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王太子殿下、逃亡。  作者: 花日


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31.夜更けの訪問者

  ギィ……


  不穏な音を立てて資料室のドアが開いた。


「殿下!?」


  滑り込むように部屋に入ってきたのは、少しでも目立たないようにしたつもりなのだろうか、地味な上着を羽織ったライオネルだった。


「このような夜更けに、何をしておられるのですか?」


  目を瞬かせるアルベルトに、ギルバート → ライオネル は勢いよく頭を下げた。


「アルベルト……! 僕のせいでごめん……! 僕が軽率に国庫の備蓄を貸し出したりしなければ、君がマケイド伯爵と一緒に、こんな任務を負うこともなかったのに」


「殿下、頭をお上げください。王族がむやみに頭を下げてはいけないと、お教えしたことをお忘れですか?」


  アルベルトは優しく微笑んだ。


「それに、もう済んだことです。私が判断を誤り、隠蔽工作を主導した。その罰として、この任務を命じられた。それだけのことです」


「済んでないよ! ヴァルネのクーデター派への密輸なんて、危険な任務だ! 僕のせいでアルベルトが……そんなの、耐えられない! ねえ、僕にできることはない!?」


「ありません」


  必死な目で見つめてくるライオネルに、アルベルトは冷ややかなほど静かに首を振った。


「いいですか、殿下。今回の任務は非常にデリケートです。ヴァルネ王には、たとえ露見しても『マケイド伯爵が独断で行ったことだ』と思わせなければならない。その一方で、大公閣下には、『レグナートが国を挙げて支援している』と理解していただかなくてはなりません」


「……どういうこと? グレゴール伯父上に、物資を届けるだけじゃないの?」


「ええ。もっとも重要な任務はそれです。では、なぜ我が国は大公閣下へ物資を届けるのでしょう?」


「それは……グレゴール伯父上に勝ってほしいから?」


「そうですね。では、なぜ大公閣下に勝ってほしいのでしょう?」


「それは今のヴァルネ王が、レグナートを狙ってるからだよ!」


「ええ、その通りです。ですが、ヴァルネ国内で王と大公閣下が争っていれば、ヴァルネはレグナートを狙う余裕などなくなります。であれば、できるだけ長く、ヴァルネ国内で争いが続いていた方が、レグナートとしては安心ではありませんか?」


「確かに……」


  ライオネルは首を傾げて考え込んだ。それから、はっとしたように顔を青ざめさせる。


「もしかして伯父上だけじゃなく、ヴァルネ王にも物資を渡すつもりなの!?」


「いいえ。両方に渡す必要はありません」


「それもそうか……。じゃあ、伯父上がこのままだと負けそうだから、ちょうどいい具合の物資を渡して、争いが長引くように……?」


「ちょうどいい具合、ですか。確かに、それも悪くありませんね」


  アルベルトはくすりと微笑んだ。


「しかし、今回は違います。陛下はマケイド伯爵に、『今まで国の備蓄を横流しして得た資金のすべてを充てるように』と指示されました。つまり、陛下は争いを長引かせるおつもりはないのです」


「んん……?」


  難しい顔をして黙り込むライオネルを、アルベルトは穏やかな目で見守っていた。


「……だめだ。お手上げ」


  ライオネルは大きく息をつくと、教えを乞うようにアルベルトを見つめた。アルベルトは小さく頷いた。


「いいですか、殿下。大公閣下を支援して早期に勝利へ導けば、新たに生まれる政権は我が国に大きな借りを作ることになる。つまり今回の支援は、ヴァルネとレグナートの間に、レグナートにとって有利な絆を結ぶことが目的なのですよ」


「ほお……」


「そして、大公閣下はもちろん、そのことを理解されているでしょう。現に閣下は、『レグナートからの支援は望まない』とおっしゃっていたそうです」


「えっ!? 断られてるのに持って行くの!?」


「ふふふ。そうですね。ただ、大公閣下と志を同じくする方々の中には、我が国からの支援を求めている方もおられます。ですので、そこを足掛かりに……。大公閣下が物資を受け取ってくださるかどうかが、この任務の一番難しいところですね」


「えー……。じゃあ、もし受け取ってもらえなかったら……」


「任務は失敗ですね」


  あっけらかんと答えるアルベルトに、ライオネルは眉を下げた。


「ですから、殿下にできることは何もありません。……こうして最後にお話ができて、嬉しかったです」


  アルベルトは穏やかに微笑んだ。


「待ってよ……! そんなの……そんなの……ッ!」


  ライオネルは唇を噛んだ。


  ライオネルには、アルベルトが「自分の命がここで潰えても悔いはない」と言っているように聞こえた。


  もしこのまま、二度とアルベルトに会えなかったら……。


  ライオネルは、最悪の想像に背筋を凍らせた。


  どうすればいい。

  どうすれば、アルベルトを危険な任務から救える?


  もう一度父上に頼む?

  ――だめだ。聞いてもらえるはずがない。


  なら、マリアベルは?

  ――さすがに王の決定を覆すことは難しいだろう。


  それどころか、マリアベルは嬉々として密輸ルートの指示を出してきそうだ。


  それなら……。


  ライオネルは必死に考えを巡らせた。


  そして、ふと顔を上げる。


  そうだ。

  自分には、まだできることがある。


  涙の浮かぶ目をハッと見開き、アルベルトの手に強く自分の手を重ねた。


「じゃあ、僕も一緒に行くよ! 僕が伯父上を説得する!」


「……は?」


  アルベルトの顔から、一瞬で表情が消えた。


  彼は自らを落ち着かせるように深く息を吐き出すと、ライオネルの手を優しく、しかし断固とした力で解いた。


「――お断りいたします」


「どうして!? 僕は伯父上と面識がある! 僕が言えばきっと伯父上だって……!」


「殿下。正気を疑います」


  アルベルトはライオネルの肩を両手で掴み、真っ直ぐにその目を見つめた。声を一段落とし、言い聞かせるように告げる。


「我が国としては、この件が露見した際に、王家の関与を否定できるようにしておく必要があります。そこに王子であるあなたが転がり込んでごらんなさい。関与を否定するどころか、国家ぐるみの反乱支援の動かぬ証拠になります」


「うっ……」


「それに、あなたが現場にいらっしゃれば、私や伯爵は『密輸の成功』ではなく、『王子の護衛』に神経を尖らせざるを得なくなります。失礼ながら、今のあなたは、おいでになるだけで……足手まといなのです」


「はっきり言ったね!?」


「事実です。……殿下。あなたのその心優しさは、尊いものです。ですが、ご自身を危険にさらす申し出は、ただの自己満足です」


「自己満足……」


  正論を叩きつけられ、ライオネルは言葉を詰まらせた。それでも、ぎゅっと拳を握りしめると、アルベルトをまっすぐ見つめる。


「……違う。僕は、アルベルトに死んでほしくないだけだ」


  アルベルトは困ったように、小さく微笑んだ。


「死にませんよ。それに私が今まで、何度隠蔽工作を行ってきたと思うのです。隠すことは得意ですから」


  唇を噛んで黙り込んだライオネルに、アルベルトは深く一礼する。


「あなたが城で無事に過ごし、王族としての公務を果たし続けること。それだけが今の私のたったひとつの願いです。どうか……お部屋にお戻りください」


  部屋に重い静寂が落ちる。


  ライオネルは唇を噛み締め、「……わかった」と小さく呟いて部屋をあとにした。


  ――しかし、アルベルトはまだ知らなかった。


  この青く甘い王子が、「アルベルトを死なせない方法」を自分なりに考え抜いた末、さらに恐ろしい暴走行動に出ることを。


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