24.ライオネルのやらかし
「ライオネル殿下の字ね……」
ギルバートから指示書を見せられたマリアベルは、思わず眉間に手を当てた。
「払い出しに至った経緯について、何か聞いているか?」
「いいえ、何も」
マリアベルは小さく首を振る。
「とにかく、本人に聞くのが一番よ。私も立ち会うわ」
こうしてギルバートは、ライオネルを呼び出した。
――
「ああ、僕の署名に間違いないよ」
指示書を見せられたライオネルは、気まずげに目を伏せた。
「なぜこのような指示を!?」
「落ち着け」
思わずライオネルに詰め寄るマリアベルを、ギルバートが制した。
「予備備蓄は王室の財産。それを払い出したのであれば、相応の理由があったのでしょう。経緯をお聞かせいただけますか?」
「それは……その……マケイド殿が困っていたから……」
「はあ!?」
マリアベルの声が響く。
「で、でも! すぐに返すつもりだったんだ! マケイド殿が、今は一時的に足りないけれど、返す当てがあるからって……」
「だからって、正式な手続きも踏まずに王室の財産を貸し出していいはずがないでしょう!?」
「そうですね。――きちんとした理由があるのでしたら、国に申請を出せば良かったのでは?」
「それじゃ間に合わないって言われて……! でも、ちゃんと同じ量を返してくれるって……」
二人に詰め寄られ、ライオネルは必死に弁明を繰り返した。
「それでも、王室の財産をあなたの一存で動かしていい理由にはならないわ!」
マリアベルはきっと眉を吊り上げ、扇子の先をライオネルへ突きつけた。
「でも……! 僕にはその権限があった!」
ライオネルがばっと顔を上げて、マリアベルに言い募る。
「それは正式な手続きを踏んだ上でのことよ。そんなこと、あなただってわかっているでしょう!?」
「でも! いつもちゃんと返してくれてたし……!」
「いつも!? あなた、普段からそんなことしてたの!?」
「だって領民に被害が出るかもしれないんだよ!? 余ってるんだから、貸してあげても……!」
「余ってるんじゃないわよ! 有事に備えて備蓄してあるの!」
「――もういい。マリアベル、少し落ち着け」
ギルバートはマリアベルの背に手を当てる。
「そもそも、今回、マケイド伯爵がそれほどお急ぎだった理由は何ですか?」
ギルバートは少し間を開けて、穏やかな口調でライオネルに問いかけた。
「それは……領地がひどい豪雨に見舞われて、このままだと領民に餓死者が出るって」
「豪雨……ですか。では、返す当てとは?」
「それは……多分、他の領地から借り入れしたり?」
「多分?」
マリアベルの肩がぴくりと動く。
ギルバートは彼女の背を、ぽんぽんと軽く叩いた。
「つまり、返済計画は確認していないのですね?」
「……そうだね」
「では、豪雨の被害状況は確認されましたか?」
「それは……マケイド殿から確認して……」
「つまり、裏取りはしていない、と」
「……僕も……その……急いでいて……」
「急いでいた?」
「国を出る支度があったから……」
「は」
マリアベルの口から乾いた声が出た。
「……そうですか……」
ギルバートも、それ以上何も言えなかった。
――
「ほんと、やってくれるわ……!」
ライオネルが退出した部屋で、マリアベルは頭を抱えた。
以前から、甘い判断を下すことはあった。人を信じすぎる――いや、物事を深く考えず、鵜呑みにしてしまうところがあった。
だが、まさか王室の財産まで、己の判断だけで貸し出していたとは。
「マケイド伯爵領の豪雨についてだが……確かにマケイド伯爵から、豪雨によって収穫量が大幅に減ったため、税の支払いを免除してほしいとの嘆願が出ている。――しかし」
ギルバートは、さまざまな資料を素早くめくる。
「マケイド伯爵領に隣接する領地からは、そのような報告は出ていない」
「では、まさか――」
「……騙されていた可能性は、ある。だが、局地的な豪雨がなかったとは言い切れない」
「そうね。裏付けを取らないと……。だけど、返す当てがあると言って、未だに返していないのはなぜかしら?」
ライオネルは「いつもちゃんと返してくれていた」と言っていた。
つまり、今回が初めてではない。
これまでにも同じようなことを繰り返していたのだ。
それが今まで表沙汰にならなかったということは、少なくともこれまでは、年に一度の備蓄量の確認までに、きちんと返却されていたことになる。
「さあな。借り入れがうまくいかなかったのか、想定以上の被害だったのか……」
「あるいは、ライオネル殿下が王太子から外されたことで、マケイド伯爵が返さなくてもよいと判断した……とかね」
「まさか」
ギルバートの顔が強張った。
「……まさか、よね。きっと、返す準備はしてあるけれど、ライオネル殿下とうまく連絡が取れなかったとかで、返せていないだけよ。ええ、きっと」
マリアベルは、どこか遠くを見つめながら言った。
――その日から、マケイド伯爵の証言の裏付けをとるため、王宮内は再び慌ただしくなった。
「お前はマケイド伯爵領に行け!」
「しかし、大雪で道が塞がれており……」
「迂回路を探せ!」
「はい!」
「お前は現地責任者の帳簿と、主計官の帳簿を突き合わせろ!」
「はい!」
「お前は、現地の責任者が保管していたライオネル殿下の指示書と、現地に残っている備蓄量を照らし合わせろ!」
「は!」
「お前たちは、マケイド伯爵領から届いたこれまでの財務報告書をすべて確認し、過去の税の免除申請と、その理由を洗い出せ!」
「承知いたしました!」
――こうして調査が進められる一方で、連日の大雪に不安を募らせる民の間には、ある不満が広がり始めていた。
◇
王都の酒場にて――
「今年の冬はどうなってんだ……!」
男が、エールの入ったジョッキを乱暴に置いた。
「ああ、こんな大雪、見たことねえ」
「これじゃ仕事になんねえよ」
周りの男たちも頷きながら、ジョッキを傾ける。
そこに給仕をしていた女将が口を挟んだ。
「食料品も徐々に値上がりしてるしねえ……。うちの店もいつまで開けるか、わかったもんじゃないよ」
「それは困る!」
「ここが閉まっちまったら、俺らどこで飲めばいいんだよ!」
男たちが一斉に不満の声を上げる。
「そんなこと知らないよ!」
女将は追加のエールを、ドンッと机に置いた。
「でもよ、買い占めは禁止されたんだろ? なんで値段が上がるんだよ」
一人の男が首を傾げる。
「確かに買い占めは禁止されてるさ。だけどね、この大雪でいつ食料が足りなくなるかわかったもんじゃない。どこも足元を見て売り渋ってるんだよ」
「食料、足んなくなんのか? 俺の仲間が何人か『雪かき隊』ってのに参加しに行ったけど」
「さあね。ほんとのところは、私ら庶民にはわからないさ」
女将は肩をすくめる。
「だけど、前の王太子殿下なら、こんなときは街に降りてきて、私らの手を握って『大丈夫ですよ』って言ってくれたものだけどねえ。新しい王太子殿下は、王宮にこもってばかりで、ちっとも顔を出さない。私ら庶民のことなんて、気にかけてないんだろうさ」
「なんでえ、ちょっと前まで『新しい王太子殿下は知的でかっこいい』なんて言ってたくせに」
男の一人が女将を指差して、笑う。
「うるさいね! 結婚式のパレードで見た時は、しゅっとした男前だと思ったけどね、今思えば冷たそうな顔をしてたよ」
女将はふんっと鼻を鳴らすと、厨房に戻って行った。
――
「このように、民の間では、食料不足への不安から、王太子殿下への不信感が広がりつつあります」
「よくない流れね……」
影の報告を聞いたマリアベルは、小さく眉を顰めた。
ギルバートは王宮で、民のためにさまざまな施策を打ち出している。今回、買い占めを防げたのも、ギルバートが早急に触れを出したからだ。
なにより、備蓄が足りない原因を作ったのはライオネルであり、ギルバートはその尻拭いに奔走している。
それさえなければ、早々に備蓄の存在を明かすことができた。そうすれば、民がここまで不安を抱えることもなかっただろう。
マリアベルは机から便箋を取り出すと、さらさらと手紙をしたためた。
「申し訳ないのだけれど、これをお父様――グランフォード公爵に届けてもらえるかしら」
「は」
影は短く頭を下げた。




