43.バルトロの凋落
青ざめた顔で離宮から戻ったバルトロを待っていたのは、ギルド本部の重々しい会議室に集まった幹部たちの、刺すような視線だった。
長テーブルの上には、バルトロが震える手で持ち帰った誓約書の控えが置かれている。
内容を読み終えた幹部たちの間に、一瞬の絶句が落ちた。
――そして次の瞬間。
猛烈な怒号が、会議室に吹き荒れた。
「……正気ですか、会頭! 関税の自律調整権も、最優先の港湾使用権も差し出した!? そんなもの、我がギルドの首の皮どころか、骨まで王家に献上したようなものではないですか!」
関税の自律調整権――
これは、どの船から、どれだけの関税を徴収するのかを、王家の許可なくギルド側の判断で自由に変更できる権利だ。
ギルドはこの権利を利用し、船や積荷、時期によって関税を巧みに調整することで、莫大な利益を上げていた。
そして、最優先の港湾使用権――
この権利を与えられた船は、港がどれほど混雑していても、優先して埠頭へ着岸することが許される。
その発行権限を握っていたのが、ギルドだった。
そして会頭派の幹部たちは、その権限を悪用していた。
『早く荷を下ろしたければ、金を払え』
彼らは商人たちにそう迫り、優先権と引き換えに、密かに賄賂を要求していたのだ。
つまり、これらを王家に返上するということは――。
ギルドがこれまで握ってきた大きな収益源を王家に明け渡すだけでなく、会頭派が賄賂によって私腹を肥やす道まで閉ざされることに他ならない。
「それを……あっさり差し出したですって!?」
「挙句の果てには、毎年王家の財務官に帳簿を検分される!? これでは我々は、ただの王家の小間使いではないですか!」
怒りに拳を握りしめた幹部たちが、次々とバルトロを取り囲む。
椅子に深々と身を沈めたバルトロは、額に浮かぶ脂汗を拭う気力すら残っていない様子で、力なく首を振った。
「黙れ……! お前たちに何がわかる! ギルバート殿下は本気だったのだ! あのままでは、港が潰されていた!」
「本気ですって? 脅しに決まっているでしょう! 王家がこの港を潰せるはずありません!」
「脅しではない!」
バルトロはバンッと力任せにテーブルを叩き、立ち上がった。
その剣幕に、幹部たちが一瞬たじろぐ。
血走った目。震える声。
怒りではない。
そこにあったのは、紛れもない恐怖だった。
「殿下は……東の浜の精密な地図と、新港の建設設計図をお持ちだった! この港が使い物にならないのであれば、新たな港を造ればよいとおっしゃったのだ!」
バルトロは息を荒げ、幹部たちを睨みつける。
「もし、あそこに港を造られたらどうなる!? この港は廃れ、俺たちが握っている利権など、一文の得にもならん! ただの紙切れになるんだぞ!」
「なっ……東の浜に……新港……!?」
幹部たちの顔から、一瞬で血の気が引いた。
東の浜の開発を、裏から金と脅迫で握り潰してきたのが会頭派であることを、ここにいる幹部たちは皆、知っていた。
だが、『東の浜の精密な地図』も『新港の建設設計図』も、たった数日で用意できるようなものではない。
――つまり、王家は何年も前から、密かに新港の建設を計画していたことになる。
「断れば……我がギルドは新港に客を奪われ、干上がる。だが、受け入れれば、支配権は奪われるが、食い扶持だけは残る……。私に、それ以外の選択肢があったとでも言うのか!」
バルトロの悲痛な叫びに、会議室はしんと静まり返った。
幹部たちは互いに顔を見合わせる。
誰も、反論の言葉を見つけられなかった。
「王家に逆らえば、港そのものを失う……ということですか」
静まり返った会議室で、これまで幹部たちに詰め寄られるバルトロを静かに見つめていた副会頭のシルバが、初めて口を開いた。
「ならば、会頭の判断を責めることはできませんね」
「副会頭……」
思わぬ援護に、バルトロはぱっと顔を上げた。
「しかし――元をたどれば、会頭。あなた方が仕掛けた、『あの騒動』が原因では?」
「ぐっ……!」
「誓約書には、今回の件で港が被った損害について、会頭の個人資産からも補填すると明記されていますが……」
シルバは穏やかな笑みを浮かべた。
「どの程度の補填をお考えですか?」
「……それは……ギルドで払いきれぬ分を……」
バルトロが歯切れ悪く小さな声で答えると、シルバは一度深く頷き、
「では、全額お願いします」
そう清々しい笑顔で言い切った。
「はあ!?」
「今回の損失は、会頭方が余計な騒動を起こさなければ、発生しなかった損失です」
口をぱくぱくさせるバルトロに、シルバは笑みを崩さぬまま畳み掛けた。
「ギルドの補填費は、ギルドの売上から積み立てたもの。あなた方の失態の尻拭いを、なぜギルドの補填費で賄わなければならないのですか?」
「そ、そんなもの……払い切れるわけがないだろうが!」
「ええ。なにも、会頭お一人でお支払いになれとは申しません。今回の騒動に関わった皆様で、お支払いになればよいのでは?」
「「はあ!?」」
突然、矛先を向けられた会頭派の幹部たちが、青ざめた顔で声を上げた。
シルバは和やかに微笑みながら、言葉を続ける。
「ご安心ください。今、港には足止めを食らった商人たちが大勢おります。あなた方が溜め込んだ名品や珍品を買い取ってくれる者は、いくらでもいるでしょう」
「なっ……!」
「家具も、宝飾品も、馬も。売れるものは、すべて売ってしまえばよろしい」
シルバはにこやかな笑みを崩さなかった。
「……な、なんで俺たちまで……」
「会頭! 元はと言えば、あんたがあんなくだらない品定めをしようなんて言ったのが原因だろう!」
「そ、そうだ! 会頭の暴走に、なんで俺たちの資産まで巻き込まれなきゃならんのだ!」
「全額あんたが支払え! 俺たちは関係ない!」
会頭派の幹部たちは、一斉にバルトロへと詰め寄った。
その口調からは、つい先ほどまであった会頭への敬意が、跡形もなく消え失せていた。
「ふざけるなっ! 責任を私ひとりに押し付けるつもりか!? あのときお前たちも『若造にギルドの力を見せつけてやりましょう』と、ニヤニヤしながら賛成していたではないか!」
「いや! 俺は、贈答品にあんなに金をかけることも、わざわざ細工を施すことも反対した!」
「はあ!? お前は『贈答品に金をかけず、馬車を暴走させて泥水をぶっかけてやればいい』と言ったんだろう! そっちのほうが、よっぽど悪質ではないか!」
「だが、それなら故意だと見抜かれなかったかもしれん!」
「そんなわけがあるか!」
醜く言い争う会頭派を、シルバは冷めた目で見つめていた。
やがて、他の幹部たちと顔を見合わせると、静かに席を立ったのだった。




