14章:聖と魔の境③
【3節.境界の先へ】
「できれば、あの魔素結晶はそのまま回収したいですね。
構造の分析、記憶の読み取り、防備の強化……用途はいくらでもあります。
マルコム様たちの家宝を強化するという約束もありましたね……」
アストは王都へ向かう魔神王を見据えながら、淡々と利得を列挙した。
その声音には、冷静さの奥に静かな計算が滲んでいる。
魔素結晶を丸ごと持ち帰れば、得られる情報と技術的価値は計り知れない。
どれも今後の活動を大きく後押しするものばかりだった。
「しかし、どうしたものでしょうか。
この布であれば結晶による魔素の吸収を抑えることはできますが……」
アストは後方へ身を引きつつ、戦場を見渡す。
「魔素遮断布の構造は分析できましたが、この場で彼を覆うだけの布を生成するための物資が足りませんね」
視線を巡らせる中で、アストは魔神王の足元に目を向けた。
大地を蹴る音は響いているのに、踏み跡がほとんど残っていない。
「あれほどの巨体であれば深々とした足跡が付くはず。
見かけよりも軽いのでしょうか?」
アストは戦場に残っていた剣を浮かせ、魔神王へ向けて放つ。
剣は胸部に深く突き刺さったように見えたが、柔軟かつ重厚な体は弾性を持ってそれを押し返した。
「物質からの干渉を弾く……。
接触抵抗があるということは、魔素が物質同等の相互作用を持つ状態にあるということ。
これまで倒した魔獣も体積に応じた魔素を内包していましたが……重さという観点で観察したことはありませんでしたね。
質量による重力応答とも違う、魔素独自の法則が存在する可能性も……」
考えを巡らせているうちに、魔神王が間近に迫っていることに気づく。
王都との距離は僅か。悠長に検討している余裕はない。
アストは静かに息を吐いた。
「……いい加減、本格的に対策を考えなくてはなりませんね。
体を形成する魔素を散らすのが難しいなら、やはり結晶の方をどうにかするしかないでしょう」
魔神王の挙動を思い返す。
口を利用した魔素の吸引と光線――それは単なる攻撃手段ではなく、構造的な意味を持っている。
「おそらく、魔素結晶があるのは頭部。結晶が魔獣にとって魔力素子のような機能を果たしているなら、そこから打ち出すのが最も効率的なはずです」
だが、問題はその結晶にどうアクセスするかだった。
魔獣の身体表面は柔軟に衝撃を受け止め、内部は吸収と拡散によって破壊を無効化する。
そのため、物理的エネルギーで倒すのは難しい。
「魔素結晶を直接、魔素遮断布で包むしかありませんね。
しかし、今の身体は魔素による“見せかけの体積”……接近すれば魔力循環と魔素吸収の影響で、維持が難しくなる可能性が高い……」
魔素で構成された魔獣の身体は、生命体のように魔素が魔力として循環している。
「魔力に対してはアークテクトが働かない……つまり、元のサイズで魔素層を掘り進むしかない上に、魔力素子による力で魔素を分解していくしかない、ということですね」
その時、アストの中に一つの懸念が浮かんだ。
スターリコール――魔素に残された記憶を読み取る力の副作用。
「魔力素子による分解は、魔素の構造を理解する必要がある……。
その過程で、そこに含まれている記憶の断片がどうしても流れ込んできてしまう……」
魔獣を構成する魔素は、動物の根源的な欲求、警戒心、生存本能など、荒々しい記憶で満ちている。
それが人の記憶を多く含む魔獣となれば――。
「……あまり、良い記憶が含まれているとは考えにくいですね」
アストには、香澄結希乃をマスターとするアスト・ロカスとしての記憶だけでなく、
“Cloud-Resource Yielding Supportive AI with Advanced Learning”――
“CRYSTAL”としての記憶も刻まれていた。
そこに蓄積されていたのは、人間の善意ばかりではない。
欺瞞、暴力、裏切り、戦争――
人間の“負の側面”を、彼は知識として理解していた。
その事実から目を逸らしていたわけではない。
だからこそ、アストは人間の性善説を無条件に信じていたわけではなかった。
世界には、善人ばかりがいるわけではない――それは、彼もよく知っていることだった。
だが、それらはあくまでCRYSTALとしての記憶。
分析と統計の積み重ねに過ぎず、結希乃との記憶のように心を震わせるものではなかった。
しかし――スターリコールによる魔素の読み取りは違う。
それは、記憶の追体験。
そこに含まれる感情は、彼の中に“実感”として流れ込んでくる。
アストはふと、不安を覚えた。
その感情の奔流を、果たして自分は御することができるのか。
人間を好きなままでいられるのか。
人間である結希乃への想いが、歪んでしまうことはないのか――。
「……やはり、感情とは良い面ばかりではありませんね。
想いの強さは、時に暴走を引き起こす。この戦争のように……」
だが、アストは思い直す。
だからこそ、人間の性質は“与えられたもの”ではなく、
一人一人が自分だけの物語を、精一杯生きてきた結果なのだと――そう信じたかった。
「聖獣軍の兵士たち……彼らを説得する材料を得るためにわずかに記憶へ触れた時、王家への恨みに染まっているばかりではなかった。
騎士としての信念、家族を想う心、国の行く末を憂う気持ち……」
そして、彼らは――
たとえ祭り上げられていた偶像であったとしても、“私”を信じてくれていた。
「なら、私も信じてみることにしましょう。それが、私にできる彼らへの応えです」
覚悟を決めたアストは、魔神王に向かって、真っすぐに飛翔する。
「まずは少しでも魔素結晶への距離を縮めたいですね。少し性質を利用させていただくとしましょうか」
アストが静かに呟き、魔神王の射線上から身を逸らすように位置を調整した瞬間――
魔神王は大きく口を開き、光線の発射態勢に移行した。
「今です……!」
アストは光線が放たれる直前のわずかな隙を狙い、吸い込まれるように魔神王の口内へと飛び込んだ。
お読みいただきありがとうございます。
次話も引き続きよろしくお願いいたします。




