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王太子殿下、逃亡。  作者: 花日


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17/63

17.不穏な動き

  結婚式から二ヶ月が過ぎ、冬が間近に迫った頃――


  辺境伯家から届けられた知らせに、レグナートの王宮は騒然となった。


『ヴァルネ王国に不穏な動きあり。国境の兵の増員を確認』



  ――



「……ヴァルネめ」


  急遽招集された五公爵家の面々を前に、王は憎々しげに唸った。


「使者どころか、弁明の書状ひとつ届かない。どうするつもりかと思っていましたが……どうやらヴァルネは、こちらの要求に屈するつもりはないようですね」


  王太子として会議に参加していたギルバートが、静かに眼鏡を押し上げる。


「ふざけおって……」

「開き直るつもりか!」


  評議の間に、怒りの声が飛び交う。


  ―― ここに至るまでの王妃への聴取によって、ヴァルネの企みはすでに明らかになりつつあった。


  その企みが具体的に動き始めたのは、王妃がノエルを懐妊した頃。


  だが、ヴァルネとの間には、それ以前からいくつかの不自然なやり取りがあった。


  その一つが、避妊薬の取り寄せだった。


  避妊薬――それも王侯貴族が用いるような効果の高いものは、それなりに高価である。何より、街の薬屋で気軽に買えるような品ではない。多くは、お抱えの薬師に人目を避けて調薬させるものだ。


  それを王妃は、ヴァルネから定期的に取り寄せていた。


  つまり、少なくともヴァルネ側には、王妃がそれを必要としている事情を把握し、便宜を図っていた人間がいたことになる。


  そしてノエルは、生まれて間もなくヴァルネへと預けられた。表向きの理由は、三ヶ月の早産だったノエルに十分な療育が必要だったため。


  しかし、王妃への聴取によって、それが偽りだったことも判明している。


  ノエルは三ヶ月の早産などではなく、正産期に生まれていた。


  では、なぜ一年もの間、ノエルをヴァルネに預ける必要があったのか。


  それは、ギルバートが予想した通り、ノエルの成長をレグナートの目から隠すためだった。


  三ヶ月の早産であれば、特に出生から一年ほどの間は、正産期に生まれた子どもとの成長の差が顕著に表れる。その成長過程をレグナートで見られれば、早産という嘘が露見する恐れがあったのだ。


  そして、その可能性を指摘したのがヴァルネから派遣された医師団だった――と、王妃は証言した。


  つまりヴァルネは、医師団を派遣した時点で、ノエルが王の子ではないと知っていたのだ。


  また、ノエルがヴァルネに預けられるとき、王妃は「少しでもノエルと一緒にいたい」と王に頼み込み、ノエルと共にヴァルネへと向かった。


  そしてノエルをヴァルネに預けた後、わずか二ヶ月ほどでレグナートに戻った。


  移動に要した日数を差し引けば、王妃がヴァルネで過ごしたのは、ひと月にも満たない。


  それでも無理を押してヴァルネへの旅に付き添った――。


  自分が追い詰められてなお、ノエルを気にかけていた王妃だ。

「ノエルと少しでも一緒にいたい」という言葉も、決して嘘ではなかったのだろう。


  だが、それだけではない。


  王妃には、どうしてもヴァルネへ赴かなければならない理由が、もう一つあった。


  それは不貞相手であり護衛騎士でもあったルシアンを、怪しまれることなくヴァルネへ戻すことだった。


  ノエルは生まれた時から、ルシアンと同じ色をその身に受け継いでいた。このままルシアンを側に置き続ければ、ノエルとの血縁を疑う者が必ず現れる。


  王妃は、それを恐れたのだ。


  だからこそ王妃は、ノエルとともにヴァルネへ向かうことを望んだ。


  ルシアンを護衛として同行させれば、これまで側に置いていた彼を、何の不自然さもなくレグナートから連れ出せる。


  そう考えたからだ。


  そして、それから一度もルシアンはレグナートに姿を現していない。


  かといって、ヴァルネで罰を受けた様子もない。


  今もなお、騎士としてヴァルネに仕えている。


  なぜ、王妃の護衛騎士という名誉ある立場を失った男が、何の咎めもなく、今なおヴァルネの騎士として仕えていられるのか。


  ――ヴァルネは、ルシアンがレグナートから戻ってきた理由を把握していたのではないか。


  だからこそ、彼を罰することも、騎士の身分を取り上げることもしなかったのではないか。


  まるで、ルシアンの行為を咎める理由など、最初から存在しなかったかのように。


  そう――まるで、ルシアンの行為が、ヴァルネにとっては想定外のものではなかったかのように。


  一体いつから、ヴァルネはこの企みを巡らせていたのか。


  王妃は、ノエルの妊娠に気づいたとき、自らヴァルネへ助けを求めたのだと証言していた。


  それがすべての始まりだったのだ、と。


  そして、一度その手を取ってしまえば、もう後戻りはできなかった――と悔いていた。


  だが――いくつもの事実が、その証言に疑問を投げかける。


  妊娠が判明してすぐに派遣された、隠蔽のための医師団。


  ノエルが生まれてすぐに届けられた、『男は頂を目指した』という符牒が隠された手紙。


  そして、ヴァルネへ戻ったルシアンの処遇。


  どれも、王妃が助けを求めてから急遽用意されたにしては、あまりにも手際がよすぎる。


  まるで、王妃が助けを求めることを、ヴァルネは最初から待っていたかのように。


  何より、王妃が避妊薬の服用をやめた経緯にも、ヴァルネが関わっていた。


  王との第二子をなかなか授からないことを不安に思った王妃は、ヴァルネへ相談の書簡を送った。


  すると、返ってきたのは――長期間にわたる避妊薬の服用によって、懐妊できない体になっている可能性がある、と記された書簡。


  さらに、『今後も避妊薬を服用すれば、肌や髪によくない影響が出るかもしれない』とも書かれていたという。


  すでに懐妊が難しい体になっているのなら、肌や髪に悪影響を及ぼしかねない避妊薬を、これ以上服用する必要はないのではないか。


  そう考えた王妃は、ルシアンとの逢瀬を再開した後も、避妊薬を服用しなかった。


  だが――その結果、王妃はルシアンとの子を身籠った。


  それがヴァルネの思惑通りだった可能性は、否定できない。


  残念ながら、その書簡は王妃が読み終えると同時に、「私の体に関することだから」と、その場で燃やしてしまったという。


  頻繁に届く侍女からの書簡を、その都度燃やしていれば、目にした誰かが不審に思っただろう。


  だが、王妃が燃やしたのは、医師団から届いたというその一通のみ。


  王妃が第二子を懐妊できないことを悩んでいるのは周囲も知っていた。そのため、「お体に関わることならば」と、誰もその行動を不審には思わなかった。


  そのため、ヴァルネからそのような助言を受けたことを裏付ける証拠は、今のところ王妃の証言以外には残っていない。


  それでも、その証言はレグナート側の疑念を、かえって深めることになった。


  もちろん、王妃が自らの罪を少しでも軽くするため、「自分は首謀者ではない」と主張している可能性もゼロではない。


  だが――これまでに明らかになった事実を並べれば、王妃一人の独断だったとは考えにくい。


  そもそも、たとえ首謀者でなかったとしても、王妃という立場にありながら不貞を犯し、それを隠した挙げ句、国を危機に陥れる工作に手を貸した。その事実は揺るがない。


  いずれにせよ、王妃への処罰が軽くなることはないだろう。



  ――そんなヴァルネが、謝罪どころか兵を動かしたのだ。

  レグナートが憤るのも当然だった。


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