25.市井の反応
一週間後――
マリアベルはギルバートと共に、凍てつく王都の大広場に降り立った。
防寒の毛皮を纏っただけのシンプルなドレスのマリアベルと、装飾のない乗馬服に身を包んだギルバート。
その佇まいは、華やかだったライオネルとは対極にあった。
「なんだ……?」
「マリアベル様もあんな格好で……」
集まった民から、戸惑いの声が上がる。
かつてライオネルならば、まずは民を見回し、優しく微笑んだだろう。だが、ギルバートは一切表情を変えなかった。
その様子に、冷ややかな視線が向けられ、不機嫌なざわめきが広がっていく。
しかし、ギルバートは一切動じることなく、飾り気のない冷徹な声で、広場に集まった群衆へ語りかけた。
「寒い中、よく集まってくれた。日々続く大雪に、さぞ不安な日々を過ごしていることだろう」
「ふん、今更出てきて何言ってんだ」
「俺たちのことなんてどうでもいいくせに」
民たちは冷めた目でギルバートを見ながら、周囲に聞こえるか聞こえないかの声で悪態をついた。
ギルバートの淡々とした声は続く。
「本日より、王宮の予備備蓄、および薪を市井へ放出する。価格は平時の三割引きで固定。買い占めを防ぐため、世帯ごとに販売量を定める」
その言葉に、広場が静寂に包まれた。
「予備備蓄を放出する」――その言葉の意味を、誰もすぐには理解できなかったのだ。
しかし、王宮の兵士たちによって、巨大な木箱や袋が次々と運び込まれると、そこかしこから歓声とどよめきが沸き起こった。
「つまり……王宮の備蓄を、三割引きで買わせてくれるってことか!?」
「それならうちでも買えるぞ!」
先刻まで不満と不安をぶつけていた民たちの、ギルバートを見る目が一変した。
「なお、食料の放出は、迂回路が開通するまでの期間限定だ。雪かき隊の働きにより、すでに半分以上の除雪が終わっている。迂回路が開通すれば、食料もこれまで通り入ってくる」
「おお……!」
「それなら、食料が足りなくなる心配はなさそうだな……!」
民たちの顔が、ぱっと明るくなった。
「ただし――。薪は冬の間、平時の三割引きでの販売を続ける。薪については、すでに複数の仕入れ先を確保しているため、冬の間も不足する心配はない」
「冬の間ずっと……?」
「仕入れ先の確保まで済ませてあるのか……」
広場に、次第に熱気が広がっていく。
「なんだ、心配しなくてよかったんじゃないか」
「ああ。安心して冬を越せそうだ」
そこへ、マリアベルの明るい声が響く。
「さあ、皆様! 炊き出しができましたよ!」
「炊き出しまで!?」
「ありがてえ!」
「今日は温かいものが食べられるぞ!」
マリアベルは自ら大鍋の前に立つと、湯気の立つスープを民に手渡していく。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます!」
「たくさんありますから、ゆっくり並んでくださいね」
マリアベルはそう言って、穏やかに微笑んだ。
そのとき、列に並ぶ男が、恐る恐る手を上げた。
「あの……家で子供が腹空かしてんだ。この大雪の中連れて来られねえし……持ち帰っちゃだめかな?」
マリアベルは穏やかな笑みを崩さないまま、ギルバートに向き直った。
「王太子殿下、いかがでしょうか?」
「構わない。むしろ、そのために用意したものだ」
「おおっ……!」
民の間に小さなどよめきが走った。
「家族の人数分を持ち帰れるように、準備してやってくれ」
ギルバートは小さく微笑んだ。
その微笑みを見て、民たちの強張っていた表情が、一斉に和らいだ。
――
王宮の私室に戻った二人は、ソファに深く腰掛けると、大きく息を吐いた。
「なんとかなったわね」
「ああ、君のおかげだ。ありがとう、マリアベル」
ギルバートはほっとしたように微笑んだ。
「全てあなたがやってきたことよ」
マリアベルも穏やかに微笑んだ。
「それでも、君が方々に呼びかけてくれなければ、備蓄の解放などできなかった。感謝しているよ」
そう、今回備蓄を解放できたのは、マケイド伯爵から備蓄が返還されたからではない。
マケイド伯爵領への調査は、大雪のため難航している。現時点では、備蓄の返還命令すら出せていなかった。
それどころか、調査の途中でこちらの動きを知られれば、不都合な真実を隠される恐れがある。そのため、マケイド伯爵にはまだ何も知らせてさえいないのだ。
ではなぜ、備蓄を解放できたのか。それは、マリアベルの働きによるものだった。
マリアベルは、王宮に仕える貴族たちや、王都周辺に領地を持つ貴族家へ、各家の備蓄から食料を提供してもらえるよう、働きかけた。
ただし、王都周辺はどこも不作。自領の民を養うだけで精一杯の家も多く、そう簡単に備蓄を差し出してくれるわけではない。
そこでマリアベルは、現物の提供を求めるのではなく、もしものときに備蓄を融通してもらう"約束"を、各家から取り付けたのだ。
迂回路は、予定通りなら間もなく開通する。そうなれば、現在の備蓄だけでも十分に乗り切れる見込みだった。
それでも、大雪の影響で工事が遅れる可能性がある以上、余裕のない状態で備蓄を解放するわけにはいかない。
始めた支援が途中で途切れるようなことになれば、市井にさらなる混乱を招くのは、火を見るより明らかだ。
そこで、万が一、王宮の備蓄が不足した場合には、各家から食料を融通してもらう。その約束を取り付けることで、マリアベルは王宮の備蓄を市井へ放出するための余裕を作ったのだ。
これは、各家にとっても、すぐに貴重な備蓄を失うことなく、王家への協力を示せるという利点があった。
何より、マリアベルの父であるグランフォード公爵が、真っ先に賛成の声を上げた。
強い影響力を持つ彼の意向に、あえて逆らおうとする者はいなかったのだ。
「それができたのも、あなたがすぐに迂回路を決めて、雪かき隊を派遣してくれたおかげよ」
マリアベルは静かに紅茶のカップを傾けた。
今回この約束を取り付ける上で、各家がもっとも気にしたのは、実際に備蓄を差し出すことになる可能性がどの程度あるのか、ということだった。
そこでマリアベルは、迂回路の開通状況や現在の備蓄量を示し、その可能性が極めて低いことを説いて回った。
そのため、強固な反対に遭うこともなく、わずか一週間で備蓄の解放にこぎつけることができたのだ。
「あとは予定通り迂回路が開通すればいいが……」
ギルバートは額に手を当て、深く息を吐いた。
さすがの彼にも、疲労の色が隠せなくなっていた。
「そうね……」
マリアベルも、ふっと息を吐いた。
――だが、二人に安息の日が訪れるのは、まだ先のことだった。
ようやく一息つけると思った矢先、思わぬ知らせが舞い込んだからだ。
面白い!続きが気になる!と思われましたら、是非、星やリアクション、お気に入り登録で応援お願いします!




