47.調査開始
「そうなると、あの小麦は……」
ギルバートは顎に手を当てた。
「密輸品……か」
「そうなりますよね……」
ライラは頭を抱えた。
――長年、港湾ギルドの不正を防ぐために、様々な施策を打ち出してきた。
その結果がこれだ。
「……力が及ばず、申し訳ありません」
マリアベルは席を立つと、項垂れるように頭を下げるライラの隣に、そっと腰掛けた。
「何を言っているのよ。あなたがこうしてきちんと整備してきたからこそ、この小麦が密輸品だとすぐに分かったのよ」
そして、その背を優しく撫でる。
「もし、港の手続きや記録がきちんと整っていなかったら、どうだったかしら。役所の人間が見逃したのか、港湾ギルドが誤魔化したのか……一つずつ疑って調べなければならなかったでしょう?」
「……」
「でも、あなたが正規の搬入をきちんと管理していた。だから、記録にない大口の小麦があると分かった時点で、こうして別の経路から持ち込まれた可能性に気づけたのよ」
「王太子妃様……」
「だから、これはあなたの失敗ではないわ」
「ああ、そうだな」
ギルバートも頷いた。
「これはあなたの功績だ」
「……ありがとうございます……っ」
ライラは俯いたまま、何度か小さく息を吐いた。
そしてぱっと顔を上げたとき、先ほどまでの沈んだ表情はきれいに消えていた。
「なんとしても、この密輸の謎を解決してみせます!」
「ええ! その意気よ!」
拳を握りしめる二人を見て、ギルバートは苦笑を浮かべた。
「では、それぞれ情報を集め、三日後にもう一度、ここで話し合おう」
「承知いたしました!」
ライラは勢いよく頷いた。
◇
次の日、マリアベルとギルバートは、再び市場を訪れていた。
小麦を扱う露店には、どこも人だかりができている。
「相変わらず大賑わいね」
「ああ。民からすれば、こんな価格で小麦を手に入れられるんだ。多少無理をしてでも、今のうちに買い込んでおきたいだろう」
二人は、そのうちのひとつへ真っ直ぐ向かっていく。
「失礼」
ギルバートが露店の店主に声を掛けた。
「なんだ? 今忙しいんだ! 見てわかんねえのか!」
「小麦を購入したいのです。――大袋で百ほど」
「は?」
店主が動きを止めた。
「父が、ぜひ取引させていただけないかと」
マリアベルが、ギルバートの背後からひょこりと顔を出す。
大きなつばのついた帽子に、上質なワンピース。
その姿を見た店主の顔から、さっきまでの苛立ちがすっと消えた。
「……お嬢さん、商家のお嬢様かい?」
その言葉にマリアベルは、ただにこりと微笑んだ。
「ほんとに百袋、買うか?」
「ええ。父から、できるだけ安く仕入れてこいと言われておりますので」
店主は周囲をちらりと見回したあと、マリアベルにずいっと顔を近づけた。
「産地証明書は出せないが、いいか?」
「……あら、どうしてですの?」
声を潜めて問い掛ける店主に、マリアベルはこてんと首を傾げた。
「……悪いが、それがわからねえなら売れないね」
店主は、手にしていた小麦の袋をドサリと乱暴に降ろした。
「まあ、困りましたわ。父に叱られてしまいます」
「そう言われても、こっちも困る。あとから責任問題にされたくねえんだ」
店主はマリアベルたちを追い払うように手を振ると、それきりこちらを振り向くことはなかった。
「……どう思う?」
市場を歩きながら、マリアベルはギルバートに問いかけた。
「産地証明書が出せないということは、少なくとも、あの小麦が正規の品でないことは間違いなさそうだな」
産地証明書は、農作物の産地を記したものだ。
特に小麦は、産地によって品質に差があるだけでなく、まれに人体に害を及ぼす病害が発生することもある。そのため、商取引の際には産地証明書を添えることが王国法で義務づけられている。
「ええ。産地を知られたくない事情があるのか、あるいは……何か、証明できない事情があるのかしら」
マリアベルは目を細めた。
「ああ。現物の確認が必要だな」
ギルバートは、民に紛れて密かに二人の周囲を警護している護衛の一人に合図を送った。
「露店で売られている格安小麦を、それぞれ小袋一つずつでいい。買い集めてくれ」
「承知しました」
「私たちは露店ではなく、店を構えている大店に向かいましょう」
マリアベルの言葉に、二人は市場をあとにした。
――
店の前まで馬車で乗り付けると、ギルバートはマリアベルに丁寧に手を差し伸べた。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう」
マリアベルがゆっくりと馬車の踏み台を降り始めると、奥から店の主人が慌てたように飛び出してきた。
「いらっしゃいませ、お嬢様。本日はどのようなご用件でしょうか」
手揉みをしながら、にこにこと近づいてくる主人に、マリアベルはパサリと扇を広げた。
「父に言われて、市井を見て回っておりますの」
「さようでございますか。さあ、どうぞ店内へ」
店内には、小麦や大麦、砂糖や塩、見慣れない香辛料まで、さまざまな食料品が整然と並べられていた。
ここは、シーフォートで一番の品揃えを誇ると言われる、食料品店だ。
「これは何かしら?」
「こちらはサイブル帝国の香辛料でございます」
「まあ! サイブル帝国から!」
「あら、これは?」
「こちらは乾燥前の茶葉でございます」
「茶葉……!」
「ええ。当店では、異国のものを始め、数十種類の茶葉を取り扱っております。お嬢様のお好みに合ったものをご紹介しましょう」
「素敵ね。珍しいものはあるかしら?」
「それでしたら、こちらはいかがでしょう? 遥か高山の霧深くで育ったお茶でございまして――」
調査のことなど、すっかり頭から消えてしまったかのように、目を輝かせて店主と茶葉の話に花を咲かせるマリアベルに、ギルバートは苦笑を浮かべた。
それでもその楽しげな様子に、水を差すつもりはなかった。
ギルバートは一人店内を見回ると、小麦の価格に目を落とす。数種類ある小麦には、どれも産地が記載されており、価格も妥当だ。
――ふむ。あの小麦は取り扱われていない、か……。
そこへ、茶葉を選び終えたマリアベルが、満足そうな笑みを浮かべてやってきた。
「ねえ、ご主人? 小麦もたくさんの種類があるけれど、茶葉のようにこちらも違いがあるのかしら」
「もちろんですとも」
店主も上機嫌に頷いた。
自分の説明を目を輝かせて聞いた客が、高級な茶葉をぽんぽんと購入したのだ。気分が悪いはずもなかった。
「例えばこちらは、東方の隣領、ブランシェ領の最高級小麦です」
店主はそう言って小麦の袋に近づくと、指先で軽くつまんでみせた。
「こちらの二級品と比べて見てください。つやと粒の立ち方が違うでしょう?」
「まあ、全然違うわ。ブランシェ産はふっくらしているわね」
「ええ。その通りでございます」
「そういえば、ここに来る前に立ち寄った市場で、格安の小麦を見たのだけれど……あれはここにはないのかしら?」
マリアベルは、小麦が並べられた棚をぐるりと見回した。
「ああ、お嬢様。あのような小麦は、決してお口にされないようご注意ください」
店主の顔から、すっと笑みが消えた。
「……あの小麦は、出所がわからないのです」
「出所が……?」
「ええ。持ち込んだ商人が、産地証明書を持っていなかったのですよ」
マリアベルはわずかに目を細めた。
露天商は「産地証明は出せない」と言っていた。
だが、それが露天商自身の判断なのか、そもそも持ち込んだ者から渡されていなかったのか、あの時点では判断がつかなかった。
――どうやら、後者だったらしい。
「そんなことあるの? 無くしてしまったのかしら?」
「いいえ。あり得ないことです」
店主は小さく首を振った。
「見たところ、あれはシーフォートで取れる小麦とは形が違いました。それなのに産地証明書がなかった。それがなければ、領境の関所を抜けられないにも関わらず、ね」
「まあ……!」
「農作物にかかる税率は産地によって異なりますからね。領境を越えて運び込まれる農作物には、関所で産地証明書の提示が義務づけられています。ですから、持っていないのはおかしいのです」
「では、あの小麦は……」
「わかりません。ですが、その疑いがある以上、いくら安くとも、あとでどんな厄介ごとに巻き込まれるかわかりませんからね」
店主は小麦の並ぶ棚へ目を向けた。
「そもそも、産地のわからない小麦なんて、怖くて扱えませんよ。店の信用に関わりますから」
「そうよね……」
「ですから、今シーフォートであの小麦を取り扱っているのは、市場の露天商くらいのものですよ」
店主は手元の小麦の入った袋を愛おしそうになでると、
「まあ、そのおかげで、ここのところ庶民向けの小麦はさっぱり売れませんがね」
そう困ったように笑った。




