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王太子殿下、逃亡。  作者: 花日


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15/62

15.結婚式

  秋晴れの空の下――


  王太子ギルバートとグランフォード公爵令嬢マリアベルの結婚式が、厳かに執り行われた。


  王都の大聖堂から祝福の鐘が鳴り響き、高く澄み渡る空へと鳩の群れが飛び立っていく。


  白銀の刺繍が施されたドレスの裾をかすかに揺らし、マリアベルは静かに息を吐いた。隣に立つギルバートの大きな手が、優しく彼女の手を包み込む。


「緊張してるのか?」


  少し低い、けれどどこか甘さを含んだ声が耳元に届く。

  見上げると、ギルバートは茶目っ気を含んだ眼差しでマリアベルを見つめていた。


「ほっとしてるのよ」


「だろうな」


  マリアベルが肩をすくめると、ギルバートはふっと笑った。


  大聖堂の重厚な扉が開かれ、二人は並んで足を踏み入れる。


  一歩足を踏み入れた瞬間、肌を刺すような静寂の中に、パイプオルガンの重厚な音色が響き渡る。高い天井へと続く大理石の床の両脇には、王国全土から集まった有力貴族たち、そして絢爛豪華な異国の衣装や礼服に身を包んだ他国の使節たちが、整然と列をなしていた。


  その中には、ヴァルネ王国からの使者として、太公グレゴールの姿もあった。


  その表情にはどこか翳りが見えるものの、表面上は穏やかな笑みを保っていた。


 ――理性的な方で良かったわ。


  その姿を視界の端に捉えながら、マリアベルは粛々と足を進める。


  これまでグレゴールから婚礼を辞退する申し出も、離宮を出たという報告も届いてはいなかった。

  それでも、実際にこの場へ姿を現すまでは、気を抜くことはできなかった。


  入場前にグレゴールの参列を聞かされたマリアベルは、そこでやっと胸を撫で下ろしたのだった。


「神の名において、ここに二人の婚姻を宣言する――」


  大聖堂を包む万雷の拍手の中、二人は晴れて夫婦となった。



  ◇



  その日の夜――


  婚姻にまつわる一連の行事を終え、明朝、王宮を発つための準備を侍従たちに命じたグレゴールは、離宮にあてがわれた自室へ戻った。


  一人になると、深く息を吐き、椅子に腰を下ろす。

  そして両手を組んだまま、項垂れるように俯いた。


  グレゴールの脳裏には、今日目にした光景が何度もよぎっていた。


  王太子の座から退けられたライオネル。

  王妃の席に座る、妹ではない女性――。


  それを目にしても、列席した使節たちがざわめくことはなかった。

  彼らもまた、すでに事情を知らされていたのだ。


  クラリッサの罪がどこまで明らかにされたのか、ヴァルネの関与について説明がなされたのか、グレゴールには確かめようがない。


  だが、かつてなら王妃の親族として上座に案内されていたはずのグレゴールは、その席から遠ざけられていた。

  そして、祝宴の席で彼に向けられる視線が、どこか冷ややかに感じられたのも、思い過ごしではないだろう。


「ふう……」


  グレゴールは目を閉じ、再び深い息を吐いた。


  今日、再び目にしたノエルは、やはりルシアンにそっくりだった。


  黒い髪に灰色の瞳を持つルシアン。

  ノエルの髪も、光の加減によってはクラリッサと同じ藍色に見えたが、ほとんど黒に近い。そして、その瞳は灰色だった。


  なにより、顔立ちが瓜二つなのだ。切れ長の目に、すっと通った鼻筋。薄い唇。


  きっと二人が並んで立てば、十人が十人、「親子だ」と言うだろう。


  何の罪もないノエルのことは、守ってやりたい。だが、ルシアンは救いようがない。


  王妃と長年にわたり不貞関係を持ち、その間に子まで成したのだ。もはや言い訳のしようがなかった。

  レグナートに対する誠意を示す意味でも、早急にその身柄を引き渡さなければならないだろう。


  そもそも、ヴァルネがどこまで関与していたのか……。

  クラリッサの話を聞く限りでは、まるでヴァルネ王国そのものが、この計画の音頭を取っていたかのようだった。


  恋に溺れた愚かなクラリッサを利用し、ノエルを王位につける。

  レグナートの王家と貴族の結束を崩し、国内に混乱を引き起こす。

  そして、その隙を突いてヴァルネがレグナートへ侵攻する――。


  もし、それが本当にヴァルネ王国の意思だったのなら――。


  グレゴールの背筋が粟立つ。


  王である兄は、昔から自己顕示欲の強い人間だった。

「歴史に名を残す王になる」――そう口癖のように言っていた。


  もし兄がレグナートを属国にできれば、版図を広げた王として歴史に名が残るだろう。


  だが――このような汚い謀略をもって版図を広げたところで、待っているのは周辺国からの非難と、ヴァルネへの不信だけだ。


  ヴァルネが諸外国から孤立すれば、兄は『版図を広げた王』としてではなく、『国を滅ぼした王』として歴史に名を残すことになりかねない。


  それは兄とて理解しているだろう。

  それに、貴族たちがそこまでの横暴を許すはずもない。


  だから、きっと一部の愚かな者が、秘密裏にクラリッサへ手を貸していたのだ。

  クラリッサは拘束されて心身ともに不安定になり、あんなことを口走ったのだ。


  ……だが。


  ノエルの出生を隠蔽するなど、相応の権力がなければできはしない。


  出生記録を改竄し、王家に関わる記録まで操作する。

  それほどのことを、末端の者たちだけで成し遂げられるとは思えない。


  グレゴールは最悪の可能性を、頭を振って追い出した。


  今、彼にできることは、一刻も早くヴァルネへ戻り、今回レグナートで起きた騒動について報告し、事実関係を調査することだけだ。


  レグナートには正式な謝罪をし、相応の賠償を行うことになるだろう。

  その調整役は自分がやればいい。

  兄の代わりに、自分が頭を下げよう。


  グレゴールはそう決意していた。


  ――しかし。


  その決意を胸にヴァルネへ戻ったグレゴールを待ち受けていたのは、予想もしない事態だった。



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