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王太子殿下、逃亡。  作者: 花日


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36/63

36.処刑されるのは

 無言で睨み合う二人。

 その沈黙を破ったのはライオネルだった。


「もういい! 伯父上のわからずや!」


「ああ。とっとと出ていけ」


 ふんっと鼻を鳴らしたグレゴールは、腕を組んでソファに深く腰掛けた。


 ――しかし、続くライオネルの言葉に、その顔から血の気が引いた。


「僕が配るから」


「は?」


「伯父上が受け取らないなら、僕が直接民に配る」


「何を……」


「レグナートからの支援です、って言って配る」


「いやいや。お前は密入国だろう? それに今、民はレグナートによい感情を持っていない。正体が知られれば、どんな目に遭わされるかわからんぞ」


 グレゴールは唖然とした。一国の王子が、ここまで考えなしだとは思わなかったのだ。


 だが、ライオネルは何も理解していないわけではなかった。


「もちろんわかってるよ。危険だってことも承知してる。でも、どうせこのまま帰っても処刑されるし、だったら、無理矢理にでも配った方がいいよね。そうすれば、救える命があるんだから」


「処刑……!?」


「うん。この任務が失敗したら縛首だって言われてるから」


 あっけらかんと言うライオネルに、グレゴールだけでなく、ヨハンもアルベルトも目を丸くした。


「誰がそんなことを……!」


 グレゴールは眉尻を吊り上げた。


 ――グレゴールにとって、ライオネルは甥だ。

 他国にいるとはいえ、血の繋がった可愛い甥。


 王太子から降ろされても腐らず、危険な任務を遂行しようとする気概のあるこいつを、処刑だなんて。


 部屋の空気が重苦しくなる中、ライオネルは顔色一つ変えなかった。


「もちろん父上だよ。だから、このまま帰るわけにはいかないんだ」


「レグナート王がそんなことを……!?」


 ――馬鹿な!


 不貞の子だと知ってからも、ノエルを無碍に扱わなかったと聞いて、懐の深いお方だと感服していた。


 それなのに、ライオネルは処刑だと!?


「お前はそれでいいのか!?」


「よくないよ! だからこの任務を成功させたいんだ!」


「……」


「てことで、この物資配ってくるね!」


「――いやいやいや! それは待て!」


「なに? まだ何かあるの?」


「…………わかった! 受け取る! 受け取って、こちらで公平に配る! それでいいだろう!?」


「……ほんと?」


「ああ。二言はない」


「やったー! ありがとう、叔父上! やっぱり優しいね!」


 無邪気に抱きついてくるライオネルを、グレゴールは苦々しい顔で受け止めながら、乱暴にその頭を撫でまわした。


 任務が達成できなければ、目の前の甥が処刑される。そんなことを聞かされて無碍にできるほど、グレゴールは冷徹な人間にはなれなかった。


  それになにより――もしこのままライオネルが、いや、レグナートの王子が、自軍の支配地域で民に直接、大量の食料を配ったらどうなるか。


「レグナートの施しなど受けない!」と拒否する者や、ライオネルに危害を加えようとする者も、もちろんいるだろう。


  だが、多くの者は――


「レグナートの王子様が助けてくれた!」


  そう歓喜し、レグナートへ感謝の気持ちを向けることになる。


 そうしてレグナート側へ傾いた民心は、たとえこの争いに勝ち、ヴァルネを平定したとしても、簡単に戻りはしない。


  ヴァルネとしても、「民を飢えから救ってもらった」以上、表立ってレグナートを批判することはできない。それどころか、自国の民の心を人質に取られることになる。


  これは「軍への支援」などよりも遥かに厄介な、政治的敗北だ。


「ヨハン! 物資の受け入れ準備を整えろ!」


「はい! すぐに!」


 ヨハンは晴れやかな顔で頷くと、駆け足で部屋を出て行った。


「じゃあ僕らは、商隊のみんなを呼んでくるよ!」


「待て!」


 部屋を飛び出そうとするライオネルを、グレゴールは低い声で引き留めた。


「レグナート王に、お前の扱いを改めるよう、書簡を書く」


「……? えっ、いらないよ」


 ライオネルは首を傾げたあと、慌てて手を振った。


「なぜだ。このような扱いは間違っている」


  グレゴールは眉を寄せた。


  「だって伯父上からの書簡なんて持って帰ったら、僕がヴァルネに来てたことがバレちゃう!」


「は?」


「だから! みんなに内緒で来たのに、書簡なんて持って帰れないよ!」


「んんん?」


  グレゴールは、しばし黙り込んだ。


「……お前、レグナート王に、この任務に赴くように言われたのではなかったのか?」


「……違うよ?」


「では誰に命じられた」


「誰にも命じられてなんかないけど……?」


 ライオネルは不思議そうに首を傾けた。


「……だが、失敗したら縛首だ、と言われたのだろう?」


 グレゴールもつられるように首を傾けた。


  部屋に、何とも言えない空気が流れる――


「……よろしいでしょうか」


  耐えきれなくなったアルベルトが、ついに声を上げた。


「殿下は誰にも告げず、荷馬車に忍び込んで、この任務についてこられたのです」


「はあ!?」


「ですから、陛下から失敗した場合の処罰について、聞かされているはずがないのです」


「……ならば……処刑の話は虚言か」


  グレゴールが冷ややかな目でライオネルを見据えると、ライオネルは目を丸くした。


「嘘じゃないよ! 『失敗したら縛首だ!』って言われたもん!」


「ええ。殿下はそのような嘘をつく方ではありません」


  アルベルトが大きく頷いた。


 ライオネルは嘘が得意ではない。

 マリアベルに、市井の浮気相手との逢瀬のあと、『視察が押して政務が間に合わない』と泣きついたときも、ギリギリ嘘ではないところを攻めたのだ。


 そうしないと挙動不審になって、すぐにボロが出てしまうから。


 だから、人の命に関わるような重大な嘘を、このように平然とした顔でつけるはずがない。


「ですから殿下。……縛(・)首(・)に(・)な(・)る(・)の(・)は(・)誰(・)ですか?」


「それは――」


 ライオネルはきょとんと首を傾げた。


「アルベルトだよ? あ、あとマケイド伯爵」


「は」


  グレゴールから、乾いた声が漏れた。


「だがお前は、『このまま帰れば処刑される。だから危険を冒してでも直接民に物資を配る』と……」


「そうだよ? 任務に失敗したらアルベルトが処刑されるんだ。でも、僕が危険を冒してでも任務を達成できれば、アルベルトの命は救われるでしょ?」


「……」


  グレゴールは言葉を失った。


  ――確かにライオネルは、『自分が無理矢理にでも物資を配れば、救える命がある』と言っていた。


  てっきり民のことを言っているのだと思っていた。


  だが、まさかそこに、自分の側近の命まで含めていたとは。


「あの……それについてですが……」


 アルベルトはおずおずと手を上げた。


「私の処分は、王宮の解雇であって、処刑ではありません」


「は?」


「へっ!?」


「この任務も、成功すれば解雇を撤回すると言われただけで、失敗したとしても、それ以上の処罰はありません。……ですから、私もなぜ殿下が縛首だと思われているのか、わからないのですが」


  三人は揃って、ぽかんと口を開けた。


「でも、すべては僕の考えの甘さが招いたことだって……失敗したらアルベルトを縛首にするって……父上が……」


「それは……」


  グレゴールは額に手を当てた。


「ええ……恐らくは……」


  アルベルトは胃を撫でた。


「えっ!? なに!? なんなの!?」


「――なにをやらかしたのかは知らないが、レグナート王はお前に、『それだけのことをしたんだぞ』と、思い知らせるために、あえて嘘をついたんじゃないのか?」


「ええ。私もそう思います」


  アルベルトには、王のほくそ笑む顔が目に浮かんだ。


「……えええっ! そうだったの!?」


「恐らくはな」


「なんだあ、じゃあアルベルトは処刑されないのかあ! 良かったあ!」


  ぱあっと表情を明るくするライオネルに、グレゴールは大きなため息をついた。


 今更ことの顛末がわかったところで、すでに動き始めている物資の受け入れを止めることなどできない。


 最初からないのならばともかく、手に入ると期待させた挙げ句、それを寸前で取り上げるような真似をすれば、兵士たちの不満や動揺を招き、軍の統制さえ危うくなる。


 グレゴールはもう一度ため息をついた。


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