2.陛下への謁見
「申し訳ありません、お父様。王家と縁を持つことは叶いませんわ」
「構わん。元々こちらから望んだ縁でもない」
執務椅子に腰掛けたお父様は、背もたれにゆったりと身を預けながら、私の報告に眉一つ動かさなかった。
レグナート王国の公爵家は、我がグランフォード公爵家を含めた五家。
そのうち筆頭公爵家であるカーボネス家は、建国王の王弟が興した一族で、王家に万一のことがあった際に国を支える最後の砦となるため、代々あえて王家とは一定の距離を保ってきた。王家と婚姻を重ねすぎれば、いざという時に中立性を失い、国をまとめる立場ではいられなくなるからだ。
そのため、国内から王太子妃を迎える場合は、残る四公爵家の中から、直近で王妃や皇后を輩出していない家を優先した上で、年齢や適正を考慮して選ばれるのが慣例となっている。もっとも、今代の王妃のように、国益のため、他国の王女や皇女を妃として迎えることも珍しくはない。
今回私が選ばれたのは、様々な条件が重なった、ただそれだけのこと。
「それで。どうする?」
お父様は短く問いかけられた。
「王家は私に『第二王子の婚約者候補』として、王宮に留まることを望んでおられますわ」
お父様の感情が、初めて揺れた。
「なに?」
低く重い声だった。
「政務を担える者が、これ以上減るのは困るのでしょう」
「……図々しいにも程がある」
「お断りしても?」
「当然だ」
お父様は眉を寄せながら、迷いなくおっしゃった。
「では正式にお断りをして、王宮の私室も引き払います」
「ああ。こちらも早急に婚約破棄の書類を整え、グランフォード家の支援も引き上げる」
――ずっと『王妃になるため』に生きてきた。
私の頭の上には、常に重苦しい義務の王冠が乗せられ、遊ぶこともわがままを言うことも許されなかった。それでも我慢を重ね努力を続けてきたのは、いつか王妃に、この国の国母になるためだ。
それが王太子の身勝手で、すべて消え去った。
あげく私を使い勝手のよい道具のように扱おうとするなど、許せることではない。
「併せて、王家の責任も追求いたしますわ」
「それでいい、マリアベル。例え王家が相手だとしても、家名に傷をつけられて黙っていては、公爵家の名が廃る。なにより、娘の人生を軽んじられたまま引き下がれるか」
「ありがとうございます、お父様」
私は深く一礼すると、ふわりと笑みを浮かべた。
◇
「失礼いたします。グランフォード公爵家、当主マーカス様と御息女のマリアベル様が、陛下にお目通りを願っておいでです」
執務室の扉の向こうから響いた侍従の声に、私は小さく息を吐いた。
(来たか……)
胸の奥が、ずしりと重くなる。
我が愚息、ライオネルがしでかした前代未聞の不始末。
王太子でありながら、一時の情に流されて義務を放棄し女と逃げ出すなど、王家の長として、そして一人の親として、グランフォード家には申し訳なさしかなかった。
特に、六年もの間、完璧な王太子妃となるべく血の滲むような努力を重ね、この国の政務を裏で支えてくれていたマリアベルには、どれほど謝っても謝りきれるものではない。
「通せ」
私は努めて威厳を保ちながら、重々しく許可の声を放った。
重厚な扉が開かれ、しんと静まり返った執務室に公爵とマリアベルが足を踏み入れる。
「失礼いたします、陛下。急な拝謁の願いをお聞き入れいただき、感謝いたします」
公爵は完璧な礼をとったが、その目は冷ややかに澄んでおり、声色には一辺の温かみもなかった。その後ろで、マリアベルもまた、一片の感情もこもっていない、けれど完璧な一礼を捧げる。
「――さて。本日は我が娘マリアベルの今後について、早急にご相談したきことがあり、参上いたしました」
「グランフォード公、そしてマリアベル嬢。よく来てくれた。まずは、我が愚息ライオネルが犯した不実について、国の長として、そして一人の親として、心から謝罪させてほしい」
私は立ち上がると、二人の前へと歩み出た。そして、深く頭を下げた。
「……陛下、頭をお上げください。我々が知りたいのは、謝罪ではなく今後の『現実的な対処』にございます」
公爵の声は冷淡そのものだった。……当然か。
私は顔を上げ、真摯な眼差しで、まっすぐにマリアベルを見つめた。
「分かっている。マリアベル嬢、そなたが今日まで、どれほどの献身をもって我が国を支えてくれたか、私は理解しているつもりだ。それなのに、このような形でそなたの未来を奪ってしまった。……この婚約は、本日をもって正式に破棄とする。当然、我が王家の不条理による破棄だ。王家はグランフォード公爵家に対し、相当額の慰謝料を支払う」
私は執務机の上に置いておいた、署名済みの婚約破棄の証明書をそっと差し出した。
王家の一方的な都合による破棄であることを明記した証書だ。
せめて彼女の名誉だけは守りたかった。これで償えるなどとは思っていない。ただ、私にできる最後の責任として、受け取ってほしい。――そう願いながら彼女を見つめた私の耳に、マリアベルの冷ややかな鈴の音のような声が届いた。
「陛下のご配慮、深く感謝いたしますわ」
彼女は手にした扇子をパサリと優雅に開き、口元を隠した。扇子の向こう側から、射抜くような冷徹な光を孕んだ瞳が、私を真っ直ぐに捉える。
「……ですが、その温かいお言葉とは裏腹に、先ほどアルベルト様から、ずいぶんと異なる『王家のご意志』を賜ったのですが?」
「……なんだと?」
愚息の乳兄弟であるアルベルトとは、聴取のために顔を合わせた。だが、
「私が奴に命じたのは、ライオネルの捜索だけだ」
私の言葉に二人が顔を見合わせる。
「わたくしはアルベルト様より『第二王子殿下の婚約者候補として、このまま王宮で政務を続けるように』――と。そう言付かりましたわ」
「な、何だと……!? そんな恥知らずな指示、私は出しておらん!」
年齢差を考えれば第二王子との婚約などあり得ぬ。婚約者候補と言いながら、婚約させるつもりがないのは丸わかりだ。
ライオネルの件だけでも十分頭の痛い問題であるのに、さらにグランフォード公爵家を怒らせる愚を犯す者がいるとは。
「……アルベルトを呼べ!」
私が声を張り上げてまもなく、アルベルトが執務室へと連れてこられた。
部屋に入ってきたアルベルトは、その異様な空気に一瞬で顔をこわばらせ膝をついた。
「陛下、お呼びでしょうか……」
「アルベルト。そなた、マリアベル嬢に『第二王子の婚約者候補として政務を続けよ』と伝えたそうだな」
極力声を抑え、だが這い寄るような冷気を含んだ声で問い詰める。
それだけで、アルベルトの肩がびくりと跳ね上がった。みるみるうちに血の気が引いていくのが、遠目からでもはっきりとわかる。
「そ、それは……はい。そのように、マリアベル様に言伝を……」
「私がそなたに命じたのは、ライオネルの捜索だけだ! なぜ私の預かり知らぬところで、 そのような勝手なことを口にした!? 誰の差し金だ!」
ドン、と机を激しく叩きつける。
アルベルトは完全に縮み上がり、床に額を擦り付けんばかりにして震えだした。
「め、滅相もございません! 私は……私はただ、王妃様から『そのようにマリアベル嬢に伝えるように』と直々に命じられただけでございます! 陛下のご意志だと思い込んでおりました……ッ!」
「何だと……?」
必死に弁明するアルベルトの瞳には、欺瞞ではなく、本物の怯えと混乱が浮かんでいた。
――こいつは本当に、何も知らされていない。ただ、王妃に命じられ、疑いもせず伝令役として動かされたのだろう。
(王妃め……私を通さず、これほどの大事をこいつに直接命じたというのか)
アルベルトの無知が、かえって王妃の動きの異質さを際立たせる。
私はギリ、と奥歯を噛み締め、怒りと共に冷え切っていく頭で、這いつくばる男を見下ろした。




