35.大公の本拠地
外で待つ商隊に、他の荷馬車との待ち合わせ場所へ先に向かうよう指示を出したアルベルトは、ライオネルを乗ってきた馬車に乗せると、自ら御者台に座った。
そして馬を駆り、前を走るヨハンの後を追った。
森の奥深くへと進んでいくと、しばらくして、木々の向こうに整備された道が現れた。
「この森は、閣下が狩猟でよく利用されているのです」
ヨハンは馬を並走させながら、アルベルトにそう告げた。
「この先は、閣下の邸宅へ続いております。もう見えますよ」
そう言われて前方に目を向けると、視界が一気にひらけた。
山腹の傾斜に沿ってそびえ立つ、大公家の本拠地。
それは単なる屋敷などではない。
麓に広がる城下町と、その先に広がる大公領の広大な平野を眼下に収める、巨大な城塞だった。
華やかな装飾が施されている一方で、その造りは徹底して実用的だ。
重厚な城壁は、城下町から見上げても圧倒されるほど高く、空を突き刺すように四方へ尖塔が伸びている。
貴族の居城というより、軍を率いる大公に相応しい、巨大な軍事拠点――。
アルベルトは息を呑んだ。
だが――。城へ近づくにつれ、その威容の陰にあるものが、少しずつ見えてきた。
麓に広がる城下町は、遠目に見たときの壮麗さとは裏腹に、ひどく静まり返っている。
通りを行き交う人影は少なく、家々の戸や窓は固く閉ざされ、通りに面した店も軒並み板戸を下ろしている。
「……」
目の当たりにした窮状に、アルベルトは眉を寄せた。
しかし、追い詰められていたのは城下町だけではなかった。
城門をくぐり抜けると、さらに異様な光景が広がっていたのだ。
城内の建物の窓にはことごとく鉄格子が嵌められ、その上から板まで打ち付けられている。
さらに、本来なら美しく手入れされていたはずの広い芝生には、兵たちの野営用テントがひしめいていた。
「これは……」
肌を刺すような緊張感に、アルベルトは思わず声を漏らした。
「驚かれましたか?」
ヨハンが苦笑を浮かべる。
「王の軍勢が、この城まで攻め込んで来る可能性はゼロではありませんからね。もっとも、今のところその杞憂はありません。ご安心ください」
「……はあ」
手を上げながら兵たちの間を進んでいくヨハンに、アルベルトは曖昧に頷くことしかできなかった。
そのまま奥へと延びる石畳を進んでいくと、やがて大きな噴水が見えてきた。
しかし、そこに本来あるはずの水音は聞こえない。
中央に据えられた大噴水は水を止められ、干上がった水盤を晒すばかりだった。
そんな様子を、馬車のカーテンの隙間から、ライオネルがじっと見つめていた。
――
ヨハンの案内で、二人は城の奥にある一室の前までたどり着いた。
「少々お待ちください。閣下にお目通りをお願いしてまいります」
そう言って、ヨハンは扉の脇に控えていた兵に何事かを告げると、部屋の中へと入っていった。
「……」
廊下で立ち尽くす二人を、控えていた兵が怪しむような目でじろりと睨んだ。
アルベルトは隣に立つライオネルへ視線を向けた。
泥のついた顔。
薄汚れた服。
乱れた髪。
――この姿で、大公閣下にお会いするのか。
「殿下。せめてお顔の泥だけでも……」
アルベルトが言いかけた、そのとき。
ヨハンが扉を開け、顔を覗かせた。
「どうぞ、お入りください。閣下がお待ちです」
「……早いですね」
思わず漏れたアルベルトの声に、ヨハンは苦笑した。
「詳しいお話は、直接された方が早いかと」
そんな二人を横目に、ライオネルは迷うことなく一歩を踏み出した。
アルベルトも慌ててその後に続く。
こうして二人は、休む間もなく大公の執務室へと通された。
――
ヴァルネの地図が掲げられた壁を背に、執務机に肘をついた大公グレゴールは、入室してきたライオネルの姿を見るなり、大きく息をついた。
「……お前は一体、何をしている?」
グレゴールはライオネルの姿を頭の先から足元まで眺めた。
その有様は、とても王子とは思えないものだった。
ライオネルは一歩前に出た。
「グレゴール伯父上、ご無沙汰しています。こんな格好で申し訳ありません。でも……こうでもしないと、ここまで来られなかったんです」
そして少しも怯むことなく、グレゴールを真っ直ぐ見つめた。
「……そうか。苦労をかけたようだな」
――正規のルートが使えない今、ここまで来るには相当な苦労があったのだろう。
グレゴールは自らの軽率な発言を恥じた。
だが、それを聞いたアルベルトは、密かに頬を引きつらせていた。
――違います! 殿下がこんな格好なのは、レグナートを抜け出すためです!
心の中で盛大に突っ込むアルベルトを他所に、噛み合わない会話は続く。
「だが、こんな危険な場所に、なぜ来た?」
「……? 危険だから来たんです」
ライオネルは、不思議そうに答えた。
「……そうか。それほど心配を……」
グレゴールは、優しく微笑んだ。
その様子に、アルベルトは思わず胃を抑えた。
――殿下が城を飛び出したのは、我々密輸部隊を心配してのこと。そこに大公の名は……一度も出ていない。
「はい。とっても心配で……。だから伯父上、物資を受け取ってくれますよね?」
ライオネルの真っ直ぐな問いに、グレゴールはふっと笑みを消した。
そして、静かに口を開く。
「……その気持ちは嬉しい。だが、レグナートからの物資を受け取ることはできん」
「どうして? ここに来るまでに倒れている人を何人も見ました。中には幼い子どももいました。僕たちが持ってきた食料や医薬品があれば、救える人がいます!」
ライオネルは眉を下げた。
「それに街の様子も、この城の様子も、元気がありませんでした。お腹いっぱい食べれば、みんなきっと元気になります!」
グレゴールは、しばし黙り込んだ。
――純粋にこちらを救おうと、危険を冒してここまで来たライオネル。
その善意を、国同士の打算やしがらみを理由に無下にするのは、違うように思えた。
「そうだな……。だが、レグナートにはクラリッサのことや王の暴走で、散々迷惑をかけている。これ以上、負担はかけられぬよ」
――この綺麗な理由で納得してほしい。
そう願いながら、グレゴールは精一杯、残念そうな表情を浮かべた。
「本当に? 本当にそれだけが理由ですか?」
「ああ、そうだ。だから物資は受け取れないが、お前の気持ちは受け取った。ヴァルネの民に心をくだいてくれて、ありがとう、ライオネル。さあ、国へ帰り――」
「じゃあ問題ないよ!」
話を終わらせようとするグレゴールの言葉を、ライオネルの明るい声が遮った。
「この物資を届けるように命じたのは父上だから、全然迷惑じゃないよ! むしろ受け取ってもらえない方が、僕たちも困っちゃう」
「……そ、そうか。だが、やはり……」
「ほんとだから安心して! よし! すぐに運び入れるよ! どこに置く? このお城? 広いから、ここがいいよね!」
「ちょっと待て!」
今にも部屋を飛び出しそうなライオネルを、グレゴールは慌てて止めた。
「……これ以上、レグナートに借りを作るわけにはいかぬのだ」
「……借り?」
「そうだ」
グレゴールは苦々しく顔を歪めた。
「……ノエルのことでも、レグナートには大きな借りがある。これ以上借りを作れば、我が国はレグナートに頭が上がらなくなる」
「……だから、苦しんでいる人を見捨てるの?」
「……ッ!」
グレゴールの表情が強張った。
「殿下、お言葉が過ぎます!」
アルベルトが慌てて制止の声を上げる。
だが、ライオネルは止まらなかった。
「伯父上は、王のせいで苦しんでいる人々を救うために戦ってるんじゃないの!? それなのに、先のことばっかり考えて、今、苦しんでいる人を見捨てるの!?」
グレゴールの奥歯からギリッと音が鳴った。
「今のままじゃ、苦しむ人が増えるだけだ! ――ねえ、じゃあなんのためにこんなことしてるの?」
ダン――ッ!
「――お前に何がわかる!」
グレゴールが拳で机を叩きつけた。
「政治もわからず、王太子からも外されたお前に、口を挟まれる謂れはない!」
「わからないよ! 助けられる人を助けない気持ちなんて、僕にはわからない!」
「わからないのならば、とっとと国へ帰れ!」
「帰らない! 僕は絶対に帰らない!」
机を挟んで睨み合いを始めた二人に、アルベルトとヨハンは顔を見合わせ、オロオロすることしかできなかった。
面白い!続きが気になる!と思われましたら、是非、星やリアクション、お気に入り登録で応援お願いします!




