41.我慢比べ
――王家とて、この港の流通が滞ることは望まない。だからきっと、明日にはいつも通りの港に戻る。
そんなバルトロの願いも虚しく、翌日になっても、さらにその翌日になっても、特別保安監査は終わらなかった。
港はまるで地獄だった――。
船は一隻も出せず、荷は一箱たりとも動かせない。商人たちは足止めされ、船員たちは仕事を奪われ、港の職員たちは対応に追われていた。
その元凶たる近衛騎士たちは――嫌になるほど几帳面だった。
「この木箱、釘が一本ぐらついている。不合格。中身をすべて取り出し、新しい木箱に入れ替えよ」
「この船のロープ、摩耗率が基準を超えている。交換が必要だ。交換後、再検査を受けろ」
「この積荷の申告書、重量の記載に二キロの誤差がある。再計量だ」
「倉庫の床に油染みがある。清掃と安全確認が済むまで使用を禁ずる」
「そ、その程度でいちいち止めるのか!?」
「安全基準を満たしていない。問題が解消されるまで、再開は認められない」
近衛騎士たちは、一切の妥協を許さなかった。
積み降ろしを止められた高級フルーツや鮮魚は、倉庫の中で次々と腐り果てていく。
損害賠償を恐れた外国の商船からは怒号が飛び交った。
「こんな港では商売にならん! 二度と使うものか!」
「納期に間に合わなければ、こちらがどれだけ損をすると思っている!」
船主たちは怒りを露わにし、次の寄港地や今後の取引先を変更する相談まで始めていた。
やがて、違約金の請求書が山のようにギルド事務所へ届き始める。
「また請求書だ!」
「こっちもだ! いったいいくら払えばいいんだ!?」
「もう無理だ! これ以上はギルドじゃ抱えきれない!」
ギルド員たちの悲鳴が、連日のように事務所中へ響き渡った。
そしてついに――
「会頭! このままでは本当に港が潰れます!」
ギルド員たちは、バルトロの邸宅へ押しかけた。
「……もうすぐだ。もうすぐ終わるはずだ」
取り囲むギルド員たちを前に、バルトロは自分自身に言い聞かせるように告げた。
「王太子殿下も、さすがにいつまでも港を止めておくわけにはいかん。今日……いや、明日にはきっと――」
「会頭!」
「もう三日目です!」
「それに我々が確認したところ、まだ半分も終わっていないと……!」
「そんな……!」
バルトロは顔を青ざめさせた。
特別保安監査が始まってから三日。
その間、バルトロは一歩も邸宅の外へ出ていなかった。
というのも、どこへ行っても、自分のせいで港が止められたのだと白い目を向けられるからだ。
商人からは恨み言を浴びせられ、船員からは露骨に睨まれる。
おまけに、街を歩けばひそひそと囁かれる始末。
大勢が集まる歓迎式典で港湾ギルドが引き起こした騒動を、今や知らない者はいなかった。
「どうにかしてください!」
「このままでは本当に港が潰れます!」
矢継ぎ早に浴びせられる声に、バルトロは額を押さえた。
「……分かっている」
分かっている。
そんなことは、痛いほど分かっていた。
◇
一方その頃――。
マリアベルとギルバートは、海辺を散策していた。
離宮からほど近い、王族専用のビーチ。
港の喧騒など、まるで別世界の出来事のようだった。
穏やかな波が白い砂浜へ寄せては返し、潮風が二人の髪をそっと揺らしている。
「……静かね」
マリアベルが、遠くの海を眺めながら呟いた。
「そうだな」
ギルバートも頷く。
その表情は穏やかそのものだった。
――港を地獄のような有様にしている人物とは、思えないほどに。
「それにしても、大胆な一手ね」
マリアベルは、くすりと笑った。
「あれぐらいやらねば、積み重なった歴史には対抗できないからな」
ギルバートは、穏やかな表情を崩さない。
「けれど、陛下がお知りになったら、青い顔をされるかもしれないわよ」
「かまわないさ。休暇ついでに視察を、と言っておいて、これほど根深い問題を抱えた地へ向かわせたのだから」
ギルバートは、呆れたように目を細めた。
「それに、判断はすべて任せる、と言われているからな。今さら異を唱えることもできまい」
「ふふっ。それもそうね」
「ああ。だが、『マリアベルが反対したときは、もう一度考え直せ』とも言われたな」
ギルバートは、ちらりとマリアベルを見る。
「だが、君は反対――」
「してないわ」
「だろ?」
ギルバートは、満足そうに頷いた。
「だったら、何も問題ないさ」
そのとき、一人の侍従が駆けてきた。
「失礼いたします。先ほど港湾ギルドの会頭より、明日の朝一番で面会をお願いしたい、と先触れがありました」
「ようやくか」
ギルバートは小さく息をついた。
「承知したと伝えてくれ」
「かしこまりました」
頭を下げて走り去る侍従の背中を見ながら、マリアベルがぽつりと呟いた。
「商人なら、もう少し決断が早くてもよさそうなものだけれど」
「まあな。それほど驕り高ぶっていたということだろう」
「そうね……」
「本当に冷や冷やさせてくれる」
ギルバートは深々と息をついた。
シーフォートは北方最大の貿易拠点だ。
ここを止めれば、港湾ギルドだけでなく、王国の交易そのものにも影響が及ぶ。
もちろん、ギルバートたちもそのことは承知していた。
シーフォートの評判が落ちれば、今後の貿易にも差し支える。
それでも、ここまでの措置に踏み切ったのは――
この港の者たちに、これまでのやり方が通用しないと思い知らせるためだった。
長年にわたって築かれた慣習と、それを当然のものとして受け入れてきた者たち。
一度や二度の注意では、それらを変えることはできない。
だからこそ、港そのものを止めるという大胆な一手を打ってでも、変わるきっかけを作る必要があった。
そして、この一度で港の隅々まで洗い出す。
王家が本気になれば、港湾ギルドとて安泰ではない――それを、身をもって知らしめるのだ。
決して、中途半端に終わらせるつもりはなかった。
つまり――これは、どちらが先に根を上げるかの勝負でもあった。
もちろん、ギルバートとて、この状態をいつまでも続けるわけにはいかない。
だが、だからといって、先に折れるつもりもなかった。
港湾ギルドが折れるのが先か。
それとも、王家がこれ以上の損害を看過できなくなるのが先か。
――それは、どちらの意地が最後まで持つかという、奇妙な我慢比べだった。
「これで明日にはお忍びに行けるかしら?」
目を輝かせるマリアベルに、ギルバートは苦笑した。
「明日……は、さすがに無理だろうな。お忍びとはいえ、警備は必要だ。この騒動が落ち着くまで、もう少し待ってくれ」
「わかってるわよ」
マリアベルは、くすくすと笑った。
「港に派遣している近衛騎士たちが帰ってきてくれないと、難しいわよね」
「……ああ、その通りだ」
ギルバートは肩をすくめた。
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