44.切り札の出所
五日目の朝――。
ようやく監査が終わり、港は平常通りの活気を取り戻していた。
「丸く収まってよかったわね」
マリアベルは、窓の外から聞こえてくる、港町の活気に満ちたざわめきに微笑んだ。
「ああ。本当に」
ギルバートも穏やかな笑みを浮かべる。
「副会頭殿には、感謝しているよ」
「そうね」
――実は、ギルバートが監査を始めてすぐ、副会頭のシルバは離宮を訪ねてきていた。
「港湾ギルドとして、正式に謝罪に参りました」
そう切り出したシルバに、ギルバートは当初、冷ややかな目を向けていた。
「港湾ギルドからの謝罪と言うならば、会頭が来るのが筋ではないか?」
――煙が吹き出したとき、こいつは誰よりも驚いていた。つまり、あの企てには関わっていなかったのだろう。
それでも謝罪に来たということは、会頭に押し付けられたか。それとも、形だけでも謝罪したという事実を作り、こちらの怒りを鎮めようとしているのか。
「……おっしゃる通りでございます。しかし、あの騒動に多くのギルド員たちは関わっておりません。どうか、彼らの仕事を奪わないでいただきたいのです」
「……」
「……会頭にも、必ず謝罪に来させます」
「ほう? できるのか?」
「 ……それは……」
シルバは言葉を詰まらせた。
――なるほど。会頭は、謝罪に来る気などないようだな。
「では、もし謝罪がなければ――どうするつもりだ?」
「それは……」
シルバは、一瞬だけ唇を強く噛み締めると、伏せていた顔をゆっくりと上げる。
「そのときには……どうか、これを使ってください」
そう言うと書類の束を取り出し、ギルバートに差し出した。
「これは?」
「新港の設計図、および周辺の詳細な地図でございます」
「……新港?」
「はい。以前から何度も計画が持ち上がっている場所でございます」
シルバは設計図を見つめながら、静かに続けた。
「波も穏やかで、水深も申し分ありません」
「なぜ、今まで造られなかった?」
「港湾ギルドの利権を守るためです」
シルバは苦い表情を浮かべた。
「この場所に新たな港ができれば、今の港だけが物流を独占することはできなくなりますから」
「……会頭派が潰したか」
「おっしゃる通りです」
シルバは深く頭を下げた。
「もし、今の港をお見限りになるのであれば…… どうか、この計画を引き取っていただけないでしょうか」
「……理由は?」
「現在の港で働く者たちの、受け皿にしていただきたいのです」
顔を上げたその表情は真剣そのものだった。
「今回の騒動に関わっていない者まで、職を失わせたくはありません」
「……」
「荷役をする者も、船を手配する者も、倉庫を管理する者もおります。彼らには何の罪もないのです」
シルバは、もう一度深く頭を下げた。
「新しい港を造っていただけるのであれば、どうか……彼らをそこで働かせてやってください」
――ほう。この男は港湾ギルドではなく、港で働く者たちを守るために、ここへ来たのか。
ギルバートは目元を緩めた。
「分かった」
「……!」
「この設計図、預かろう」
「では……」
「ああ。検討してみる」
ギルバートは設計図を畳みながら、静かに付け加えた。
「港湾ギルドの先行きはわからない。だが、港で働く者たちまで職を失わせるつもりはない」
「……! ありがとうございます!」
――
このような経緯で、ギルバートは新港の設計図と周辺の詳細な地図を手に入れていたのだ。
「でもどうして、彼が設計図や地図を持っていたのかしら?」
マリアベルは首を傾げた。手に持っていた扇をパタリと閉じ、執務机に広げられた設計図へと視線を落とす。
「だって会頭派とはいえ、計画を潰したのは港湾ギルドでしょう?」
「ああ、この地図は東地区にある商業ギルドが作ったものの写しだそうだ。副会頭は新港賛成派で、商業ギルドと歩調を合わせるつもりだったらしい」
「港湾ギルドの利権が奪われるかもしれないのに?」
ギルバートは机の端に置かれたティーカップを引き寄せ、一口口を湿らせてから答えた。
「もちろん彼も、港を二つに分ければいいと考えていたわけではない。もっと小規模な港を造るべきだ、と主張していたようだ」
「小規模?」
「ああ。今、この港は飽和状態にある。だから近くに小さな港を造り、小規模な船はそちらで受け入れてはどうか、と」
マリアベルは少し身を乗り出し、机の上の設計図を覗き込んだ。そして書き込まれた緻密な測量線を指で追いながら、小さく頷く。
「なるほど。港の役割を分担させようと考えたのね」
「そういうことだ。そうすれば、今この港で働く者たちの負担も減る。それに、シーフォートに新たな雇用も生み出せる」
「あら、いい考えじゃない」
マリアベルは閉じた扇でトントンと顎を叩き、感心したように呟いた。
「そうだな。だが、会頭派が受け入れなかった」
ギルバートは淡々と続けた。
「中心人物が事故に遭ったり、出資を約束していた大口のパトロンが突然手を引いたりとな。そうして新港の計画は、王都に陳情書を提出する前に、いつも潰されていたそうだ」
「あらあら……。やはり今の会頭は、商人の割に時勢が読めていないのではない?」
マリアベルは呆れた目で問いかけた。
「まあな。だが、商人としてではなく、既得権益を守る者として見れば、実に合理的だったのだろう」
ギルバートは鼻を鳴らした。
「とまあ、そういう理由で、副会頭は以前から、どうにかして新港を造れないものかと考えていたらしい。東地区の商業ギルドから資料を譲り受け、計画を練っていたそうだ」
「……会頭派に計画を潰されても、諦めていなかったのね」
「ああ、なかなか骨のある男だ。だが、新港計画を支持したことで、会頭派に目をつけられることになった」
ギルバートは小さく息をついた。
「元々、副会頭のほうが会頭よりもギルド員からの支持が厚かったのも、気に食わなかったのだろうがな」
「ああ……それで細工を施した贈答品の運搬なんて、危険な役回りを押し付けられたのね」
「だろうな」
二人は顔を見合わせた。
「でもそれなら、副会頭を次の会頭にするよう誓約書に記せばよかったのではなくて?」
「そうだな……。だが、王家が立ち入りすぎるのもよくないだろう? それにな――」
ギルバートは、にやりと口元を上げた。
「会頭派は、有力者に金品をばら撒いて支持を得ていた。だが、今回の損害の補填で、資産の多くを失うだろう。さらに、今後は船団に袖の下を要求するのも難しくなる」
ギルバートは、楽しげに目を細めた。
「――金を失った会頭を支持する者が、果たして何人残るだろうな」
「まあ! 怖い王太子殿下だこと」
マリアベルは大袈裟に驚いてみせた。
「……君、目が笑っているぞ」
「うふふ」
「……東の浜に小規模な港を造る計画は、王都に戻り次第、陛下にも陳情するつもりだ。そうなったら、君の仕事も増えるからな」
「……何をさせるつもりかしら?」
マリアベルは、呆れた目でギルバートを見やった。
「東の浜の小規模な新港建設に伴う予算編成だ。ああ、それから利権を取り戻した、この港の税収予想も必要だな」
「それを私一人で?」
マリアベルは唖然とした。
「……ぷっ。冗談だ」
ギルバートは笑いを堪えきれず、肩を揺らした。
「君一人に押し付けるわけがないだろう。どこかの殿下と一緒にしないでくれ」
「もう……!」
マリアベルは頬を膨らませた。
「人が真面目に聞いているのに、からかわないでちょうだい」
「ふふ。悪かった」
「全然、悪いと思っていないでしょう?」
「まあな」
「もう!」
マリアベルはぷいと顔を背ける。
「ふっ……」
「笑わないでちょうだい!」
ギルバートは、ますます楽しそうに笑った。




