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王太子殿下、逃亡。  作者: 花日


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28/67

28.呼び出されたマケイド伯爵

 降り積もった雪が徐々に溶け始め、市場に活気が戻ってきた頃――


 マケイド伯爵が、王都に召喚された。


「マケイド伯爵。お前には、横領の嫌疑がかかっている」


 病床から回復した王は、玉座から跪くマケイド伯爵を見下ろし、静かに告げた。


「……なんのお話でしょう」


 伯爵は額に汗を滲ませながらも、平静を装って答えた。


「お前は正式な許可を得ず、国の備蓄を借り受けた。間違いないな?」


「許可は、王太子殿下……いえ、ライオネル殿下に頂いております」


「しかし、国に正式な申請書は出されていない」


「そ、それは……王太子殿下の御許可をいただければ、それで正式な申請に代えられるものと……」


「ほう。お前は伯爵でありながら、国の規定を知らなかったと?」


 王は冷めた目で伯爵を見据えた。


 国の根幹に関わる備蓄や税、そして法に関する事柄には、当然ながら王の裁可が必要となる。


 王が不在、あるいは病に伏して政務を執れない場合には、一時的にその権限を王太子へ移譲することもある。しかし、その際には、王印もまた王太子へと預けられる。


 つまり――正式な許可として認められるには、王印が必要なのだ。


 そしてそれは、一つの領地を王から任されている領主であれば、当然知っておくべきことだった。


「王太子から許可を得た。それだけで国の規定を無視できると、本気で思っていたのか?」


「…………」


 マケイド伯爵の顔から、さっと血の気が引いた。


 王の言葉を肯定すれば、無能の烙印を押される。かといって否定すれば、故意の規定違反を認めることになる。


 どちらにしても、逃げ場はなかった。


「……きゅ……急な豪雨により……国へ申請を上げていては、民の救済が間に合わなかったのです……! 申し訳ございません……!」


「――黙れ! こちらが何も調べていないと思ったか! このようなこと、今回が初めてではなかろう!」


「――ッ!」


「こちらで確認できたものだけでも――ライオネルが王太子だったこの六年間、お前は毎年のように備蓄を借り受けておるな」


「…………」


 伯爵の背を、冷たい汗が伝う。


「さらに。国に、何度も税の軽減を申請しておる」


「…………」


「お前の領地は、天災や流行病がえらく多いようだ」


 王はそこで言葉を切り、伯爵を冷ややかに見据えた。


「なぁ、伯爵。もう少し穏やかに過ごせる地を探してやろうか?」


「そ、それは……ッ。……申し訳ありません! お許しください!」


 伯爵は額を床にすりつけた。


「許されるわけがなかろう。脱税、横領、さらには――国家反逆罪だ」


「……!?」


 王の言葉に、伯爵は真っ青な顔で弾かれたように顔を上げた。


「お前は国家備蓄を借り受けるたび、決まって市場価格が上がった時期にそれを売り、価格が下がってから同量を買い戻して返している。帳簿上は、確かに返却されている。だが――その価格差で得た利益を、すべてお前が懐に入れていたな?」


「…………」


「そして、その売り渡し先は国内だけではない。特に今年は――ヴァルネ王国に、相当量が流れている」


 伯爵は、カタカタと震え出した。


 ヴァルネでは昨年から不作が続いており、春になっても食料品の価格は下がらなかった。


 伯爵は、そこに目をつけた。


 当初、ヴァルネは友好国だった。輸送ルートも豊富にあり、なにより通商条約によって、食料品にかかる国境税もわずか。


 国の備蓄を借り受ける伯爵の手法には、元手がかからず、必要なときにまとまった量の現物を用意できるという強みもあった。


 だから、面白いように儲かった。


 この儲けに、伯爵は味を占めた。


 何度もライオネルに備蓄の貸し出しを頼み、冬に向けて少しずつ手元に蓄えていった。ヴァルネがもっとも困窮するであろう冬にこれを売れば、さらに大きな利益を上げられると踏んだのだ。


 ところが、その間に国境の緊張が高まった。


 伯爵は悩んだ。


 備蓄を流すならば、もはや正規のルートは使えない。もし見つかれば――。


 国家反逆罪。


 その言葉が脳裏をよぎった。


 だが――目の前には、莫大な利益があった。


 あのとき、手を引いていれば……。


 そう思ったところで、もう遅かった。


「どうした? 申し開きがあるならば、聞いてやるぞ?」


「……お許しを……国を裏切るつもりなどなかったのです……どうか……どうか……」


「国家反逆罪は、一族郎党連座で処刑。わかっておるな?」


「…………」


 伯爵は、声を失った。


「かわいそうにな。孫娘など、まだ幼いだろうに……」


「そんな……! あの子はまだ三つです! あの子だけでも……あの子だけは……なんとか、ご慈悲を……!」


 ――伯爵は、金が好きだった。


 自分と金。それ以外に大切なものなど、何もないと思っていた。


 子供たちにさえ、大した愛情を持たなかった伯爵だ。


 だが、孫娘が生まれて――初めて、金よりも大切だと思えるものができた。


 目に入れても痛くないほど、溺愛していた。


 その小さな命だけは、何としてでも守りたかった。


「そうは言うがな。幼い孫娘を一人残して、どうなる? 国家反逆罪でお家は取り潰され、頼れる親族すら残らぬ。一人きりで残されるほうが、かえって辛いのではないか?」


「……妻も! 子も! もちろん孫娘も! 本当に何も知らぬのです! すべては私が一人で行ったこと。どうか……私一人の咎に……!」


 伯爵は、床に額をこすりつけるように何度も頭を下げた。


 金などもうどうでもいい。


 家族を――あの幼い孫娘をなんとしてでも救いたい。


 今の伯爵にとって、それだけが最後の願いだった。


  だが、王の言葉は冷酷だった。


「ならん。国家反逆罪に情状酌量の余地はない。――連れていけ!」


  伯爵はその場に崩れ落ちるように蹲った。


  そのとき――


「お待ちください」


  声を上げたのは、これまで黙ってやりとりを見ていたマリアベルだった。


「国家反逆罪は確かに重罪。情状酌量の余地はありませんわ。けれど――幼子が死にゆくのは、胸が痛みます」


  伯爵はゆっくりと顔を上げた。


  胸の前で手を組み、悲しげに眉を下げるマリアベルを、縋るような目で見つめる。


「マリアベル、お主のその優しさは国母に相応しい。しかしな、これを許せば、また国家反逆を企む者が出るやもしれん」


  王は、マリアベルを宥めるように言った。


「では、国家反逆罪でなければどうでしょう?」


  次に声を上げたのは、ギルバートだった。


「……どういう意味だ?」


「マケイド伯爵は、決して私利私欲のために密輸を行ったのではないのです。苦しむヴァルネの民を見捨てることができなかったのです」


  手を広げ、さも慈悲深いことを語るように高らかに宣言するギルバートに、伯爵は目を瞬かせた。


「ですから、その密輸網を使って、これからもヴァルネの民を支援していただきましょう」


「……え?」


  伯爵の口から、思わず声が漏れた。


「私たちも、ヴァルネの現状には心を痛めているのです。ヴァルネの民には、なんの罪もありませんからね。しかし、王家として表立って支援することは難しい」


  ギルバートは、悩ましげに眉を下げた。


「ですから、マケイド伯爵。あなたが私利私欲でなく、人道支援のために密輸を行っていたのであれば、王家としては喜ばしいことなのですよ」


  ギルバートは、マケイド伯爵に優しく微笑みかけた。


「あなたは私利私欲のために密輸をしていた反逆者ですか? それとも、人道支援のために仕方なく密輸を行った、聖人ですか?」


  伯爵の顔が、ぱっと明るくなった。


  王太子夫妻は、自分を――孫娘を救おうとしてくれている。


  そう、思った。


「私は……私は、ヴァルネの民を見捨てることができなかったのです!」


「そうですか」


  ギルバートは微笑んだ。


「では、反逆者ではありませんわね」


  マリアベルも、優しく笑みをこぼした。


「……よかろう。お前の罪は、脱税と横領。国家反逆罪には問わん。ただし――密輸については、これまで通りお前一人の罪とする」


  王は、冷ややかに伯爵を見下ろした。


「これからも、ヴァルネの民を救ってやるがよい」


「……はい! 必ずや!」


 伯爵は深々と頭を下げた。


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