19.ノエル
「お呼びと伺い、参りました」
入室してきたノエルを、王はしばし黙って見つめた。
ノエルが実子でないと知ってから、こうして二人きりで、真正面から顔を突き合わせたのは初めてのことだ。
歳の割にがっしりとした体躯。太く硬い髪……。
――こうして見ると、なぜ今まで疑いもしなかったのか不思議に思うほど、ノエルには自分の面影がなかった。
「はあ……」
王の口から、深いため息が漏れた。
「……父上?」
ノエルが困惑したように声を上げる。
「ああ……すまんな」
王は机の引き出しから、一枚の紙を取り出すと机に滑らせた。
「お前にはこれに署名してもらう」
「これは……?」
「王位継承権の放棄を認める書類だ」
「王位……。それは……ギルバート様が王太子になられたからですか?」
ノエルは眉を顰めた。
「……なぜそう思う」
「それは……ギルバート様と僕は、母上が違いますから……その……僕を疎ましく思っていらっしゃるのかと……」
王は小さく息をついた。
やはり、この子には全てを話さなければならない。
中途半端に理由を伏せれば、いずれ遺恨を残すことになるだろう。
「違う。ギルバートが王太子になったから、お前に継承権を放棄させるのではない」
「だったら、どうして……?」
「……長い話になる。ひとまず、座れ」
王は侍女を呼び、紅茶の手配を頼むと、ソファへ移動して腰を下ろした。
そして、向かいの席をノエルに示す。
侍女が紅茶を入れる間、王は一言も話さなかった。
ノエルもまた、何か尋ねようとしては口を閉ざし、落ち着かない様子で、ただ王の顔をちらちらと窺うことしかできなかった。
やがて扉が閉まり、部屋に二人きりになると、王は、目の前に座るノエルを静かに見つめた。
「……今から話すことは、お前にとっては酷な話だ。全てを受け止めきれぬだろう……。だが私は、王の名において、包み隠さず、真実だけを述べると誓おう」
ノエルは目を見開いた。
『王の名において誓う』――その言葉がどれほど重い意味を持つのか、王族として育てられてきたノエルは理解していた。
誓いを違えれば、王の座を追われることさえある。
それほどの覚悟を示す、最上級の誓いの言葉だ。
ならば、これから父が語ろうとしていることは、一体どれほど重大なことなのか。
ノエルは、知らず知らずのうちに息を呑んでいた。
「お前が事情を知らなければ、これから先、お前を担ぎ上げて良からぬことを企む者が現れるかもしれん。だからお前には、全てを話す」
真っ直ぐな王の目に射抜かれ、ノエルはみるみる顔色を悪くする。
心臓がどくどくと嫌な音を立てる。
これから告げられるのは、決して良い話ではない――そのことだけは、ノエルにもわかった。
思わず俯き、黙り込んだノエルに、王はふっと目元を緩めた。
「ただ、知っておいてほしい。お前には一切の咎がない。そして母も……この私も、お前のことを変わらず愛している」
先ほどまでの張り詰めた声とは違う、穏やかな声音に、ノエルはぱっと顔を上げた。
そこにあったのは、いつもノエルに向けられていた、厳しくも優しい父の眼差しだった。
ノエルは、詰めていた息を、ふっと吐き出した。
しかし――。
直後に告げられた真実に、ノエルは再び息を詰めることになる。
◇
王との話を終えたノエルは、自室でただ呆然としていた。
自分が父の子ではないなど、考えたこともなかった。
何より、いつも自分を慈しみ、惜しげもなく愛情を注いでくれていた母が、家族を裏切り、国を売ろうとしていたなど、到底信じられることではなかった。
きっと何か事情があったのだ。母が、ただ恋情に駆られたという理由で、こんなことをするはずがない。
ノエルは王に「母に会いたい」と願った。
どうしても母から直接話を聞きたかったのだ。
しかし、その願いが聞き入れられることはなかった。
それになにより――。
「母上は……どうなるのですか?」
震える声で問うたノエルに、王はただ目を伏せるだけだった。
――このままでは、二度と母に会えなくなるのではないか。
考えるほどに、胸の奥がキュッと痛んだ。
ノエルは膝を抱え蹲ると、溢れ出る涙を袖でゴシゴシと拭う。
「母上……」
その小さな声に応える者は、いない。
「母上……!」
何もしないでいたら、本当に母が消えてしまいそうだった。
――会わなければ。
その夜――
ノエルは部屋を抜け出した。
◇
「行ったか……」
「は。現在、ノエル殿下に気取られぬよう、護衛五名が密かに付き添っております」
「では予定通り、北の塔の出入り口の鍵を開け、護衛を引かせろ」
「承知いたしました」
黒づくめの服に身を包み、深くフードを被った男――王室に仕える『影』の一人は、王の前で頭を下げると、音もなく姿を消した。
「……大丈夫でしょうか」
ソファに腰掛けていたギルバートが、小さく呟いた。
「なんの心配だ?」
窓の外を眺めていた王が、振り返る。
「あの子はまだ十歳です。信じていた母の知らない一面を知った今、落ち着いて彼女と向き合えるのでしょうか」
「無理だろうな」
王は当然のことのように言った。
「それでも、ノエルがこの事実を受け入れるには、クラリッサ自身の口から話を聞くしかない。それも、自ら行動し、自分の力で真実を聞き出したのだと、ノエル自身が思えることが大切だ」
反逆の罪に問われている者との面会を、そう簡単に認めるわけにはいかない。
ましてやノエルはまだ十歳。たとえ特例で認めたとしても、面会には多くの護衛を立ち会わせることになる。
それでは、ノエルがクラリッサから真実を聞き出すことは難しいだろう。
それに、こちらが用意した場で真実を聞かせれば、後になって「あれは父上が用意した筋書きだったのではないか」と、疑念を抱く可能性もある。
「しかし、クラリッサ様がノエル殿下に真実を語るとは限りません。最悪、ノエル殿下の怒りの矛先がこちらに向くよう、誘導する恐れも……」
ギルバートは眉を寄せた。
「そうだな……。正直なところ、今のクラリッサが何を考え、どのような選択をするのか、私にはわからん」
王は小さく息をついた。
「それでも、ノエルの居場所はレグナートにしかない。――今、私がノエルを切り捨てれば、あの子はヴァルネへ向かうだろう。だが、ヴァルネの王がノエルを慈しむか? 実の妹さえ駒のように扱う男だ。戦争の旗印に利用されるか、あるいは今回の騒動の元凶として、すべての責を負わされるか……。いずれにしろ、あの子が平穏な生活を送れるとは思えん。クラリッサとて、それは理解しているはずだ」
「母の愛に賭ける、ということですか……」
「ああ。――もしものときは、ノエルを切り捨てる」
王は窓の外へ視線を戻した。
その横顔には、王としての冷徹な覚悟が浮かんでいた。




