2章:未知との折衝③
【5節.生けるものの記憶】
若木だった頃の記憶が、静かに広がっていく。
周囲の木々はまだ背が低く、風に揺れる枝が陽光を反射していた。木漏れ日が葉の間からこぼれ、柔らかな光が枝葉を包み込む。風がそよぐたび、若い葉がさざ波のように揺れ、音もまた静かに寄せては返していた。
鳥たちが枝に巣を作り、ヒナが孵り、やがて飛び立っていく。彼らが巣立ちの時を迎えるたびに、自分もまた少しずつ枝を伸ばし、幹を太らせていった。
どれほどの年月が流れただろう。いつしか、自分の姿は見覚えのあるものになっていた。
その頃、森に見慣れぬ小さな獣が現れた。彼はあたりをパタパタと忙しそうに動き回っている。そして、急に手を掲げたと思うと、赤い光を放った。
次々と不思議な行動を始めるその獣を、自分は静かに見守っていた。木々は本来、外界を“視る”ことはできない。だが、魔素が満ちるこの世界では、揺らぎや熱、魔力の流れが“色”のように感じられる。
その小さな獣は、周囲の魔素を強く震わせていた。まるで、森の空気そのものが彼の存在を指し示しているかのようだった。
やがて、その小さな体がパタリと倒れた。どうしたのだろう。地を這いながら周囲を見回し、やがてこちらに近づいてくる。根元に落ちたばかりの木の実を置き、とても嬉しそうな顔をしていた。
森には、自分の実を糧とする獣たちがいる。彼もその一匹なのだろう。けれど、その実はまだ殻が割れていない。食べられるのだろうか――
そう心配していたその時、突然の衝撃が走った。
ドン!
体全体が大きく揺さぶられ、葉がざわめく。何が起きたのか分からない。気づくと、根元の実はなくなり、彼は項垂れていた。
その風景がゆっくりと色を失い始め、やがて闇がすべてを包み込んだ――
◆
――浮かび上がるような感覚とともに、アストは目を開けた。
「これが……この木が記憶していた景色と感情?」
植物にも感覚や記憶があるという説はある。だが、これほど鮮明なものなのか。映像の中での思考や感覚は、自分自身のものだったように感じられた。
「おそらく、魔素が空間や時間の情報を配列として保持していて、それを読み取ることで、私の知覚に沿った追体験が起きた。スターリコールは“記憶を読む”というより、“記憶の形を自分の認識に翻訳する力”……そんなところでしょうか」
一応の結論に至りながらも、どこか気まずさが残る。アストは木を見上げ、静かに言葉をこぼす。
「感情の有無はともかく……甚大な被害を与えてしまったことは事実。マスター曰く『一食一飯の恩は忘れてはいけない』、です」
正しくは『一宿』ではないかと疑問に思いつつも木に手を添え、魔素を流し込む。魔力の循環に合わせて、木の内部へと意識を導いていく。
「やはり、幹が痛んで魔素が少し減っていますね。お詫びとして、少し多めに……」
補給を続けながら、これまでの検証結果を整理していく。
ミラ様の言う通り、力の程度は十分。強化した岩を砕くことはできなかったが、自分が傷つくこともなかった。魔素の操作にも困難はなく、制御も良好。ただし『魔素』という定義は独自のものであり、この世界の文献も調べておく必要がある。
『アークテクト』は魔力が循環する対象には無効。だが、世界再生のための道具作りには支障はない。
『スターリコール』は記憶媒体を読み取る仕組みに似ている。魔素の配列により保たれている記憶情報が正確ならば、アナライザーによる組成の読み取りも可能かも知れない。
……と、思考を巡らせていたアストは、幹から伝わる魔素の流れが安定していることに気づいた。
「これだけ注いでおけば、お礼としては十分でしょう」
幹をポンポンと叩いて見上げる。先ほどより、枝葉が生気に満ちているように感じられた。
その時、遠くから話し声が聞こえてきた。
「こっちか?大きな音がしたというのは」
耳をぴくぴくと動かし、声の方向を探る。若い男性……三人ほどの気配が近づいてくる。
「誰か来たようですね……。まだ接触すべきではありません。私は行きますね」
木にそっと別れを告げると、アストは静かに身をひそめ、森の奥へと入っていった。
――ありがとう、小さな獣さん。
その言葉がどこからか聞こえた気がして、アストは振り返る。木は風にそよぎながら、静かに葉を揺らしていた。
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