21.予想外の事態
「寒……」
朝、目を覚ましたマリアベルは、肌を刺すような寒さに身を震わせ、自分の肩を抱きしめた。
「……どうした?」
隣で眠っていたギルバートが、眠気の抜けきらない声で訊ねる。
ヴァルネへの対応を決める会議が連日にわたって行われており、通常の政務と併せて、二人とも寝不足だった。
さらに王はそこに心労も重なり、昨日ついに体調を崩して床に伏せったばかりだ。
しばらくは、ギルバートが王に代わって国政を預かることになる。王太子となったばかりの彼に、国を背負う重責がのしかかっていた。
マリアベルはガウンを羽織ると、侍女を呼ぶことなく自ら分厚いカーテンを開けた。
「……なっ」
そこに広がっていたのは、一面の銀世界だった。
ギルバートが飛び起きる。
「嘘だろう……」
例年に比べて早い初雪。多い降雪量。
「まずいわね」
「ああ……」
二人は顔を見合わせた。
――
二人が王宮の政務室へ駆け込むと、そこにはまだ状況を把握できていない側近や官僚たちが、青ざめた顔で右往左往していた。
「殿下! まさかこれほどの雪とは……! 前例のない急な寒波でございます!」
「落ち着け」
ギルバートは即座に、中央の机に大きな王国地図を広げさせると、居並ぶ官僚たちを見回した。
「報告を頼む。現状、把握できている被害は?」
「は、はい! 昨夜未明からの大雪により、北部のエルム峠からの定期連絡が完全に途絶しました!」
「あの積雪量だ。峠は完全に封鎖されたと見るべきだな……」
「穀物の搬入は、どの程度終わっているの?」
マリアベルが資料をめくりながら問いかける。
エルム峠は物流の要所だ。
そこが封鎖されれば、今後の物資の搬入にも大きな支障が出る。
「現在までに、予定していた量の七割ほどが搬入済みです。残りも順次運び込む予定でしたが……エルム峠が封鎖されたとなると、しばらくは難しいかと」
「七割……厳しいわね。ただでさえ王都周辺は不作傾向で、例年より各地からの搬入量を増やしているというのに……」
ギルバートは卓上の地図へ視線を落とし、しばし考え込んだ。
「王都内の倉庫に、王室財産の予備備蓄があるはずだ。私が宰相府にいた頃と変わっていなければ、それで一割はまかなえる」
「……! すぐに備蓄量を確認してちょうだい!」
マリアベルの言葉に、侍従が部屋を飛び出した。
「それからすぐに兵を市場に派遣して! この機に乗じて不正な買い占めや価格の吊り上げを企む者が出るわ!」
「ああ。私から、買い占めと不当な値上げを禁じる触れを出す」
その言葉を受けて、また別の侍従が部屋を飛び出す。
「だが、問題はエルム峠だ。あそこが復旧しなければ、最悪の場合、王都に餓死者が出かねない」
「ええ。でも、いくら除雪しても、この雪では一晩でまた塞がってしまうわ。多少遠回りになっても、別の迂回路を探すほうが現実的でなくって?」
「そうだな。ならばこの道を――」
地図を指し示しながら話し込む二人を、官僚たちは驚いたように見ていた。
王が不在の中、どこまで具体的な策を決められるのかと、皆、不安に思っていたのだ。
だが、二人の口からは次々と具体的で的確な指示が飛び出してくる。
王太子がライオネルのままであれば、こうはいかなかっただろう。
彼は優しかった。だが、「民の無事を祈ろう」といった抽象的な言葉を口にするばかりで、現場が具体的にどう動くべきなのかを示すことはなかったからだ。
「冒険者ギルドと民間商人へ緊急の作業要請を出す。報奨金を用意して雪かき隊を組織し、迂回路を確保するぞ」
ギルバートは地図上の迂回路を指で強く叩いた。
「何をぼんやりしている。一刻を争うぞ。動け!」
「は、はいッ! ただちに!」
侍従たちが一斉に駆け出す。
それを合図に、官僚たちも次々と立ち上がった。
「私は市場の担当者に――」
「では、私は冒険者ギルドへ!」
にわかに慌ただしくなった室内を見回し、マリアベルは小さく息を吐いた。
――
指示を出し終えた二人は、政務室を出て執務室へと歩き出した。
大雪への対応に追われようとも、通常の政務を止めるわけにはいかないのだ。
「――殿下! ギルバート殿下ッ!」
王宮の廊下を足早に進む二人の前方から、寒さで真っ赤になった顔に息を荒らげ、こちらへ駆けてくる男の姿があった。
レオポルドだ。
上質な乗馬服はあちこちが雪と泥で汚れ、肩や髪には、払ってもなお残った白い雪がへばりついている。
「レオポルド様!?」
マリアベルが驚きの声を上げる。ギルバートも即座に足を止め、彼を迎えた。
「殿下、妃殿下、朗報ですぞ! ヴァルネは撤退いたしました!」
レオポルドは雪と泥にまみれながらも、満面の笑みを浮かべ、声を弾ませて告げた。
「そうですか! やはりこの雪で?」
「ええ。国境沿いは、こちらより早く雪が降り始めましてね。やつら、補給がままならなくなったようで、すごすごと撤退していきましたわ!」
「よく知らせてくれました。これで大雪の対処に専念できる」
ギルバートは安堵したように、ふっと肩の力を抜いた。
「国境沿いと道中の詳しい話を伺いたいのですが……。とりあえず、レオポルド殿は一度休息を――」
「いやいや大丈夫です! このままご報告いたしましょう」
レオポルドは胸を叩いた。
「……レオポルド様はお元気でも、側近の皆様が今にも倒れそうですわよ」
マリアベルが、レオポルドの背後を指差す。
レオポルドの後ろでは、彼の強行軍に付き従った側近たちが、唇を紫色にして、身体を震わせていた。
「おお、そうでしたか! では一度アイゼンバーグ家へ帰ります」
「お待ちください!」
当然のように踵を返すレオポルドを、マリアベルは慌てて引き留めた。
「今からこの状態で、外を走るおつもりですか!? 死んでしまいますわよ」
「いや、すぐそこですから」
レオポルドはきょとんと首を傾げる。
「いけません! 皆を暖炉のある部屋へ!」
マリアベルが控えていた侍女に命じると、侍女は力強く頷いた。
「風呂の準備もしてやってくれ」
ギルバートも苦笑して続ける。
そんな二人に、レオポルドの側近たちは、拝むように手を合わるのだった。




