33.王の判断
その頃レグナートの王宮では、ライオネルが居なくなったことで、大騒ぎになって――いなかった。
ライオネルが姿を消した翌日。
朝食を共にしている王太子夫妻の元に、侍女が一通の書簡を持ってやってきた。
「こちら、ライオネル殿下より、昨夜お預かりしたものでございます。この時間に、王太子妃殿下にお渡しするように、と申しつかりました」
「……そう。ありがとう。確かに受け取りました」
マリアベルは訝しみながらも、書簡の封を切った。
――――
自分探しの旅に出ます。
できるだけ早く帰るので、あまり騒ぎにならないようにしてもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。
ライオネル
――――
マリアベルは、しばし無言で書簡を見つめた。
昨夜、アルベルト率いる密輸部隊が出発した。
そして、それと時を同じくして姿を消したライオネル。
そのうえ、この置き手紙。
「…………は」
思わず、乾いた声が漏れた。
――自分探しの旅。
「……絶対に違うでしょう」
マリアベルは額を抑えた。
「……どう考えても、密輸部隊と一緒だな」
マリアベルから書簡を手渡されたギルバートが、淡々と呟いた。
「でしょうね!」
マリアベルは思わず声を上げた。
「むしろ、ここまで分かりやすい置き手紙を残していくあたり、本人は隠す気すらないのではないか?」
「……いえ、きっと彼は、これで隠せていると思っているのよ……」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時にため息をつくと、王の執務室へと足を向けた。
――
「そうか」
王は書簡を一瞥すると、それだけ言って、静かに書簡を畳んだ。
そこには、驚きも焦りも見えない。
「連れ戻しますか?」
ギルバートの問いかけにも、王は落ち着いた様子で首を横に振る。
「いや、いい」
その様子に、マリアベルが訝しげに眉を寄せた。
「……まさか、陛下はご存知だったのですか?」
「そうだ。アルベルトへの処罰を告げたときの彼奴の目……あれが気になってな。その日から、影に動向を見張らせておった」
「では、ライオネル殿下がアルベルト様と共に王都を出たことも……?」
「いや、アルベルトと共に出たのではない。奴にはきっぱり断られておったからな」
「では……?」
「下手な変装をして、密かに荷馬車に乗り込んだそうだ」
「……」
二人は唖然とした。
密輸部隊に、密入者がいたのだ。
「なぜそこまでして……」
「ああ、彼奴はこの任務が失敗したら、アルベルトが処刑されると思っておるからな。じっとしておれんかったんだろう」
マリアベルの呟きに、王はくつくつと喉を鳴らした。
「処刑? アルベルト殿の処罰は、解雇では?」
ギルバートが首を傾げる。
「任務が成功すれば処罰を取り下げる。失敗したとしても、解雇になるだけだったはずですが……」
「そうだ」
王は楽しげに頷いた。
「だが、彼奴はそう思っておらん。なにせ奴には、『失敗すれば縛首だ』と言ってやったからな」
「……」
「自らの軽率な行いで、側近が処刑に追い込まれる。それくらいの荒治療をせねば、彼奴は変わらん。まあ、密輸が露見して捕縛されれば、ヴァルネで処刑される可能性もゼロではないからな。嘘は言っておらん」
王は悪びれもせず、そう付け加えた。
「ですが、それではアルベルト殿は……」
「ああ。見つけたら卒倒するかもしれんな」
王はニヤリと笑った。
「ライオネルを連れ帰ってくるのか。それとも任務を優先するのか。アルベルトは何を選ぶだろうな」
「……アルベルト殿を、試しているのですか?」
「なぜそんなことを?」
ギルバートが問い掛けると、マリアベルも困惑したように声を上げた。
「あれは優秀な男だ。今まであのライオネルが、ボロを出さずに済んだのも、アルベルトがいたからこそだろう」
王はそこで言葉を切る。
「才ある者を放逐するのは惜しい。だろ?」
楽しげな目でチラリとこちらを覗き見る王に、マリアベルは苦笑を隠せなかった。
ギルバートは小さく息をついた。
「しかし、ライオネル殿下の身に危険が及ぶのでは? それに、露見した際には国の関与が明るみになります」
「そんなことは、奴とて理解しておるだろう」
王はそう言って、静かに目を細めた。
「万一、露見したそのときには……ライオネルはもう、王族ではないだろう」
マリアベルは、ふと王の顔を見た。
先ほどまで浮かんでいた笑みは、いつの間にか消えている。
「……」
マリアベルは何も言わず、静かに息を吐いた。
◇
アルベルトは国境を越えると、密輸部隊を三つに分けた。
ここからは、それぞれ別のルートを取り、荷馬車を数台ずつ従えながら、大公派の支配地域へと進んでいくことになる。
表向きの理由は、目立たぬため。そして、万が一に備え、荷物を分散させることで全滅を防ぐためだ。
しかし、本当の目的は別にあった。
ヨハンと落ち合うことを、マケイド伯爵に悟られぬためである。
――
「なんか……みんな元気ないね」
馬車のカーテンの隙間から街の様子を覗いたライオネルが、ぽつりと呟いた。
「ヴァルネでは昨年から食料不足が深刻です。特にこの冬は酷かったとか」
向かいに座るアルベルトが、静かに答えた。
「……僕たちが持ってきた食料で、少しでも助けられたらいいね」
「そうですね。そのためにも、殿下。今回の任務について、もう一度ご説明させていただいても?」
マケイド伯爵がいる間は、任務の詳細をライオネルに話すことができなかった。
だが、今はこうして二人きりになった。
アルベルトは、ようやくその機会が訪れたことに安堵し、口を開いた。
「まず、今向かっているのは――」
「待って! 馬車を止めて!!」
しかし、ライオネルの声がその言葉を遮った。
「……どうしました?」
「あそこに子どもが倒れてる! 助けてあげなくちゃ!」
「お待ちください!」
今にも馬車の扉を開こうとするライオネルの手を、アルベルトは慌てて掴んだ。
「あの子を助けることはできません」
「……なんで? 小さな子どもだよ……!?」
アルベルトの温度のない声に、ライオネルは戸惑うように声を上げた。
「私たちは密入国者です。ここで素性を知られれば、即座に捕縛されてしまいます」
「……バレないようにするから!」
「ではこの先、同じような子どもを見かけるたびに、施しをして回るのですか?」
「……それは……」
「先ほども申し上げたとおり、ヴァルネの食料事情は非常に厳しい。この先にも、困窮した者はたくさんおりますよ」
「でも……これだけ物資があるんだから、小麦一掴みずつなら……」
「足りると思いますか? それに施しを受けられると聞けば、多くの者が馬車の周りに集まるかもしれません」
「……だったら、せめて子どもだけでも……」
ライオネルは口ごもりながらも、諦めきれないように呟いた。
「では、子どもにだけ渡しますか? 殿下が立ち去った後、その子は誰かに小麦を奪われるかもしれません。殿下が小麦を渡したことで、殺されるかもしれない」
「そんな……ッ!」
「十分あり得ることですよ。殿下の、目の前の人を救いたいというお気持ちは尊いものです。しかし、我々、人の上に立つ者は、ただ目の前の人を助けるだけではいけないのです。より多くの人々を救える方法を考えなければならない」
「そう……だね……」
ライオネルは名残惜しそうにもう一度窓の外を見つめた後、静かにカーテンを閉めた。
「伯父上に物資を届ければ、きっと……あの子も救われるよね……?」
「ええ。きっと」
アルベルトは静かに頷いた。




