12.二人きりの面会
「どうであった?」
グレゴールの元を辞したエドガーは、その足で王の執務室へと向かった。
執務室には、机に向かって腰掛ける王と、その後ろに控えるように立つ、王太子ギルバートの姿があった。
「大公閣下は何もご存じないでしょうな」
先ほどまでの柔和な表情を消したエドガーは、冷静な眼差しで告げる。
「……そうか」
王は小さく息を吐いた。
「王妃が拘束されていると知ったときも、罪状を不義密通と伝えたときも、どちらも不自然な反応はありませんでした。間近で瞳孔の確認もしましたが、あの驚きと怒りは演技ではないでしょう」
「ひとまず安心……か」
エドガーの報告に、王はギルバートへと視線を向ける。
「ええ。何もご存じないのであれば、婚礼の場で何かを企むこともないでしょう。少なくとも、こちらが大公閣下の動向まで警戒する必要はなさそうです」
「私も同意見です。最低限の見張りは必要ですが、過剰に警戒する必要はないかと」
エドガーも頷いた。
「それから、大公閣下が王妃殿下との面会を希望されています。いかがなさいますか?」
「ふむ……本人から直接話を聞きたいのだろう。面会は許そう。ただし、護衛を複数配置せよ。怪しい言動を見逃すな」
――こうして三日後、グレゴールと王妃クラリッサの面会が行われることとなった。
◇
人払いされ、しんと静まり返った王宮の廊下を、グレゴールはエドガーの先導を受けて歩いていた。
たどり着いたのは、貴賓との密談にも使われる王宮の応接間。重々しい木製扉の両脇には、護衛が四人、静かに佇んでいた。
身体検査を受け、腰の剣を渡すと、エドガーが扉を開ける。
「どうぞ、お入りください」
グレゴールが室内へ入ると、中でぽつんと佇む王妃クラリッサが、ゆっくりと顔を上げた。
「……お兄様」
小さく握りしめられた手が、かすかに震える。
エドガーは落ち着いた様子で室内を見回し、二人を一瞥すると、静かに口を開いた。
「では、私はこれで失礼いたします」
「……よいのか?」
グレゴールは眉を上げた。
「ええ。出入り口には護衛がおります。ですが――」
エドガーは扉へ視線を向けた。
「お話の内容まで、こちらが聞く必要はないでしょう」
そう言って一礼すると、そのまま部屋を出ていった。
室内にはグレゴールとクラリッサ、二人だけが残された。
グレゴールはしばし閉じられた扉を見つめ、それからゆっくりとクラリッサへ視線を戻す。
「クラリッサ……」
「お兄様……申し訳ございません……」
クラリッサは深く頭を下げた。
質素ではあるものの、仕立ての良いワンピースを纏い、髪や肌もきちんと手入れされている。
裁判を待つ身とはいえ、まだ王妃としての身分を失ったわけではない。
それでも―― 目の前の妹は、グレゴールが知るクラリッサとは別人のように憔悴していた。
「……とにかく、座れ」
グレゴールはソファにどかりと腰を下ろした。
しばしクラリッサを黙って見つめたあと、ようやく重い口を開いた。
「……本当なのか?」
その言葉に、クラリッサの肩がふるりと震える。
「ノエルは、ルシアンとの子で間違いないのか?」
グレゴールは鋭い視線でクラリッサを見据えた。
「はい……」
視線を上げないまま、クラリッサが小さく頷いた。
「なぜそんなことを……!」
グレゴールは拳を震わせる。
クラリッサは視線を落としたまましばらく黙り込むと、やがて、ぽつりと呟いた。
「……わたくしはずっと、ルシアンを慕っていました」
「何?」
「本当はルシアンと結ばれたかった……! けれどルシアンは伯爵家の三男です……王女であるわたくしが嫁げる相手ではなかった……!」
クラリッサは堰を切ったように話し始めた。
「レグナートへの輿入れが決まり、諦めようと思いました。けれど、ルシアンが護衛騎士として共に来てくれた。……すぐそばにいるルシアンを、どうして諦められるでしょう」
「まさか……お前たち……」
グレゴールは信じられないものを見るかのように、クラリッサを見やった。
「王との初夜を終え、ひどく気落ちしていた私を、ルシアンが抱きしめてくれたのです。そのとき……初めて関係を持ちました」
クラリッサはそう語ると、ほんのわずかに目を細めた。
その表情には、今もなおルシアンを想う気持ちが滲んでいた。
「……ではもしや、ライオネルも……」
グレゴールは躊躇うように問いかけた。
「いいえ。ライオネルは間違いなく王の子です。……わたくしはルシアンとの逢瀬のために、ヴァルネから避妊薬を取り寄せていました。ですが、逢瀬のたびに服用していたせいでしょうか。王との子にも恵まれなかった。そこで私はルシアンとの逢瀬をやめ、避妊薬を絶ったのです。その後に身ごもったのが、ライオネルですわ」
避妊薬は身体に負担をかけるものだ。頻繁に服用していれば、妊娠しにくくなることも十分に考えられた。
「一度関係を絶ったのに、お前はまた……」
グレゴールは言葉を失った。
たった一度の過ちなどではなかったのだ。
「第二王子さえ産めば、王との逢瀬は必要なくなる。そう思って、ライオネルの出産から三年間は、ずっとルシアンとの関係を絶っていました。けれど、どれだけ待っても王との子はできなかった……。だからわたくしは、もう妊娠できない身体になったのだと思い込んでしまって……」
「避妊薬は……?」
「ライオネルを産んだ後から、一度も使っていません……」
クラリッサは、力なく答えた。
「バカな……なぜすぐに告白しなかった!?」
グレゴールは机に拳を叩きつけた。
ドンッという鈍い音が部屋に響く。
「そんな……ッ! すぐに告白すれば、ノエルは産まれる前に殺されていたでしょう! ルシアンとの子を殺すなど、わたくしにはできなかった……ッ!」
クラリッサは両手で顔を覆い、頭を振る。
「だがそんなもの……隠し通せるわけがないだろう」
グレゴールは、机に叩きつけた拳をそのままに、肩から力を落とした。
「いいえ! 隠し通せていたのです! ヴァルネから無茶な指示がなければ……ッ!」
クラリッサは唇を噛み締める。
「なに?」
「ノエルを王位につけるために、ライオネルを排せ、と……ッ!」
「まさか……国は全て承知していたのか!?」
グレゴールは目を見開いた。
「……? 当然ですわ。妊娠時期や出生記録の偽装も、ノエルを一年間ヴァルネに置いておけたのも、すべて祖国の協力があってこそですわ」
クラリッサはそこで、ふと眉を寄せた。
「……まさか、お兄様、本当に何もご存じなかったの……?」
「バカな……我が国がそんな計画に手を貸すなど……」
グレゴールは、クラリッサの問いかけなど聞こえていないかのように、青ざめた顔で呟いた。やがて、はっと顔を上げる。
「……いや、待て。お前は今、『ライオネルを排せと指示を受けた』と言ったな。ならば、ライオネルが継承権を失ったのも……」
「ええ。本国から送り込まれた諜報員に唆され、駆け落ちするよう仕向けられたからですわ。……最初は『殺せ』と指示されましたの。ですが、ライオネルとて私の子。それだけはできませんでした」
クラリッサは、まるでそれが当然のことであるかのように語った。
「……お前はそれでも母親か!!」
グレゴールは思わず立ち上がった。
「仕方なかったのよ!!」
クラリッサも負けじと立ち上がる。
「ノエルを守るためには、指示に従うしかなかったの……! 私とて、ノエルをルシアンと共にヴァルネに留まらせたかった! 『早産だったノエルは体調を崩して亡くなった』――そうレグナートには伝えてほしいと、何度もお願いしました……。けれど、聞き入れてはもらえなかった……ッ」
二人とも立ち上がったまま、重い沈黙が流れる。
そのとき、部屋にノックの音が響いた。
「そろそろよろしいでしょうか」
顔を覗かせたのはエドガーだった。
「……ああ」
グレゴールは短く答え、クラリッサに背を向けた。
そして、そのまま扉に向かって歩き出す。
「――待って!!」
クラリッサが叫んだ。
グレゴールが足を止め、ゆっくりと振り返る。
「お兄様、お願いです! どうか、どうか、ルシアンとノエルを守って……。お願いします……ッ」
クラリッサは深々と頭を下げた。
その懇願に答えることなく、グレゴールは再び扉へ向き直った。
そして、何も言わぬまま、静かに部屋を後にした。




