22.レオポルド
一刻後。
汚れを落とし、身体を温めたレオポルドは、応接室で王太子夫妻と向かい合っていた。
「国境には、確かに兵が集結しておりました。しかし……なにやら妙でして」
「妙、とは?」
ギルバートが眉を上げる。
「なんというか……殺気がないのです。歴戦の猛者が纏う特有の殺気が」
「殺気」
マリアベルの口から、乾いた声が漏れた。
「戦場に行くと、こう、ピリピリと肌を刺すような殺気が感じられるのです。そうすると背筋がぞくぞくして、血が騒ぐのです! ああ、来たな、と!」
レオポルドは嬉しそうに笑った。
「強者を前にしたときの、あの感覚! あれがたまらなくてですな!」
恍惚とした顔で話すレオポルドに、マリアベルは頬を引き攣らせた。
「つまり、相手に戦う意思が感じられなかった、ということですか?」
ギルバートが落ち着いた様子で問いかけた。
「ええ、まさにそれです。それに、陣を張る幕舎も十分に用意されておらず、甲冑も不揃い。どう見ても、正規兵だけで構成された部隊には見えませんでした」
「……それを先におっしゃってくださいませ」
マリアベルが思わず額に手を当てる。
「むむ。そうでしたか? 失礼いたしました。そうそう、統率する将の姿もほとんど見えませんでしたな」
ガハハと笑うレオポルドに、マリアベルが呆れたように息を吐いた。
不十分な幕舎、不揃いな甲冑、そして指揮を執る将の少なさ。
マリアベルにとっては、『殺気』という感覚的なものよりも、よほど重要な情報だった。
「では、ヴァルネの正規軍が集結していたわけではなかったと?」
ギルバートが眼鏡のブリッジを上げる。
「おそらく、半分以上は傭兵でしょう。それに、農具や錆びた槍を手にした者もおりましたから、徴兵された市民も混じっていたと思われます」
「将が少ないのは?」
「その理由はわかりません。こちらを囮に、猛者たちが奇襲を仕掛ける、という作戦もないとは言い切れませんが、そもそも軍略に明るい者であれば、雪が降ると分かっているこの時期に、わざわざ兵を集め、国境へ向かわせたりはしませんからね」
レオポルドは肩をすくめた。
「確かに妙だな……」
ヴァルネが奇襲を狙うのならば、山を越えるしかない。だが、いくら猛者といえど、雪の中を行軍するのは容易ではない。そこまでの危険を冒してまで、今、攻め込む理由があるとは思えない。
「何か狙いがあるのか……」
「国境を越えてさえくれれば、越冬特別法を盾に何人か捕虜を捕まえて尋問しようと思ったのですがね。残念ながら、寒さに震え、泥まみれの地面に座り込んでいる者ばかりでした」
レオポルドが残念そうに息を吐く。
ギルバートとレオポルドが考え込む中、マリアベルがふと口を開いた。
「まるで、軍略も知らない素人が、とりあえず兵を集めました、って感じね」
「いやいや、妃殿下。そんなまさか。きっと何か壮大な計画が裏で進行していてですね」
レオポルドが笑う。
兵を集めるには、物資も資金も山のように消費する。それだけの軍を動かす以上、相応の計画があるはずだ。軍略を知らぬ者に任せるなど、レオポルドの常識ではあり得ないことだった。
「けれど、王妃様の次兄で、軍部にも強い影響力を持つグレゴール様は、理性的な方に見えたわ」
「確かにな……。となると、軍部そのものの統率が取れていない可能性も考えられるか」
ギルバートはニヤリと笑った。
「……あの、殿下? 何かお分かりになったので?」
レオポルドが目を白黒させる。
「いえ、まだ確証はありません」
「そうですか! では、また国境へ――」
「行かなくていい!」
「そうですか……」
レオポルドはしゅんと肩を落とした。
「こほん。それで、帰路の様子はどうでしたか?」
ギルバートは一つ咳払いをすると、何事もなかったかのように話を戻した。
「すごい積雪量でした! なにしろ国境からここまで、五日もかかりましたからね」
レオポルドは目を見開き、声を張った。
「五日? それなら平常通りでは?」
マリアベルが首を傾げる。
「いえいえ! 通常ならば三日でたどり着きます!」
「……」
マリアベルは、信じられないものを見るような目でレオポルドを見つめた。
「……そうですの」
「……村や町の様子はどうでしたか?」
ギルバートが苦笑しながら問いかける。
規格外なレオポルドを相手に、話がなかなか進まない。
「ああ、あの辺りは元々豪雪地帯ですからね。国境に近いほど雪には慣れている様子で、冬籠の準備もほぼ終わっていると言っていました。ただ、この大雪が続けば、薪が足りなくなるかもしれないと」
「なるほど……。燃料の手配も必要か」
ギルバートはマリアベルへと視線を送った。
「ええ。王都でも例年以上の燃料が消費されるでしょう。――でも良かったわね。木材の輸入先を別の国へ切り替えておいて」
「ああ。ヴァルネからの輸入に頼っていては、大変なことになっていた」
二人は顔を見合わせると、ほっと息をついた。
「そうだわ。お父様の元に、新たな輸入先を決めるための資料が、まだ残されているはずよ」
「それはありがたいな。では、そこから他の輸入先を確認して、複数の地域から輸入できるように手配しよう」
「ええ。では、お父様に連絡を入れるわね」
「ああ、頼む」
「……私は! 私は何をすれば!?」
二人の間で話がぽんぽんとまとまり、今にも席を立ちそうになったところで、レオポルドが慌てて声を上げる。
「レオポルド殿は国境から戻られたばかりですから、まずは休養を取って――」
「そうね。お疲れでしょうから――」
「いいえ! 疲れてなどおりません! そもそも、こんなときにゆっくり休んでなどおれません!」
レオポルドは拳を握りしめた。
「そうですか……。では、雪かき隊の指揮をお願いしても?」
ギルバートが苦笑しつつ尋ねる。
「お任せください!」
レオポルドは勢いよく胸を叩くと、軽い足取りで部屋を後にした。
――
「良かったのかしら。雪かき隊の指揮なんて、大変な仕事よ?」
レオポルドが立ち去った部屋で、マリアベルが眉を下げる。
「本人がやる気なんだ。いいだろう」
ギルバートはすっかり冷めた紅茶のカップを、ゆっくりと傾けた。
「それにしても、今まであまり接点がなかったのだけれど、すごい方ね」
マリアベルは小さく息を吐くと、同じくカップに手を伸ばす。
「だろ? 昔からあんな感じだよ」
「あら、あなた交流があったの?」
「交流というほどでもないがな。俺が学園で一年だった頃、レオポルド殿は三年だったからな。その頃から有名だったよ」
ギルバート、マリアベル、元王太子ライオネルは、皆ほぼ同じ時期に生まれている。ただ、生まれ月の違いから、ギルバートだけ二人より一学年上だったのだ。
「……どうして有名だったの?」
「色々とあるが……。わかりやすいところでは、剣術大会で、三年間一度も優勝を逃さなかったことだな。将来は騎士団長か、と言われていたほどだったが、公爵家の嫡男だからな。結局、騎士団に入ることはなかった」
「へえ……。もったいないわね」
マリアベルはそっとカップを置いた。
「そうか? 今でも公爵家の騎士たちと、王国騎士団より過酷な任務にあたっているけどな」
「その任務を命じてる人がよく言うわ」
くつくつと笑うギルバートに、マリアベルは呆れた目を向けたのだった。




