13章:選択が生むもの④
【6節.聖獣の声】
空は静かだった。
だが、その静けさは、ただの沈黙ではない。
戦場全体を覆うように広がった金色の膜が、空気の流れさえ止めてしまったかのように揺らめいていた。
その中心に、ゆっくりと浮かび上がる巨大な影――
それは、誰も見たことのない“聖獣アスト”の姿だった。
本来の体躯はインドオオリスほどの小型獣にすぎない。
だが今、空を覆うほどの巨体が戦場を見下ろしている。
もちろん、実体が巨大化したわけではない。
アストの輪郭をなぞるように魔素膜が展開され、そこへ彼自身の姿が“写し取られて”投影されているのだ。
――王城のテラス。
金色の光に照らされながら、リンネが小さく息を呑む。
「……輪郭だけでなく色まで完全に安定していますね。
あの規模の魔素膜を二重に維持し、形状や波長制御まで行うなんて……
アスト様の演算能力は、本当に計り知れませんね……」
隣でリュミナが頬を膨らませる。
「えー……でもさ、私、本当に巨大化すると思って期待してたのに……なんか、ちょっとがっかり」
リンネが苦笑する。
「巨大化したらしたで、抱きしめられなくなりますよ?」
「……それは困る!」
軽い掛け合いが風に流れ、ふたりの視線は再び空へ戻る。
そこでは“聖獣アスト”がなおも揺らぎなく輝き、
質量を持たぬはずの像が、圧倒的な存在感で戦場を支配していた。
地上の兵士たちは、畏怖と敬意の入り混じった表情で足を止めている。
次の瞬間、空間が震えた。
魔素膜が共鳴し、アストの声が戦場全体へと響き渡る。
「私は聖獣、アスト・ロカスです。
王国の民よ――この戦に大義はありません」
その声は、ただの音ではなかった。
魔素を媒介に、兵士たちの心へ直接届く“意味の波”だった。
「魔獣の発生は自然現象であり、王家による治世とは関係ありません。
王を討つことは何一つ解決には繋がらず、誤った選択に他なりません」
兵士たちの間に、ざわめきが広がる。
軍に動揺を与えるという第一段階の成功を確認したアストは、
次の段階へ移る前に、ふとリンネの別の提案を思い出した。
『そのお力を示すために、この辺りにある小高い山を吹き飛ばしてみて下さい!』
その時の楽しげな笑顔を思い浮かべ、アストは小さくため息をついた。
「私は世界を再生しに来たのであって、破壊しに来たのではないのですが……」
視線を山へ向け、サテライト・アイで探知する。
「あの山には木々も動物も多く存在していますね……それに対して……」
アストは視線をゆっくりと南東へ戻した。
そこには、まるで焼け焦げたような赤黒い土がまだらに露出した大地が広がっていた。
「聖獣軍駐屯地以外から生命の反応がほぼ感じられない……魔素の反応も希薄……。
いえ、魔素は存在していますがエネルギー状態が低い? これは調査が必要かもしれませんね」
思考に沈んでいたアストの耳に、不快な怒号が飛び込んできた。
「撃て! 撃て! 聖獣を語る獣の言葉に惑わされるな!」
ローデリクの号令と共に、大砲が火を噴き、無数の矢が空を裂く。
だが、すべての攻撃はアストの魔素膜に弾かれ、力なく地に落ちて行った。
「……やはり聞き入れてはいただけませんか。仕方ありません」
アストが軽く手を振ると、無数の光線が放たれた。
それは、先の攻撃に使われた全ての兵装を正確に撃ち抜いた。
光線が戦車にも飛来したことで、ローデリクは一瞬だけ顔を引きつらせる――しかし、何も起こらない。
すぐに冷や汗を拭い、虚勢を張るように叫んだ。
「こけおどしか……怯むな! 攻撃を続けろ!!」
その瞬間だった。
砲身が裂け、弓が悲鳴を上げるように軋み、矢筒が粉砕される。
さらに戦車の車軸が折れ、轟音と共に巨体が地へ沈み込んだ。
突如起きた崩壊に兵士たちは悲鳴を上げて後退する。
ローデリクはなおも叫び続けていたが、ほとんどの者は呆然と立ち尽くし、声すらだせなくなった。
コーティンが異変に気づき、兵士へ問う。
「どうした? なぜ動かぬ?」
兵士の一人が、震える声で答える。
「……聖獣様の声が、聞こえました。私の心に……直接……」
コーティンは目を見開く。
周囲の兵士たちも、同様に頷いている。
その時、アストの声が再び響く。
「この場にいる者のうち――良き者、心に迷いと義を持つ者――
99,877人との対話を終えています」
その言葉に、戦場は静まり返る。
(……私には、聞こえなかった)
コーティンの胸に、冷たいものが走った。
聖獣に選ばれなかった――それは、自分が“悪”と見なされたということか。
だが、彼は迷わなかった。
騎馬を進め、隊列を抜け、アストの前へと進み出る。
「聖獣様、ご無沙汰しております。
この軍の大将、コーティン・ラグナルドにございます」
アストは静かに視線を向ける。
脳裏にかつて助けた騎士の姿がよみがえった。
「……あなたは、あの時の」
コーティンは深く頷く。
「覚えていていただけましたか」
馬から降りると、胸に手を当て姿勢を正す。
「一度掲げた矛は、簡単には収まりません。
戦いを終わらせるには、大義名分が必要です。
そこで――私との一騎打ちを願いたい」
アストは内心で静かに息を吐いた。
(……やはり、そう来ましたか)
この展開はリンネの計画に織り込まれていた。
そして、どう対応するべきかも、すでに定められている。
聖獣であるアストが自ら戦えば、それは“赦し”ではなく存在の“否定”になる。
反乱に参加した者たちの未来を守るため、アストは戦ってはならない。
その時、王国側から一人の騎士が前へ進み出た。
「その一騎打ち――私が受けましょう」
声の主は、王国騎士団大隊長――レオニス・ヴァルグレイン。
彼は馬を進め、コーティンの前に立つ。
「レオニス……」
コーティンは驚きよりも、どこか感慨深そうにその名を呼んだ。
「聖獣様に剣を向けさせるわけには参りません。
この戦い――王国の名において、レオニス・ヴァルグレインが引き受けます」
馬から降りたレオニスが静かに剣を抜く。
コーティンもまた、応じるように剣を構えた。
戦場の空気が、再び張り詰める。
二人の剣先がわずかに揺れ、風が止む。
周囲の兵たちが息を呑む中、二人の騎士だけが、互いの覚悟を確かめるように視線を交わした。
お読みいただきありがとうございます。
次話も引き続きよろしくお願いいたします。




