49.大捕物
ギルバートは、格安小麦を売る露天商を見張るように指示を出した。
露店商に小分けで卸しているのなら、『定期的な引き渡し』が発生すると踏んでのことだ。
「いいか。取引現場を見つけたら、気取られぬように後をつけろ! 奴らのアジトを突き止めるんだ」
「はっ!」
◇
まだ街が深い霧と濃紺の静寂に包まれている時刻。
市場へと続く湿った裏路地で、ゴドウィンは吐き出す息を白く染めながら、周囲を警戒していた。
――……チッ。こんな不便な真似、いつまで続けなきゃならねえんだ。
悪寒に近い焦りが、胸の奥でじわじわと広がっていく。
それもこれも、こんなタイミングで王太子がシーフォートに視察に来たせいだ。
挙げ句、港湾ギルドのくだらねえ嫌がらせのせいで、港まで止められた。
ここに来てからというもの、ゴドウィンの予定は狂いっぱなしだった。
――本当なら今頃、儲けた金で王都の高級娼館にでも繰り出しているはずだったってのに。
ゴドウィンが苛立ちを募らせていると、車輪が軋む低い音が路地に響いた。
やがて、露天商が引く荷車が霧の奥から姿を現す。
「おい、遅かったな」
「わりぃな。寝過ごしちまった」
悪びれもしない露天商に、ゴドウィンの額に青筋が浮かぶ。
「っざけんな! もう小麦売らねえぞ!」
「はん。そっちだって、売らなきゃ困るくせに」
ニタニタと下卑た笑みを浮かべる露天商に、ゴドウィンは奥歯を噛みしめた。
本来なら、多少損をしてでも、大店の倉庫へ一括で売り払う手はずだった。
だが、シーフォートの大店どもは、思いのほか堅物ばかりだった。
『産地証明書のない小麦など置けない』
いくら頼み込んでも、首を縦に振る者はおらず、それどころか怪しい者を見るような目で門前払いされる始末。
――どいつもこいつも、余計なところだけ律儀にしやがって。
「チッ……。大袋五つだ。銀貨二十枚、とっとと払え」
ゴドウィンは深く息を吐くと、小麦の袋を顎でしゃくった。
「それなんだがさ、もうちょっと安くならねえ?」
「はあ!? 今でも破格だろうが!」
「いやあ、最初の頃は飛ぶように売れたんだけどな。もう十日も続いてるだろ? そろそろ買う奴も減ってきたんだよ。値下げしねえと、次の分を捌くのに時間がかかっちまう」
「だったらお前の取り分を減らせばいいだろうが!」
「それだと儲けになんねえよ」
「うるせえ! こっちはすでに大赤字なんだよ!」
今の卸値でさえ、仕入れた小麦の代金とほとんど変わらない。せめて、ここへ運び込むまでにかかった輸送費や、一月分の倉庫代を上乗せした価格で売りたかった。
だが、一刻も早くここを離れるために、多少の損には目をつぶったのだ。それなのに――。
「はあ? 破格でいいからとっとと売り払ってくれって言ってきたのは、そっちじゃねえか」
露天商は、呆れたように肩をすくめた。
「……ッ! ……銀貨十九枚と銅貨五枚だ。その代わり、早く売り捌けよ!」
「いやいや、銀貨十七枚で頼むよ」
――こいつ……! 足元見やがって!
「無理ならいいんだぜ? 次から仕入れる量を減らすことになるけどな」
ゴドウィンは、ぎり、と奥歯を噛みしめた。
――クソッ……。
ここで揉めて取引を打ち切られれば、シーフォートを出るのがますます遅くなる。
「……チッ。銀貨十八枚だ。それ以上はまけねえ」
「まあ、今回はそれで買い取るよ。でも、次までには考えておいてくれよ」
露天商は口元に薄い笑みを浮かべながら、仕方なさそうに肩をすくめた。
「……!」
ゴドウィンは差し出された銀貨を荒々しく受け取ると、積んできた小麦の袋をどさどさと地面に下ろした。
そして拳を握りしめたまま、振り返ることなくその場をあとにした。
――
「密輸犯のアジト、判明いたしました」
ギルバートが指示を出してから、数日もしないうちのことだった。
「複数の露天商と接触した者の後をつけましたが、小麦を卸しに来る人物は同一人物で、帰る先もいつも同じでした」
「ご苦労。逃亡の恐れは?」
「ありません。現在、アジト周辺を騎士が包囲し、監視しております」
ギルバートは静かに頷いた。
「よし。では、踏み込むぞ」
「は!」
ギルバートは立ち上がると、手早く着替えを済ませ、腰の剣を確認する。
「マリアベル。俺はこれより現場の指揮を執る。君は――」
「一緒に行くわ! ……なんて言わないわよ」
制止の言葉を口にするより早く、マリアベルは小さく笑った。
「そんな顔をしなくとも、足手まといになることくらい、わかってるわ」
「……そうか」
ギルバートは、ほっと息をついた。
彼女のことだ。現場までついてくると言い出すのではないかと、内心では気を揉んでいたのだ。
「では、留守を頼む」
「ええ。あなたも無茶はしないで。後方での指揮に専念してちょうだいね」
「ああ」
「必ず、無事に帰ってきてね」
マリアベルは、わずかに瞳を揺らした。
いつも気丈な彼女が見せた、初めての不安だった。
ギルバートは、一瞬だけ言葉を失った。
そして、そっと彼女を抱きしめる。
「……ああ。必ず帰る」
短い抱擁を解くと、ギルバートは踵を返した。
◇
「踏み込め!」
ギルバートの低い号令が響いた瞬間、先頭の騎士が扉へ駆け寄った。
手にした鉄槌を振り上げ、錠前めがけて叩きつける。
――ガァンッ!
錠が弾け、古びた扉が大きく開いた。
「突入!」
木くずと埃、そして強烈なカビの臭いが一気に吹き出した。
「敵襲だ!」
「かまえろ!」
倉庫の中に、怒号が響き渡る。
ランタンの灯りに照らし出されたのは、積み上げられた麦袋と、慌てて抜刀する十数人のならず者たち。
「王国騎士団だ! 抵抗する者は容赦しない!」
隊長を先頭に、近衛騎士たちが一斉に雪崩れ込む。
ギルバートは腰の剣に手を添えたまま、扉のすぐ外、騎士たちの背後に陣取った。
冷静な瞳で戦況を見渡し、敵の動きと騎士たちの配置を一つひとつ把握していく。
「左の壁際、積まれた袋の裏に二名! 隊長、右の木箱を包囲しろ!」
「はっ!」
ギルバートの的確な指示のもと、騎士たちは無駄のない動きと淀みない連携で、ならず者たちを着実に追い詰めていく。
圧倒的な戦力差を前に、奥で怯えていたゴドウィンが悲鳴を上げた。
「ひ、ヒィッ……! やれ、やっちまえ! 高い金払ってるんだ! 働けえッ!」
その時だった。
「……死ねッ!!」
頭上の梁に潜んでいたならず者の一人が、闇から身を躍らせた。
後方で指揮を執っていたギルバート目がけ、長剣を振り下ろす。
――!
騎士たちの意識が前方に集中していた、ほんの一瞬の出来事だった。
指揮官を潰せば、混乱に乗じて逃げる隙が生まれる。そう踏んだのだろう。
「殿下――!!」
振り返った騎士の叫びが響く。
だが、間に合わない。
それでも、ギルバートは眉ひとつ動かさなかった。
頭上から迫る風切り音を捉え、最小限の動作で半身を引く。
空を切った刺客の剣が石畳を叩き、激しい火花を散らした瞬間――
ギルバートの腰の長剣が、目にも留まらぬ速さで鞘走った。
「――ッ!」
刺客は咄嗟に剣を引き戻す。
――ガキィンッ!
間一髪でギルバートの斬撃を受け止めた。
「ぐっ……!」
そのまま二人の剣が激しく噛み合う。
奇襲を仕掛けた勢いのまま、ならず者が必死に剣を押し込んでくる。
だが、ギルバートの表情には、焦りの色ひとつ浮かばなかった。
すっ――
ギルバートがわずかに剣を滑らせる。
「な――」
力の行き場を失ったならず者の身体が、前へと泳いだ。
その一瞬――
ギルバートが、剣の腹を男の首筋へと叩き込んだ。
一撃で意識を刈り取られた男が、ずるずると地面にへたりこむ。
「な……ッ!?」
残っていたならず者たちも、そしてギルバートを守ろうと青ざめて駆け寄った騎士たちも、あまりにあっけない幕切れに、息をのんで固まった。
ギルバートは静かに剣を鞘に納めると、金属音をひとつ響かせ、何事もなかったかのように袖口の埃を払った。
そして騎士たちに視線を向ける。
「私は無事だ。任務を続行しろ」
騎士たちは一瞬、呆気に取られたようにギルバートを見つめた。
自分たちが護衛するはずだった王太子が、手出しする隙すら与えず刺客を返り討ちにしたのだ。
だが、すぐにはっとすると、弾かれたようにギルバートへ一礼し、すぐさまその表情を引き締める。
「いくぞ!」
隊長の声が響く。
しかし、彼らが向き直ったときには——もう、刃を交える必要すら残されていなかった。
戦意を失ったならず者たちの武器が、ガラガラと床に落とされたのだ。
「捕縛しろ!」
――こうして大捕物は、誰一人死者を出すことなく終わった。わずか数分の出来事ことだった。




