3.疑惑と密談
「なんだかきな臭くなってまいりましたわ」
にわかに騒がしくなった王宮を後にし、グランフォード家に戻る馬車の中で私が呟くと、腕を組んで目を伏せていたお父様が重々しく頷かれた。
「ああ。そもそも殿下の側には常に複数人の護衛がついていたはずだ。そう簡単に逃げおおせるとは思えない」
「ええ。それに、たとえ護衛を巻いたとしても、城の門には門番が、王都の出入り口には検問所がありますわ」
「そうだな。……殿下と平民の女が二人で逃げ出したにしては、痕跡が少なすぎる」
「内密にとはいえ王家が捜索にあたっているにもかかわらず、未だどこへ逃げたのかさえ掴めていませんものね」
私たちは眉を寄せ、顔を見合わせた。
冷静になって考えてみると、おかしなことが多すぎる。
逃走経路の選定に潜伏場所の確保。資金だって必要だろう。その全てをライオネルが一人で行った?
いや、……王太子が動けば必ず誰かの目に触れる。たった一人で全てを成し遂げるなど不可能だ。
それに、ライオネルに、自ら周囲を欺いてまで、こんな大それた逃亡を企てるような度胸があったとも思えない。
では女の方が? だが、彼女は平民。伝手も知識も限られているだろう。
怪しいのは側近のアルベルト。――だが、あの様子を見る限り、何かを知っていたようには見えなかった。
そうなれば……。
考えに耽る私の思考を、お父様の言葉が引き戻した。
「どうする? マリアベル。婚約破棄は認められ証明書も手に入った。あの様子であれば賠償金も大いに出るだろう。これ以上王家に関わらずともよいのだぞ」
お父様は顎に手を当て、探るような、伺うような目を私に向けてくる。
結局、王家の責任については、こちらから追及するまでもなく、陛下自ら頭を下げて認められ、婚約破棄の書類もすでに整えられていた。私室の引き払いも、数日中には終わるだろう。
このまま自分には関係のないこととして、目を逸らすこともできる。けれど――
「うふふ。御冗談を。ここで引けば、それこそ国のために捧げてきた私の時間が無駄になりかねませんわ」
私が微笑むと、お父様も片頬をあげた。私がこのまま大人しく引き下がるような器ではないことを、見抜いていたのだろう。
「ならば陛下と歩調を合わせて動くとするか」
「ええ。王太子殿下の不始末に王妃様の暴走。陛下も王宮に不信感を抱いていらっしゃるでしょう。ここで我がグランフォード家が力を貸し、この危機を救って差し上げれば……」
「ああ。王家は我が家に頭が上がらぬようになるだろう」
お父様は低く喉を鳴らして笑うと、窓の外へと視線を向けた。流れていく王都の景色を冷ややかに見つめている。
「だが、あまり悠長なことはしていられないぞ」
「ええ。箝口令が敷かれている以上、表立ったことはできません。けれど……病巣は素早く切除しなければ、いずれ全体を蝕んでしまいますもの」
――王太子の出奔。
国を揺るがすその大問題には、想定通り厳しい箝口令が敷かれた。事実を知らされるのは、国を支える五公爵家のみ。
ことの詳細がはっきりするまで、対外的には『王太子は地方視察のため城を空けている』と説明されることになった。
ライオネルの生死さえ定かでない今、どこからどんな証言や痕跡が見つかるかわからない。
『離宮で療養中』などとすれば、後から辻褄が合わなくなる可能性もあるからだ。
その点、地方視察ならば、多少の行き先の食い違いや予定変更も不自然ではない。何より、ライオネル本人がどこにいるのかを説明する必要がない。
「まずは我が家独自で情報を集めるとしよう」
お父様はそう言って、ゆっくりと頷いた。
王宮が信用できない以上、王家からの報告を鵜呑みにする訳にはいかない。
「ええ。それに、もしかすると――」
「ああ。可能性は大いにある」
互いに視線を交わし、ニヤリと口元を吊り上げる。
その様子を馬車の窓越しに見た護衛たちは、なぜか揃って顔を引きつらせていた。
◇
数日後――
「そういう訳だから、あなたにも出番が回ってくるかもしれなくてよ」
私は宰相府に勤める一人の青年と落ち合っていた。
「ほう。それほどのことか」
青年は眼鏡のブリッジを上げて、面白そうに微笑む。
彼の名前はギルバート=メルヴィル
現在、宰相を務めるメルヴィル公爵家の次男で、私の幼馴染でもある。
「ええ。恐らくそれほどのことよ」
私はティーカップを優雅に持ち上げ、温かな紅茶を一口含む。
「そうなれば、もちろん君も付き合ってくれるのだろう?」
「ええ、もちろん。積み重ねた時間を無駄にするつもりはないわ」
カップを静かにソーサーに戻すと、私は清々しい笑顔で言い切った。
「それはなにより」
ギルバートも笑みを作る。
「ただね」
私は小さく呟くと、ソーサーの横に置かれた細身のフォークへ手を伸ばした。
「結婚式まで、あと三ヶ月だったのよ」
皿に乗った繊細なタルトへすっとフォークを突き立て、一口分を切り分け口に運ぶ。サクッとした歯触りの生地に、ほどよい甘さのクリームが広がった。
その甘さの余韻を味わいながらも、私の頭の中には、これまでの準備の日々が次々と浮かんでくる。
「――各国との日程調整に席次、料理……あれだけ準備したものを、全部無駄にされるなんて……」
結婚式で出す菓子の候補を決めるため、何度も試食を重ねた日々。各国の使者の好みを調べ、料理人と夜遅くまで話し合ったこと。招待客一人ひとりに失礼がないよう、席次にも何度も頭を悩ませた。
あれほど時間と労力をかけたものが、すべて無駄になる。
そう思うと、腹立たしさが抑えきれなかった。
私はそっとフォークを置く。
深く息を吸っても、込み上げる苛立ちは収まらない。
「中途半端な時期に逃げ出すんじゃないわよ!」
バンッ!
勢いよく机を叩くと、カップがカチャンッ!と音を立てて跳ねた。
「おっと」
ギルバートが慌ててカップを押さえ、苦笑いを浮かべる。
令嬢らしからぬ無作法だが、まあ、いい。
ここにいるのがギルバートでなければ、こんな真似はしないのだから。
「落ち着け。君の時間は無駄にはならない」
「……では、間に合うのかしら?」
私が挑戦的に眉を上げると、彼はニヤリと不敵に笑った。
「間に合わせるさ」
「あら、随分な自信ね」
私が目を丸くすると、彼は余裕たっぷりに肩をすくめてみせた。
「当然だろ。俺がただ宰相府で使いパシリをしていたとでも思っているのか?」
「ふふ。いいわ、大いに期待させてもらうわね」
そう言って笑うと、さっきまでの苛立ちが少しだけ遠のいた。




