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10章:親と子、子と親⑦

【7節.休暇の終わりに】


二泊三日をかけた視察──という名の休日は、静かに終わりを告げようとしていた。


村の入り口には、エヴァを見送るために多くの村人が集まっていた。

朝の光が麦畑の向こうから差し込み、柔らかな金色の帯となって彼女の姿を照らす。


エヴァは馬車の前に立ち、深く一礼した。



「皆さま、お世話になりました。有意義な時間を過ごさせていただき、本当にありがとうございます」



その丁寧な言葉に、村人たちは驚いたように目を丸くし、すぐに照れくさそうな笑みを浮かべた。



「俺たちなんかに礼を言うなんてな。マルコム様も変わったお人だったけど、エヴァ様も負けず劣らずだ」



その言葉に、他の村人たちも頷く。



「つまり、信頼できる領主様ってことだな」


「違いねぇ!」


「また来てくださいよ、エヴァ様!」



温かな声が次々と飛び交い、村全体が柔らかい空気に包まれていく。


その横で、アストとヴァルティス、リュミナとリリーも、それぞれに別れを惜しんでいた。



「私はまたヴェルディアに向かいます。今度は、すぐに戻って来られると思いますよ。ヴァルティス、リリーをお願いしますね」


「任せてよ! 母上!!」



胸を張るヴァルティスに、リュミナが笑みを向ける。

その視線は自然と隣のリリーへと移り、柔らかく声を掛けた。



「リリー、私はアストと一緒に行くことになるけど……絶対また遊びに来るからね」



リリーはぱっと花が咲くような笑顔を見せる。



「うん! 今度はリュンちゃんたちと森で遊ぼう!」



その無邪気な笑顔は周囲の空気がさらに明るくし、見送る村人たちの表情まで和ませていった。


しばしその様子を見守っていたトーマが、一通の書簡をエヴァに差し出した。



「これは、この村の収穫物を正確に記したものです。アスト殿にも協力していただいたので、間違いはないと思います。……今度は休暇として、もう少しゆっくりしていただけると、村人たちも喜びますよ」



エヴァは書簡を胸に抱き、静かに頭を下げた。



「村長……ありがとうございます。“今度も”ぜひ、休暇として伺わせていただきますね」



そう言って馬車へと乗り込み、村人たちへ軽く手を振る。


やがて馬車が動き出す。


フロック村の人々は、いつまでも手を振り続けていた。

アスト、リュミナ、エヴァは窓から身を乗り出し、村人たちの姿が小さくなるまで見送った。


馬車の車輪が土道をゆっくりと進み、揺れに合わせて木枠がきしむ。

遠ざかる村の屋根と麦畑が、朝の光の中でゆっくりと揺れていた。


揺れる車輪の音が心地よく響く中、エヴァは窓の外を眺めながらぽつりと呟いた。



「本当に、良い村……良い人たちでした」



その言葉に、リンネが微笑む。



「もちろんです。見ず知らずの私を、何も言わずに受け入れてくれた村ですからね」



その一言に、アストとリュミナが同時に振り向く。

リンネが、当たり前のようにエヴァの隣に座っていたからだ。



「……いつの間に乗っていたのですか?」


「馬車の中でずっと待っていました!」



胸を張るリンネに、アストは困惑を隠せない。



「いえ、乗り込む時どころか、今までも気づかなかったのですが……」



アストが食い下がっても、リンネはどこ吹く風といった顔で誇らしげにするだけだった。



「まぁ、リンネだし」


「リンネお姉さまですから……」



リュミナとエヴァが自然に受け入れてしまい、アストは言葉を失った。


その瞬間、馬車の中にふっと奇妙な静けさが落ちた。

揺れる車輪のリズムだけが一定に響き、三人と一匹の間に、どこか言葉にし辛い“気まずさとも違う、妙な余韻”が漂う。


エヴァはその空気を感じ取ったのか、そっと視線を落とし、指先でスカートの裾を整えた。

そして、まるで気持ちを切り替えるように小さく息を吸い――軽く咳払いをして姿勢を正す。


エヴァはアストへ向き直り、静かに口を開いた。



「それはそれとして……あなたは、悪い人──いえ、悪い聖獣様ですね、アスト様」



アストは小首を傾げ、心底不思議そうな表情を浮かべた。



「なんのことでしょう?」



その態度に、エヴァは珍しく頬を膨らませて怒った。



「今回の“休暇”のことです!」



アストは頬をかきながら、苦笑を浮かべた。



「やはり、気づかれましたか」



エヴァは不満げに眉を寄せ、しみじみと語り始めた。



「今思えば、お父様の話の切り出し方が突然でしたし、エルバートの態度もわざとらしかったです! お母さまやカイルは、表情こそいつも通りのようでしたが……」



ふぅ、と息をつき、エヴァは静かに目を伏せる。



「私は、心配をかけてしまっていたのですね……」



その沈んだ声に寄り添うように、リンネが優しく言い添えた。



「そうやって怒る元気もありませんでしたからね、エヴァちゃん」



アストはそっと尾を揺らし、エヴァの膝の上に軽く飛び移る。

その仕草は、言葉よりも柔らかく、寄り添うような温度を帯びている。



「皆様が、あなたのことを大切に思っているという証ですよ」



アストの声音は、いつもの理知的な響きの奥に、微かな安堵と優しさが滲んでいた。

それは、エヴァの胸に張りつめた糸をそっと緩めるような、穏やかな響きだった。



「私でも心配になるほどだったよ、エヴァお姉ちゃん。最初に見た時なんて全然魔素の色が見えなかったもん」



リュミナが笑いながら言う。



「今は元気なお姉ちゃんもしっかり見えてるけどね!」



その無邪気な言葉に、エヴァもリンネも思わず笑みを返した。


アストは静かに続ける。



「あなたの責任に向き合う姿勢は、美徳です。ですが、上に立つ者として……もう少し周りを頼っても良いのだと思います」



エヴァは深く頷いた。



「ええ。村の人たちを見ていて、よく分かりました。それぞれが役割を持って務めていましたが、自分だけで抱え込まず、相談し、協力し合う……責任とは、必ずしも一人で背負うものではないのですね」



その言葉に、リンネは胸を張り、誇らしげに相槌を打った。



「そうですよ、エヴァちゃん。診療所を任せて抜けて来ている私を見習ってください!」



アストは呆れたような表情を浮かべる。



「いえ、あなたはもう少し診療所の方たちを気に掛けてあげた方が良いと思いますが……」



その意見にリュミナが肩をすくめながら同意を示す。



「なんですか、二人して!」



膨れるリンネに、エヴァは可笑しそうに笑った。


その光景を見つめながら、アストは静かに目を細めた。


――この短い休暇で得られたものは、想像以上に大きい。


馬車はゆっくりとヴェルディアへ向かい、穏やかな余韻だけが車内に満ちていた。

お読みいただきありがとうございます。

これにて第10章は終了となります。

次章も引き続きよろしくお願いいたします。

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