13章:選択が生むもの⑤
【7節.剣の師、騎士の師】
風が止んでいた。
戦場の中心――魔素膜に包まれた静寂の空間に、二人の騎士が向かい合う。
レオニス・ヴァルグレイン。
王国騎士団大隊長にして、今なお剣の最前線に立つ男。
コーティン・ラグナルド。
かつて王国騎士団を率いた元大団長。今は反乱軍の総大将として、この場に立つ。
互いに剣を構えたまま、しばし視線を交わす。
その沈黙は敵意ではなく、かつての記憶を探り合うような、静かな間だった。
「……コーティン様。お変わりないようで」
レオニスが口を開く。
その声には、懐かしさが微かに滲んでいた。
「私は……以前より無口になったよ」
コーティンは静かに応じる。
その声音もまた、どこか遠くを見つめるように柔らかかった。
「……あの頃のあなたは、正しく騎士の鑑であり、私の目標でした」
その言葉が風に乗って届いた瞬間――
世界が、淡く過去へと滲んでいく。
――陽光が差し込む訓練場。
木剣を打ち合う乾いた音が、空気を震わせていた。
新兵たちが汗を滴らせながら剣を振るう中、コーティンは鋭い眼差しでその様子を見守っていた。
一人、また一人と力尽きていく中――
最後まで立ち続けていたのは、若き日のレオニスだった。
「もう一度、お願いします!」
息を切らしながらも、彼は木剣を構え直す。
周囲の兵たちが驚きと呆れを交えた視線を向ける中、コーティンはただ黙ってその姿を見つめていた。
別の日。
訓練場を訪れたコーティンは、レオニスが誰かに深々と頭を下げているのを見つけた。
落ち着いた所作で何かを告げ、こちらへ歩いてくる人物――
その姿を見て、コーティンは思わず背筋を伸ばした。
「エルバート殿……」
すれ違いざま、エルバートは軽く会釈をした。
コーティンも丁寧に頭を下げて応じる。
「お疲れ様です、コーティン大団長」
「こちらこそ、いつもご指導感謝しております」
短い挨拶を交わし、エルバートは訓練場を後にした。
その背を見送りながら、コーティンは腰を下ろしていたレオニスに声をかける。
「エルバート殿の手ほどきを受けるとは、羨ましい奴だ。
私など模擬戦すらしてもらったことがないのに」
レオニスは苦笑しながら答えた。
「ひよっ子を育てるのが面白いとのことです。
大団長であるコーティン様には、エルバート様の指導は必要ないのでしょう」
謙遜するレオニスに、コーティンはふっと笑みを浮かべる。
「いや、私よりお前に剣の才を見抜いたのだろう。
私の地位など、所詮は家名を借りたものに過ぎんよ。……良い師を得たな」
その言葉に、レオニスは少しだけ目を伏せ、静かに言った。
「はい。私は良き師に、二人も巡り合うことができました。
つくづく恵まれているのだと感じています」
「何? エルバート殿以外にも師がいると言うのか?
あの方以上の人物など、そうそういないだろうに……」
コーティンが眉をひそめると、レオニスはゆっくりと立ち上がった。
胸に手を当て、姿勢を正す。
「それはあなたです、大団長。私はあなたから、騎士の何たるかを学びました。
剣の師がエルバート・グレイ様であるなら――騎士の師は、コーティン・ラグナルド大団長です」
その言葉に、コーティンは目を見開いた。
だがすぐに、どこか照れくさそうに眼を細め、静かに笑う。
「……ふっ、そうか。ならば――騎士の師として、私にも少し付き合ってくれんか」
レオニスは一歩下がり、剣を構えた。
「はい、よろしくお願いします!」
――風が、再び吹き始める。
戦場で向かい合う二人の間には、かつて師弟として歩んだ記憶と、
今ここで交わされる覚悟が、確かに流れていた。
【8節.災厄の石】
「懐かしい話をしてくれるな……剣が鈍ってしまう」
コーティンが微笑を浮かべて呟いた。
その声には、かすかな寂しさと、かつての温もりが滲んでいた。
だが、レオニスは応じない。
静かに剣を握り直し、視線を逸らさずに構えを取る。
風が吹き荒れ、乾いた大地の砂礫を巻き上げる。
舞い上がった小石が二人の間に落ち、甲高い音が静寂を破った瞬間――
地を蹴る音が重なり、王国を代表する二人の騎士による剣撃が交わされた。
鋼と鋼がぶつかり合い、火花が散る。
一歩も譲らぬ打ち合いが数合続いた後、
鍔迫り合いに入った二人の顔が、至近距離で交差する。
「あなたは王国の平和のために戦ってきたはずです!」
レオニスの叫びに、コーティンは歯を食いしばりながら応じた。
「そうだ! だが、私が真に忠義を置く先は王家ではない!!」
気迫と共に剣を振り払う。
その勢いに押され、レオニスは数歩後退し、再び構えを整えた。
「大切なのは王国であり、王家ではないと?
王家を打ち倒した後の玉座につく者が統べる王国にこそ、価値があると言うのですか!」
問いかけるレオニスに、今度はコーティンが黙したまま剣を握り直す。
その沈黙に、レオニスはふと笑みを浮かべた。
「……あなたは嘘のつけない方だ。昔から」
その言葉が届いた瞬間、コーティンが踏み込む。
迷いを振り払うように、大上段から剣を振り下ろす。
レオニスはそれを受け止めながら声を張った。
「聖獣アスト殿はおっしゃっていました! 今、王国を苛む魔獣の発生は王家の責任ではないと!
聖獣軍を名乗りながらも、アスト殿に認められていないあなた方に――大義はない!」
受け止めた剣を弾き返し、再び激しい打ち合いが始まる。
剣と剣が交差するたび、互いの信念が火花を散らした。
やがて距離を取り、二人は息を整えながら見合う。
「あなたのように辺境に赴いた騎士たちのおかげで、民に人命的被害はいまだ出ていないと聞いております。
今ならまだ、手を取り合う道も……!」
「もう、遅いのだ……!」
コーティンが俯きながら叫ぶ。
「既に反乱は起きた。全員無罪というわけにはいくまい。
誰かが、その責を取らねばならんのだ……!」
その言葉に、レオニスはハッとしたようにコーティンを見つめた。
「あなたは、やはり……」
顔を上げたコーティンの表情には、もはや迷いはなかった。
「お前の為すべきことは分かっているな? レオニス・ヴァルグレイン……」
レオニスは俯きながらも剣を握りしめる。
その手には、騎士としての覚悟が宿っていた。
――その時。
遠目で一騎打ちを見ていたローデリクが、怒りに顔を歪めた。
「何が一騎打ちだ……! ふざけるな! そんなことでこの戦を終わらせてなるものか!」
戦車から身を乗り出し、控えていたエーテ・ミラ神教の神官に怒鳴る。
「おい!! あれを出せ!」
その声が響いた瞬間――
アストのサテライト・アイが異常な魔素反応を捉えた。
(……これは)
視線を向けると、戦車後方の荷馬車。
その上に積まれた巨大な包みが解かれ、露わになったのは――
直径二メートルはあろうかという巨大な結晶だった。
淡い白光の中に青い筋がゆっくりと流れ、虹色の縁がかすかに瞬く。
「……あれが出てくる可能性は極めて低かったのですが……魔素の巨大結晶、それも励起状態……。
なぜ今まで気がつかなかったのでしょうか……」
アストは想定外の事態に小さく漏らしたが、焦りは見せない。
淡々と状況を分析し続ける。
結晶は周囲の魔素を猛烈な勢いで吸収し始めていた。
アストが展開していた魔素膜すら、崩壊の兆しを見せている。
「リンネの計画によれば、この場合は……
『全てのプランを破棄して、とにかくアスト様の出来得る手段全てを持って事態の収拾をしてください。ですが、なるべく大げさにお願いします!』……でしたか」
魔素膜が残っているうちに、アストは戦場全体へ緊急の呼びかけを行う。
「皆様、超巨大魔獣が発生する可能性があります。
動ける方は武器を放棄し、王都へ避難を。王国軍の保護を受けてください」
その声に、戦場の空気が一変した。
「巨大魔獣だと?」
「馬鹿な……」
「いや、聖獣様の言うことだぞ!」
「……おい、あれを見ろ!!」
兵士たちの間に走る緊張。
魔素を視認できない者ですら、結晶を中心に広がる歪みに恐怖を覚えていた。
レオニスとコーティンも一騎打ちを止め、巨大結晶へ視線を向ける。
周囲では兵士たちが次々と王都へ走り出していた。
だが、ローデリクと従者たちは、結晶の近くで地面に這いつくばっていた。
魔素吸収による引力で風が吹き乱れ、身動きが取れなくなっていたのだ。
アストは興味深そうに観察する。
「指向性を持たない魔素でも、あれほどの量となれば大気に影響を及ぼすのですね……。
弱い相互作用のニュートリノでも、超新星爆発の際には星の外殻を吹き飛ばすと言いますし……。
と、そんなことを言っている場合でもなさそうですね」
アストは思考を切り替え、散乱した物資にアークテクトを発動。
その素材を編み直し、ローデリクたちを縛り上げると――
そのまま猛烈な勢いでレオニスたちの方へ引きずり出した。
風圧によって顔が変形するほどの瞬間的な加速。
その衝撃でローデリクたちは気絶したが、着地は驚くほど柔らかだった。
「アスト殿!! 一体何が起きているのですか!?」
レオニスが声を上げるが、アストは冷静に応じる。
「お二人とも、申し訳ありませんが一騎打ちはここまでとしてください。
状況が変わりました。その者たちの連行をお願いします」
そして、簡潔に説明を続ける。
「おそらくあれが聖獣軍の切り札、励起状態の魔素結晶――魔獣の核となり得るものです。
今、急速に周囲の魔素を吸収しています。あと数分で、かつてない巨大魔獣が誕生するでしょう」
アストの言葉通り、結晶は魔素を吸収し続けていた。
それは、すでに直径十メートルを超える巨大な黒体へと変貌していた。
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