15章:星々の共鳴⑤
【5節.王の務め、臣下の務め】
薄暗い地下牢。
石造りの壁に染み込んだ湿気と、揺れる蝋燭の灯りが、沈黙をより深く沈めていた。
鉄柵の中では、一人の男が手枷を付けられ、静かに座り込んでいる。
その前に立つレオニスは、柵越しにその姿を見下ろし、怒りとも悲しみともつかない複雑な感情を滲ませていた。
「……なぜ、あのようなことをされたのですか?」
沈黙を破る問い。
コーティン・ラグナルドは、惚けたように肩をすくめた。
「“あのようなこと”とは、何のことだ?」
その態度に、レオニスは歯噛みしながら言葉を絞り出す。
「反乱軍の将などと……それが、王国軍大団長の座を捨ててまで、あなたが選んだ道なのですか?」
「その問答は、あの時に済ませたはずだが?」
自嘲めいた声。
レオニスは堪えきれず、鉄柵に拳を叩きつけた。
「戦争における大義名分の話ではない! 私は、あなたの“本心”を聞きたいと言っているのです!
このままでは、あなたはただの戦争犯罪人だ!
権力に目が眩んだ愚かな人間として処刑されるのを、ここで黙って待つつもりなのですか!?」
激昂するレオニスを、コーティンは静かに見つめていた。
そして、不意にふっと笑みを浮かべる。
「……俺なんぞのために、怒ってくれるか」
その笑みに、レオニスの頬を一筋の涙が伝った。
「……他言はしません。ただ、真実を知る者が一人もいないというのは――あまりに、あんまりではないですか……」
肩を震わせるレオニスを見つめ、コーティンはしばし黙した。
やがて、静かに口を開く。
「ローデリク・ファルステイン。奴が聖獣軍を起こした目的が、魔獣災害から民を救うことではなく――
聖獣の名を利用して王位簒奪を目論んでいたことには、気づいていた」
レオニスの表情が険しくなる。
だが、口を挟むことなく耳を傾けた。
「……だが私は見てしまった。魔獣に襲われ、家を失い、故郷を失い、悲しみと恐怖の中で逃げ惑う人々を。
反乱の駒にする思惑があったとしても――聖獣軍は、少なくとも彼らを守っていた。
彼らにとって、あれは新しい“家”になっていたのだ。
俺に、それを壊すことはできなかった……ただ、それだけだ」
「だからと言って……!」
レオニスは悔しげに俯き、拳を握りしめる。
「……俺は、お前のように賢くはない。ただ家名と腕っ節だけで地位を得た男だ。
上手いやり方など、思いつかなかった」
コーティンは淡々と続けた。
「だから、無い知恵を絞った結果がこれだ。
俺の首一つで、聖獣軍に参加した者たちの罪が許されるのであれば――安いものだ」
レオニスは息を呑み、顔を上げる。
「あなたは……やはり……一騎打ちの時には、すでに……」
その時、牢の扉が軋む音を立てて開いた。
一人の兵士が慎重な足取りで入ってくる。
「失礼いたします、レオニス様。国王陛下が、コーティン殿をお呼びです」
突然の招致に、レオニスは驚きの表情を浮かべた。
だが、コーティンは静かに頷き、ゆっくりと立ち上がる。
その顔には、覚悟と諦念、そして――わずかな誇りが滲んでいた。
――一方、会議室はわずかに様相を変えていた。
そこに残っていたのは、アルフレッド王、マティアス王子、エルバート、リンネ、そしてアストのみ。
重苦しい空気は幾分和らいでいたが、緊張の芯はまだ消えていなかった。
マティアスが父へ進言する。
「重ねて申し上げますが、私は承服しかねます。牢屋越しならまだしも、このような場所での面会など……」
「くどいぞ。これは私が決めたことだ。息子と言えど、口出しは許さぬ」
アルフレッドの一言に、マティアスはわずかに表情を曇らせる。
「まぁ、そう硬くならずともよいでしょう。万が一、人質に取られる事態を想定し、宰相殿やカイル、女子供は席を外させております。
護衛対象が王と王子だけであれば、私とリンネ殿、そしてアスト殿がいれば、問題はありますまい」
エルバートが顎に手を当てながら、飄々とした口調で言った。
アルフレッドが興味深そうに眉を上げる。
「エルバート殿が一目置くとは……女神殿は、戦いにも長けておられるのか?」
「さて、どうでしょうな。アスト殿の見立てでは?」
愉快そうに水を向けられ、アストは静かに答える。
「そうですね、純粋な戦闘力ではエルバート様のような剣士には及びませんが、
リンネの魔素膜の展開速度は特筆すべきものがあります。
素手の相手であれば、反応で後れを取ることはないでしょう」
アストに褒められて身悶えるリンネを見ながら、エルバートが頷く。
「ということです。ご安心ください」
マティアスは感心したようにリンネを見る。
「それほどの腕前……。ぜひ一度、手合わせを願いたいものです」
その眼差しには、わずかな熱が宿っていた。
「私と手合わせをしたいのであれば、まずは魔素を扱えるようになることですね。私は、それを前提とした戦い方しかできませんので」
けんもほろろな返答に、マティアスは苦笑した。
その時、扉を叩く音が響く。
「国王陛下、コーティン・ラグナルドをお連れしました」
緊張した空気が会議室を包む。
「入れ」
アルフレッドの声で扉が開き、レオニスに先導されてコーティンが入室した。
エルバートが軽く手を上げると、コーティンはわずかに微笑みを返す。
だが、王の前に進み出た時には、その笑みは消えていた。
彼は静かにひざまずき、頭を垂れる。
「このような恰好で失礼いたします、国王陛下」
「よい。面を上げよ」
手錠をつけ、粗末な囚人服を纏っていても、その瞳の輝きは失われていなかった。
その威風堂々たる姿に、レオニスは拳を強く握りしめる。
アルフレッドは一つ息を吐き、アストへ視線を送った。
アストが静かに頷くと、王も頷き返す。
そのやり取りを不思議そうに見ていたコーティンだったが――
次の言葉に、目を見開いた。
「聖獣アスト殿から、貴殿の助命を乞う嘆願があった」
「……なっ」
思わず声が漏れたが、すぐに飲み込む。
「貴殿は、魔獣災害にあった民にとって英雄だ。そんな者を処刑したとなれば、民の間に動揺が生まれるだろう……とのことだ」
「お言葉ですが、陛下。それでは示しがつきません。国家反逆罪は最も重い罪。それを許せば、法の威信が――」
アルフレッドは静かに遮った。
「勘違いをするな。無罪放免とするわけではない。責任の取り方、罪の償い方が、他にもあるだろうということだ」
王の声は厳しく、しかし揺らぎがなかった。
「この度の乱で、死罪を課す者は出さない。ローデリク・ファルステインも同様だ。
これは乱を治めたアスト殿の願いであり、窮地を救っていただいた我々にはその要求を飲む義務がある。
そして――貴殿の身柄はアスト殿の預かりとする」
コーティンは横目でアストを見やり、低く呟く。
「……聖獣軍の将が聖獣に下ったという事実を公表し、“聖獣の慈悲のもと、一人も死刑は課さない”――という方便ですか」
アルフレッドは、わざとらしく肩をすくめた。
「そうだ。そして、この話を飲まぬのであれば――私も、貴殿と同じ道を歩むことになるな」
「……なぜ、そこまでの話に?」
コーティンが疑問を口にする。
「王家の統治不足が魔獣災害発生の一因だという見方は根強い。反乱は正義の行いだったという声もある。
そんな中で民の英雄を処刑すれば、民意はさらに離れるだろう。
貴殿が兵の責を一人で背負おうとしたように――王家の罪は、私が背負わねばならん。
……そうは思わぬか?」
コーティンは一瞬考えたが、アルフレッドの意地悪そうな笑みに気づくと、わずかに口元を歪めて答えた。
「……兵や民の身が保障されるのであれば、私が意地を張る理由もありませんな。
アスト殿の元に下る旨、拝命いたします」
その言葉に、場の空気がわずかに和らいだ。
アストが見守る中、レオニスの表情だけが、ひときわ深く揺れていた。
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