1章:5節【慌ただしい五日間】 ◆章完
叙勲式までの五日間は、慌ただしくもどこか華やいだ空気に満ちていた。
最も忙しそうだったのは、意外にも自由人のリンネだった。
「アスト様、こちらの刺繍はどうでしょう?
ノヴィア様の衣装は……もう少し裾を短くした方が可愛らしいですね」
フロック村でアスト像の衣装を作っていた経験が活きているのか、
彼女の手際は完全に職人のそれだった。
アストとノヴィアの儀礼衣装を仕上げる合間に、自分とリュミナのドレスも選び、
王都の仕立て屋を翻弄しながら寸法合わせを進めていく。
リュミナは最初こそ戸惑っていたが、鏡に映る自分の姿に頬を染めることもあった。
「アスト……似合ってるかな……?」
その問いに、アストが素直に頷くと、リュミナは気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
一方、エヴァは五日間ずっと机に向かっていた。
エルバートがマルコムを伴って王都へ到着したことで、領主としての仕事が一気に押し寄せたのだ。
しかし、当のエヴァ以上に周りの人間がせわしなく動いていた。
「エヴァ様、こちらの書類はヴェルディアからの追加分です!」
「エヴァ様、領主様の確認と承認印が必要な案件が……!」
「エヴァ様、マルコム様が“無理をするな”と……!」
「無理をしているのはあなたたちです……!」
カイルはその間、完全に走り回る係になっていた。
会食時にも最低限の挨拶以外全く口を開かないほど、彼は疲れ果てていたようだった。
そんな喧噪の中で、アストだけは比較的静かな時間を過ごしていた。
「……都市構想の優先順位は、水源の確保と住居の設営。
次に交易路の整備、魔素研究の基盤も欲しいですね……」
ノヴィアが膝の上で丸くなって眠る中、アストは淡々と都市計画の整理を進めていた。
リンネが作業の合間に覗き込むたび、アストの前には新しい図面やメモが増えていく。
「アスト様、昨日より都市の基盤案が三つ増えているのですが……?」
「練っていたら自然に増えました」
「自然とは……?」
そして王都全体も、叙勲式に向けて活気づいていた。
街路には王家の紋章旗が掲げられ、露店では式典限定を謳う菓子や飾りが売られ、
子どもたちは「聖獣様ごっこ」をして走り回っている。
「アスト様、大人気ですね……」
書類の束を抱えたまま微笑むエヴァに、アストは少し困ったように尻尾を揺らした。
「……あまり実感はありませんが、皆が喜んでいるなら良いことです」
王都はまるで祭りの前夜のように、期待と高揚に満ちていた。
――叙勲式当日の朝。
王城の一室で、静かな緊張と布の擦れる音だけが満ちていた。
リンネはアストを抱きかかえたまま、最後の仕上げとばかりに衣装の皺を整えている。
淡い白銀の刺繍が光を受けてきらりと揺れた。
「アスト様、こちらの紋章の位置はもう少し右ですね。……はい、完璧です」
「リンネ、このくらいのズレなど気にしなくても……」
「この儀式はアスト様の崇高さを世界に知らしめる第一歩。わずかな妥協も許されません!」
その横では、リュミナがノヴィアを抱きながら落ち着かない様子で裾を気にしていた。
「……このドレス、歩くとき裾が擦れないかな……? 変じゃない……?」
「リュミナ、綺麗。アスト、そう言ってた」
ノヴィアがぽつりと呟くと、リュミナの耳が一気に赤くなる。
「そ、そう……? うん……ありがとう、ノヴィア……」
アストはその様子を見て、柔らかく尻尾を揺らした。
「落ち着いてください。変なところなどありません、十分美しいですよ」
「お、落ち着いてるよ……! たぶん……!」
そんなやり取りが続く中、扉が静かにノックされた。
「失礼いたします。叙勲式の準備が整いました。ご案内いたします」
扉の向こうにいたのは一人の侍従。
淡い紺の礼服に身を包み、背筋は一本の線のように伸びている。
リンネがアストを抱き直し、リュミナもノヴィアを抱え直す。
四人は自然と姿勢を正した。
「では、参りましょう。式典の流れについては、移動中に随伴の者が説明いたします」
廊下に出ると、王城の空気は朝の冷たさと儀式の緊張が混ざり合っていた。
赤い絨毯がまっすぐに伸び、壁には王家の紋章旗が掲げられている。
随伴の従者が歩調を合わせながら説明を始めた。
「まず、玉座の間の前で待機していただきます。
玉座の間に入る許可が出ましたら扉が開きますので、合図に従ってゆっくりと進み――」
「アスト様、歩くのは私が担当しますのでご安心を。
リュミナ、あなたはノヴィア様を落とさないように。緊張して手が震えてますよ?」
「ふ、震えてない……震えてないから……!」
「震えてる、リュミナ。ぷるぷるしてる」
ノヴィアの無邪気な指摘に、リュミナはさらに真っ赤になる。
侍従は微笑を浮かべつつ、説明を続けた。
「進まれましたら、王の前で一礼を。その後、王より叙勲の言葉があり……
聖獣アスト様には特別な儀式が執り行われます」
アストは静かに頷いた。
「承知しました。皆さん、落ち着いていきましょう」
「アストもノヴィアも……落ち着いてるんだね……」
「アスト、すごい。ノヴィアも、すごい?」
「当然です。お二人は至高の存在ですから」
そんな会話を交わしながら、一行は玉座の間へ続く長い廊下を進んでいく。
その先にある重厚な扉が、今日という日の重みを静かに告げていた。
静謐な空気が満ちた廊下、そこには王家直属の近衛が左右に整列している。
鎧の金属がわずかに光を反射し、その無言の存在感が儀式の格調を物語っていた。
扉の前に辿り着くと、侍従が静かに振り返る。
「こちらでしばしお待ちください」
その言葉に、リュミナの肩がわずかに跳ねた。
ノヴィアを抱く腕が、ほんの少しだけ強張る。
それを見たリンネが小声で囁いた。
「リュミナ、緊張するなら……式典の間エヴァちゃんでも眺めていなさい。
あの子も、きっと背筋を伸ばして頑張ってますよ」
「そ、そんなこと言われても……余計に緊張する……!」
「まったく……ほら、ノヴィア様も応援してくださってますよ?」
「リュミナ、がんばれ」
ノヴィアの小さな声援に、リュミナはぎこちなく笑みを返した。
アストはその様子を見て、静かに頷く。
「ここまで来たのですから、あとは流れに身を任せれば大丈夫です」
扉の向こうからは四大領主を筆頭に、式典を待つ貴族たちの気配が確かに感じられた。
重く、深く、王国の中心にふさわしい気配。
――空気が張り詰める。
ここから先は、王国の歴史に刻まれる場。
アストたちは静かに姿勢を正した。
その瞬間、アストの胸の奥で、小さなざわめきが波紋のように広がった。
緊張とも違う。
不安とも違う。
ただ、これから訪れる出来事の重さを、確かに感じ取っている証のようだった。
ふと、隣から注がれる視線に気づく。
ノヴィアが、アストの方をじっと見ていた。
アストはわずかに瞬きをし、静かに頷いた。
リンネがアストを抱きかかえたまま、穏やかな笑みを浮かべる。
「さぁアスト様。聖獣様のお披露目ですよ」
リュミナもノヴィアを抱え直す。
緊張の中に、確かな決意を宿した瞳で前を見据えていた。
その温度が、アストの胸のざわめきを静かに整えていく。
扉の一番近くにいた近衛が一歩前に進み、深く息を吸い込んだ。
そして、張りのある声が玉座の間に響く。
「――これより、叙勲の儀を執り行う」
重厚な扉に手がかけられ、静寂の中で、ゆっくりと動き始めた。
光が、細い線となって漏れ出す。
その向こうに広がる世界を前に、アストは静かに目を細めた。
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これにて第1章本編は終了となります。
このあと幕間を挟み、次章へと続きます。
引き続きよろしくお願いいたします。




