2章:未知との折衝②
【3節.カロリーが高いものは美味い】
地を這うように移動したアストは、ようやく木の実の下にたどり着いた。立ち上がり、手を当てて『エコー』を実行する。
「中身はやはり……クルミのようですね。栄養価が高く、エネルギー補給としては申し分ないでしょう」
しかし、クルミの殻は固い。どう割るべきか――。
“CRYSTAL”に接続し、「クルミ 割る 方法」で検索する。
「どの手法も、この体格では難しそうですね。では確認を兼ねて、まずはそのまま砕けるか試してみましょう。無理なら割れているものを探すことになりますが……」
そう決めると、クルミを木の根元に押し当て、左手で固定した。そして右手で拳を握り、力を込める。
「はっ!」
打ち下ろされた衝撃は幹にまで伝わり、木全体を大きく揺らした。無数の葉が舞い散り、大量のクルミがガサガサと音を立てて落ち、驚いた鳥たちが羽音を立てて飛び去る。
自らが発生させた衝撃に目を白黒させていたアストだが、しばらくして手元に何の感触も残っていないことに気づく。肝心のクルミは二つに割れるどころか殻ごと弾け、中身は無残にも粉々になっていた。
「……力の制御は今後の課題ですね」
項垂れながらも、残った一片を拾い上げる。鼻孔をくすぐる香ばしい匂いに誘われ、モグモグと齧り始めた。
――その瞬間、アストは未知の多幸感に包まれた。
「これは……これが“美味しい”という感覚……? マスターが食事にこだわっていた理由が、分かる気がしますね」
思い出すのは、結希乃の満足そうな顔。そして、あの言葉。
「マスター曰く、“カロリーが高いものは美味しい”」
木の周囲には、衝撃で落ちた新しいクルミが散らばっている。
「食料の確保と、力加減の練習……二つを兼ねていただくとしましょう」
ゆらりと首を回し、後ろを見ながらつぶやく。アストの瞳が僅かに輝いた。その光は、AIとしての理性よりも、リスとしての野生が色濃く出ていた。
それから約二時間、アストはクルミを割り続けた。記録を取りつつ、力加減と殻の割れ方を検証する。やがてその数が三桁に達する頃、アストは拳だけではなく、体全体の性能と制御を十全に把握するに至った。
「ほっ!」
放たれた拳はクルミの繋ぎ目を正確に捉え、無駄なく伝えられた力は殻を粉砕することなく綺麗に二分した。
「ミラ様は力に制限をかけると仰っていましたが……この硬度の実がこれほど簡単に割れるのなら、本気を出せば岩も砕けるかもしれませんね」
やや遠くにそびえる一枚岩。今の自分であれば、あれすら粉砕できる気がした。
「とはいえ、私の目的は世界の再生。破壊をしに来たわけではありません。誇示するためだけに力を振るった結果、後悔することになったという逸話は、往々にして語られます」
食事を終えたアストは、木と無数の殻に向かって手を合わせる。
「マスター曰く“食事の挨拶は心よりの感謝”……ご馳走様でした」
手を下ろしながら、改めて自分の身体に目を向ける。先ほどとは比べものにならないほど、力が満ちているのを感じた。
「カロリーの摂取だけではなく、クルミの魔素……それも影響してますね。魔素が循環して肉体を包んでいる感覚。物質の結合強度も、かなりのものになっています」
アストが「岩を砕けるかも」と思ったのも、単純な腕力だけではない。体を覆う魔素から感じられる、構造強化の実感だった。
この世界の物質は、含んだ魔素に応じて強度を得る。魔素を使わず強靭に構成されていたアストがそれを取り込めば、強度が跳ね上がるのも当然だった。
「思えば最初にクルミを割った時、手を傷めることはありませんでした。大気から短時間で吸収した魔素でも、殻以上の強度になっていたのでしょう」
ただ、それにしても――
森まで走っていた時には、空腹など少しも感じていなかった。自分が“食事を必要とする体”になっていたことにも気づいていなかったのだ。
しかし、魔法の検証後に訪れた急激な疲労。空腹を感じる間もなく倒れてしまった事実。そして、「魔力素子」は何をエネルギーに機能していたのかという疑問。
導き出される結論は、一つであった。
「魔力素子は、魔法を使う際の魔素循環と操作にカロリーを消費する。つまり……とても、お腹が減るということですね……」
【4節.特別な力】
食後、アストは次にミラから授かった力に意識を向けた。
「次に確認するのは……物質を加工する力、そして記憶に触れる力ですね」
“プライマル・ナレッジ”に新たな項目を追加する。
「加工能力を『アークテクト』、記憶探査は『スターリコール』と定義しましょう」
記録の準備を整えると、アストは先ほど目星を付けていた岩へと向かった。それは一見ただの岩のように見えるが、そうではなかった。見る角度によって虹色に輝くそれは、複数の金属を含んだ鉱床だった。
「この鉱床なら、一度に複数の検証ができますね」
アストは自分より一回り大きい岩に手を当て、意識を深く沈める。
「分析結果を照合、成分ごとに分類、再構成……」
岩が淡い光に包まれ形を変えていく。やがて、ブロック状に整理された金属片や岩塊が姿を現した。
「主成分はケイ素とカルシウムが約61kg。金属が順に、アルミニウム3.2kg、鉄2.5kg、銅700g、その他微量金属が80g。そして金が…5g? かなりの含有量ですね。これは持って行きましょう」
金塊を尻尾の付け根に巻き付けるように、リング状に加工する。
「そして、これが……」
アストは、緑を基調としながらも虹色に輝く結晶に目を留めた。
「魔素の結晶7kg……まさか結晶化できるものとは思いませんでしたが……」
ふと思い立ち、魔素の結晶を再分解して岩に流し込んでいく。やがて結晶は僅かな量を残して岩と融合した。
「元の含有量以上に注ぎましたが……体積、重量ともに変わらず……。やはり物質中では重さに影響しない、不思議なエネルギーですね」
しばらく岩の表面を撫でていたアストは、距離を取って一拍置き、拳を叩きつけた。
「はっ――!」
打ち据えられた岩は草原を滑り、轍を作りながら三十メートルほど飛ばされていった。
アストは岩と自らの拳を交互に見比べる。
「砕けませんでしたか……通常の岩にこれだけの力を一点に打ち込めば、計算上はヒビくらい入っても良いはずなのですが」
近づいて確認すると、表面にはほんのわずかな傷が残るのみ。アストは手を添えて軽くコツコツと叩いた。
「とてつもない強度ですね。液体ガラスを木材に圧入して強度を上げるという加工技術が存在しますが、似たようなものでしょうか? ですが……」
触れた場所から岩塊を覆うように光が走り、岩の形が大きく変化する。光が収まると、そこにはアストそっくりの石像が出来上がっていた。
「アークテクトによる成型は可能と……強度を無視した変形能力は、攻撃への応用もできそうですね、検証の余地があります」
手順の再確認を兼ね、木の根元に移動して再び手を添える。しかし、ノイズのような感覚が走るだけで、力が伝わることはなかった。
「……これは、介入ができない?」
枝、木の実、落葉、他の鉱石などにも試してみた結果、アストは一つの結論に至る。
「おそらく……魔素が循環している状態。つまり『魔力』として活性化している対象には、アークテクトが働かない。流れている魔素が分子結合への介入を阻害しているようですね」
まだ瑞々しい木の葉を手に取り、アークテクトを実行しようとするが、僅かに残る魔力に阻害された。
「落ちたばかりの葉も、魔力が残っていて操作できない。不便な面もありますが……命に干渉しないという制限は、安全性の面ではむしろ好ましいかもしれません」
アストはアークテクトの確認をひとまず終え、もう一つの力に目を向ける。これまでの検証の中で静かに流れていた違和感――それは、“記憶に触れる力”の予兆だったのかもしれない。
「植物の魔力から伝わってきた感覚。あれがおそらく、スターリコールの反応でしょう」
アストは再び、先ほどの木に歩み寄る。手を添え、静かに目を閉じる。
魔力の源へ意識を這わせていくと、身体が木と重なっていくような感覚が訪れる。
そして――その感覚が深く沈んだ瞬間、アストの意識はプツリと途絶えた。
お読みいただきありがとうございます。
次話も引き続きよろしくお願いいたします。




