16.ヴァルネの兄弟
グレゴールはヴァルネへ戻ると、その足で王宮へ向かった。
しかし、王宮内がどこか慌ただしい。
(なんだ……?)
胸騒ぎを覚えたグレゴールは、足早に歩く侍女を捕まえる。
「なにがあった?」
「私どもも詳しくは……ただ、大規模な兵の招集があるそうで、それに向けた準備をするよう命じられております」
「なんだと?」
グレゴールは眉を寄せる。
軍において相応の発言力を持つ自分が不在の中、大規模な兵の招集が行われようとしている。
それほどの事態が起きたというのか。
グレゴールは王の元へ急いだ。
――
「おお、グレゴール。待っておったぞ」
グレゴールが執務室にたどり着くと、王は机いっぱいに広げた大きな地図を眺めながら、グレゴールを手招いた。
その顔に焦りはない。それどころか、どこか楽しげですらある。
「陛下、私も色々と報告せねばならぬことがあるのですが……一体何があったのです?」
グレゴールは地図に目を落とす。
「ああ、どこから攻めるべきかと思ってな」
王は地図の一点を指で示した。
「――レグナートを」
「は?」
「この平原を決戦の地とするか……いや、やはり山間から奇襲を仕掛けるべきか……お前はどう思う?」
驚きに目を見開くグレゴールを尻目に、王は明るい声で続ける。
「お前の意見が聞きたかったのだ。お前は軍略にも通じている。何より、つい先日までレグナートにいたのだ。どこか綻びはなかったか?」
「ちょ……ちょっとお待ちください! いつの間にレグナートと戦うことになったのです!?」
グレゴールには、何が起きているのかさっぱりわからなかった。
つい先ほどまで、自分はレグナートにどれほどの賠償をし、どう謝罪すれば関係を修復できるのかと考えていたのだ。
それがなぜ、レグナートを攻め落とす方法を考えねばならないのか。
王は椅子の背もたれに身を預けると、
「ああ。お前のおらぬ間に、レグナートから使者が来おってな。クラリッサを捕縛しただの、我が国が内乱工作を行っただの、好き勝手に喚きおったのだ」
と、不満げな顔を隠すことなく言った。
「それについては、私もレグナートで聞きました。それに、クラリッサとも直接話しました。……では、陛下はこの件に関して、何もご存知でないのですね?」
グレゴールはどこかほっとしたように問いかけた。
しかし、王は答えることなく椅子から立ち上がると、グレゴールに詰め寄る。
「お前、クラリッサと話したのか!? あいつ、どこまで喋っておった!?」
「……!?」
グレゴールは目を見開いた。
「陛下……いや、兄上。それは……どういう意味ですか……!?」
「お前は相変わらず察しが悪いな。あいつが余計なことさえ言わねば、こちらは知らぬ存ぜぬで切り抜けられたのだ。にもかかわらず、レグナートは証拠を掴んだかのような口ぶりだった。あいつが何かいらぬことを言ったのだろう!?」
「……つまり……クラリッサに口を割られては困るような事実が、ある……と?」
グレゴールが信じられないようなものを見る目で王を見つめると、王は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「ふん。好機があれば、内部工作を仕掛けるのは当然のことだ」
「兄上が関わっておられたのですか……!? ですがそれならば何故、レグナートに攻め込むなど!」
グレゴールは困惑した。王が本当にそんな馬鹿な計画に関わっていたことにも衝撃を受けたが、それ以上に、その事実を隠すどころか、レグナートに攻め込もうとしていることが理解できなかった。
「……レグナートは我が国を属国にするため、攻め込む隙を探しておったのだ」
「は?」
「その証拠に、クラリッサの血を引くライオネルは王太子から外された」
「いや……それは……」
「ノエルが新たな王太子に選ばれることもなかった」
「ですからそれは、クラリッサの工作が明るみになったからで……!」
「お前は本当に察しが悪いな! クラリッサの工作が先だったのか、レグナートが我が国を狙っていたのが先だったのか――そんなこと、周りにはわからんのだ! ならば、我々が先に仕掛けられたことにしてしまえばよい!」
「……」
グレゴールは言葉を失った。
王はそんなグレゴールを気にする様子もなく、拳を握りしめる。
「ここで手を打たねば、我が国は莫大な賠償金を支払うことになる。さらには、周辺国からの非難も免れぬだろう。ならばこそ! ここで引くわけにはいかぬのだ!」
その様子からは、『自らの決断こそが国を救うのだ』と、信じて疑っていないことが伝わってきた。
「兄上……! 落ち着いてください。落ち着いて、よく考えてください。兄上がおっしゃっていることは、ただの詭弁です。そんなもの、誰も信じはしません」
グレゴールは眉を下げ、必死に語りかけた。どうか兄に、自分の言葉が届いてほしいと願いながら。
だが王は、グレゴールを小馬鹿にするように口の端を上げる。
「信じておるよ。少なくとも、この国の貴族たちはな。今も『国を守るのだ』と息巻いて、戦の準備を始めておる」
「……!? それは、兄上の話しか聞いていないからでしょう!? 後々ヴァルネが仕掛けた側だったと知れば、大義のない戦に加担したことを後悔する者も出るはずです!」
「そうなったとて、そのときにはもう止まれはしない」
王は淡々と言い切った。
「……! 戦になれば多くの人が傷つきます。兄上は民が傷ついてもよいのですか!?」
「だからこそ、こちらから攻め込むのだ。我が国が戦場になるより良かろう。それに民とて、他国の言いなりになるような弱気な王より、自国を守るために立ち上がる高潔な王を求めておるのだ」
「高潔……?」
グレゴールは眉を寄せた。
「他国に恥知らずな内部工作を仕掛け、それが露見すれば戦争を始める王が、『高潔』ですか……?」
王の眉がぴくりと動く。緩やかに吊り上がっていた口元から、笑みが消えた。
「やかましい! お前が何を言おうとこの流れはもう止められぬ! 余計な口出しばかりするのならば出ていけ!」
「……わかりました。もう何も申し上げません。後悔しますよ、陛下」
グレゴールは踵を返すと、静かに部屋を出て行った。
これから自分に何ができるのか――そのことだけを考えながら。




