34.人気のない洋館で
大公派の支配地域。
深い森の奥深くに、かつて貴族の別荘だったという古い洋館が、ひっそりと佇んでいた。
「受け渡し相手と事前の確認がある」
アルベルトは商隊にそう説明すると、馬車へ戻り、ライオネルに念を押した。
「殿下は、ここで待っていてください。決して馬車から降りないように」
「……うん」
ライオネルの返事を確認すると、アルベルトは一人、洋館の中へと足を踏み入れた。
――
「……シルヴァ殿、遠いところよく来てくださいました」
冷気とカビの匂いが漂う室内でアルベルトを迎え入れたのは、大公派の要人、ヨハンだった。
ヨハンの顔には、焦燥と疲労が濃く刻まれている。
ヴァルネ王と大公グレゴールとの対立が、もはや隠しきれないものとなってからというもの、国内では両派による激しい争いが繰り広げられていた。
互いに相手の補給網を断つべく、主要な河川の橋を落とし、大きな街道には関所を設け、人と物の行き来を遮断。
補給拠点への放火や補給部隊への襲撃も頻発し、ただでさえ乏しい食料は、戦火によって次々と失われていった。
これにより民の飢えは深刻さを増し、もはやいつ、どこで民の暴動が起きてもおかしくないほど、ヴァルネの情勢は逼迫していた。
「……お疲れですね」
かつて諸国との夜会で顔を合わせたときとは、まるで別人のようにやつれたヨハンの顔を見て、アルベルトは改めて状況の深刻さを悟った。
「……ええ。このままでは、どちらの陣営も共倒れです。そうなったら……どうか、レグナートに併合を。……その方が、民にとっても幸せなのかもしれません……」
「カールハイト卿……」
「……なんてね、冗談ですよ」
そう言って笑うヨハンの笑みは、ひどく力のないものだった。
「……我々が用意できる限りの物資をお持ちしました。食料はもちろん、医薬品や毛布も。少しはお役に立てるかと」
アルベルトは表情を引き締めると、小さく頷いた。
「ありがとうございます」
ヨハンは小さく微笑んだ。だが、すぐに悲しげに眉を下げる。
「ですが……だめなのです」
「?」
「閣下が、どうしても受け取りを認めてくださいません」
「そんな……。しかし、この状況で他から物資を得る当てがあるのですか?」
大公がレグナートからの物資を望んでいないことは聞いていた。
それでも、実際に街の様子を目にしたアルベルトは、この状況ならば、さすがに受け取りを拒むことはないだろうと思っていた。
だが、どうやらその考えは甘かったらしい。
「他の当てなどありません。しかし閣下は、他国に借りを作ることに否定的で……」
ヨハンは苦しげに眉を寄せた。
「……閣下は、国を建て直したあとのことを見据えていらっしゃるのです。ですが……ここで拒めば、その未来さえ……」
拳を震わせるヨハンに、アルベルトは何も言えなかった。
部屋に重い沈黙が流れた、そのとき――
「大丈夫! 僕が叔父上を説得するから!」
場違いなほど明るい声が響いた。
ヨハンは驚きに肩を跳ねさせ、懐に忍ばせたナイフに手を掛ける。
アルベルトは胃がきりきりと痛むのを感じ、胸元を押さえた。
「誰だ!?」
するどい声を上げ、振り向いたヨハンの目に映ったのは、泥にまみれた薄汚れた官服姿の男だった。
「どこから入った!」
ナイフを取り出したヨハンの手を、アルベルトが慌てて押さえた。
「おやめ下さい! あの方は……いや、あいつは我が国の雑用係で……」
「国の雑用係……?」
部隊や商隊の雑用係ならともかく、国の雑用係とは一体なんなのか。
狼狽するアルベルトの様子に、ヨハンは目の前の怪しい男をまじまじと見つめた。
「初めまして、ヨハン殿! 雑用係の『ライ』だよ!」
ナイフを握りしめるヨハンに、男は屈託のない笑顔でにこりと微笑んだ。
ヨハン殿……?
自分はここへ来てから、一度も名乗っていない。
それに、カールハイトではなく「ヨハン」と呼ぶ者も、そう多くはない。
ヨハンは目を細め、得意げに微笑む男を見つめ――絶句した。
「…………ラ、ライオネル殿下!?」
アルベルトが膝から崩れ落ちた。
「あれっ、バレちゃった?」
「あれほど馬車にいてくださいと……!」
「シルヴァ殿! これはどういうことですか!?」
不思議そうに首を傾げるライオネルと、額に青筋を浮かべるアルベルト。そして、目を白黒させるヨハン。
先ほどの沈黙が懐かしく感じられるほどに、部屋の中は混沌に包まれた。
――
なんとか状況を理解し、幾分か落ち着きを取り戻したヨハンは、ライオネルへと向き直った。
「ご無沙汰しております、ライオネル殿下。このような落ち着かない情勢の中では大したもてなしもできませんが、閣下の居城まで案内させていただきます」
「おもてなしなんて気にしないで! 僕は雑用係のライだからね! でも、叔父上には会わせて欲しいな」
アルベルトに向かって、「うまくいったね」と言わんばかりに片目を閉じてみせるライオネルに、アルベルトはこめかみをひくつかせた。
その様子を、ヨハンは憂いを帯びた目で見つめていた。
ライオネルは意気揚々と踵を返すと、
「じゃあ、早速伯父上のところへ行こう!」
そう言って部屋を飛び出した。
「ちょ……っ!」
「お待ち下さい!」
二人は慌てて、その後を追った――
「……ライオネル殿下がこちらに来ることを、レグナート王は許可されたのですか?」
廊下を足早に歩きながら、ヨハンが声を潜めてアルベルトに問いかけた。
――こんな情勢の国に王子を向かわせるなど、どんな考えがあってのことなのか。
しかし、アルベルトの返事は、ヨハンが予想したものとはまったく違っていた。
「いいえ。殿下が密かに着いて来られて……」
「え。では、レグナートでは大変な騒ぎになっているのでは……」
ヨハンは顔を青ざめさせた。
王子が無断で国を空けるなど、あり得ないことだ。
誘拐や何らかの陰謀ではないかと、大騒ぎになっていてもおかしくない。
そして、その王子が他国に、それもつい先日国交が破棄された国にいる。
そんな事実が明るみに出れば、当然ヴァルネに疑いの目が向くだろう。
「殿下を見つけてすぐに、国には早馬を走らせました。ですから、殿下の失踪の責が貴国に向くことはないでしょう」
ヨハンの懸念を察したアルベルトは、安心させるようにそう告げた。
「そうですか」
ヨハンはほっとしたように息をついた。だが、ふと眉を寄せる。
「……ん? 見つけて……?」
「ええ。着いて来られていることを、私も知らなかったのです。国境近くで荷馬車に隠れておられるのを見つけまして……」
「……」
ヨハンはあんぐりと口を開けた。
王子が無断で荷馬車に隠れて、危険な任務に同行してきた。それを見つけた時の彼の心境を思うと……。
「殿下に悪気はないのです。ただ私を心配してくださったのです。ただ、思い込むと一直線と言いますか、周りが見えないところがおありで……」
そう言って胃を撫でるアルベルトに、ヨハンは心からの同情の目を向けた。
なにより――こんなにも後先を考えずに行動するライオネルを、大公に引き合わせてしまってよいものか。ヨハンはにわかに不安を覚えた。




