陥らせぬためには、王位についてからでは遅いのです!」
――その言葉だけを聞けば、我が子の心と国の未来を憂う、立派な母であり国母のように聞こえた。
「そうか。国を想ってのこと、か」
王は穏やかに頷いた。
その声に王妃はぱっと顔を上げる。
「ええ……もちろんでございます! わたくしとしても苦渋の決断でしたわ。しかし国を想えばこそ……!」
王妃は胸の前で手を組み、悲しみに耐える母を演じるように言葉を紡ぐ。
「では、新たな王太子が、第二王子ノエルでなくとも構わんな?」
「……は?」
王の放った一言に、王妃の表情が固まった。
先ほどまで悲しみに濡れていた瞳から、涙の気配はすっかりと消え去っていた。
「な……なにをおっしゃるのです! ノエルをおいて王太子に相応しい者などおりません」
「だがノエルはまだ十歳。王太子として据えるにはあまりに幼過ぎる。国の安寧を願うのであれば、きちんと政務を担える者を王太子にすべきではないか?」
王妃は慌てて言い募るが、王は落ち着いた口調を崩さない。
「それは……補佐をつければよい話ですわ!」
「……補佐か。確かにノエル以外に選択肢がないのであれば、それも致し方あるまい。だが――」
王はゆっくりと立ち上がると、ライオネルに向かって歩き出す。
一歩、また一歩……ライオネルの元に辿り着くかと思った――そのとき。
王の足は、ライオネルの斜め後ろに控えるギルバートの前で止まった。
「ここに、より相応しい者がおるのだ」
「……?」
王妃は呆気に取られたように目を瞬かせた。
そして一拍してからパサリと扇子を広げると、ギルバートを指して言った。
「その者はメルヴィル家の者でしょう。王家の者でも、カーボネス家の者でもありませんわ」
王はわずかに口元を緩める。
「表向きは……な」
「表向き……ですって?」
「ああ。表向きはメルヴィル家の次男だ。だが……この者は――私の子だ」
「……!? なんですって!?」
「婚姻を結んで三年経っても、お前は身籠らなかった。だから私は法に則り、愛妾を持った」
「そんな話、わたくしは聞いておりません……ッ!」
王妃は愕然と王を見つめた。先ほどまでの余裕が消え、顔には隠しきれない驚きが浮かんでいる。
「そうだろうな」
王は静かに頷いた。
「私が愛妾を迎えると知れば、お前の母国は必ず反対しただろう。法に則ったことである以上、本来干渉される謂れはない。だが、だからといって無視すれば両国の関係に亀裂を生むことになる。とはいえ、彼らが納得するまで待っていては、後継の確保がいつになるか分からぬ。ゆえに、お前にも知らせず事を進めた」
「……そんな……」
「むろん彼女の子が無事に産まれれば、お前にも知らせるつもりだった。しかし、彼女の子が産まれる前に、お前もまた身籠った。……我が国は長子相続が慣習。お前はほんの数ヶ月の違いで、愛妾の子が王太子になることを、認められたか?」
「……それは……ッ!」
王妃は言葉を詰まらせた。
やっと授かった念願の我が子。それを差し置いて、愛妾の子が王太子になる。それも、ほんの数ヶ月早く生まれたというだけで。
――認められるはずがなかった。
「……では、私の子を王太子にするために、その子を隠したとおっしゃるの?」
王妃は唇を震わせながら、ギルバートへと視線を向ける。
「ああ。……いや、お前のためだけではないな。存在を明かせば、長子に継がせるべきか、正妃の子を立てるべきか――お前の母国をも巻き込み、争いは避けられぬものとなったであろう。そうなれば愛妾の母子の安全が脅かされる。それもあって、存在を伏せた」
王の表情がわずかに曇る。
その決断が、決して望んで選んだものではなかったことだけは、誰の目にも明らかだった。
王妃は小さく眉を寄せた。
「理由は理解いたしました。ですが……その者はこれまで王子として育てられてはおりません。王太子の務めなど果たせるのでしょうか」
王妃は扇子で口元を隠し、その奥からギルバートへ冷ややかな視線を向けた。
「案ずるな。こやつはすでに宰相府でその才を証明しておる。予算の配分、法案の策定、各省庁との調整――国政の実務はすでに一通り経験している。王太子の務めも十分に果たせよう。今回ライオネルを見つけ出せたのも、こやつの培った知識と人脈があったからこそだ」
「しかし王族としては……!」
「そもそも――」
王は王妃の言葉を遮るように手を上げた。
「私は、何の咎もないこの親子を、いつまでも日の当たらぬ場所に置いておくつもりなどなかった。王太子に後継が生まれ、王家の継承が揺るがぬものとなった暁には、二人を正式に王族として迎え入れるつもりでいた。ゆえに、ギルバートには、王族として必要な教育もすでに施しておる」
「……ですが! 身分の低い愛妾の産んだ子では、諸外国の前で王家の威信を保てませんわ!」
王妃はなおも言い募る。
だが――
「身分が低い? なぜそう決めつける」
王の余裕は消えない。
「私の愛妾の名は、エレノア=メルヴィル。立派な公爵令嬢だ」




