10章:親と子、子と親⑤
【5節.変調】
昼時になり、アストは一度屋敷へ戻って食事を取ろうと提案した。
わずか数時間の訓練だったが、リリーとリュミナは目覚ましい成長を見せていた。
「こっちを熱くすると、こっちが冷たくなるよ!」
リリーは左右の手に魔素を分け、温度を変えながらヴァルティスの体をぺたぺたと触って遊んでいる。
「リリーはまだ青っぽく見える時もあるけど、ヴァルティスはハッキリ見えるようになったよ!」
リュミナが目を細めて言うと、リンネが不思議そうに首を傾げた。
「あら、ヴァルティスの方がリリーよりも魔素量は多いはずですが……?」
アストが補足する。
「魔素量自体は多いですが、魔力素子の総量は特別多くありません。そのため、自然放射がそこまで多くないのでしょう」
そんな会話をしているうちに、リュミナはそっとリリーのそばへ歩み寄り──気づけば二人でヴァルティスをもふっていた。
「リリーは、リュミナが避けているのを感じて、無理に近づこうとしなかったのですね」
リンネが微笑む。
「リュミナもそうですが、それが能力とは別の彼女たち自身の優しさ、本当の才能です」
アストの言葉に、リンネも静かに頷いた。
穏やかな光景を見守っていると、村の方からイリスが全力で駆けてくるのが見えた。
「アスト……っ!!」
その声色は、昼食を呼びに来たというより、明らかに緊急事態を告げるものだった。
息を荒くし、膝に手をついて立ち止まったイリスが、どうにか声を絞り出す。
「アマルティアの子どもたちの調子が……っ、急に悪くなって……!」
アストの表情が一瞬で引き締まる。
「分かりました。すぐに向かいます。リンネ、ヴァルティス、後は頼みました」
短く告げると、アストは風を切るように牧場へ駆け出した。
牧場に着いたアストの目に映ったのは、心配そうな顔で一匹の子アマルティアを抱きかかえ座り込むエヴァの姿だった。
周囲には数匹の子アマルティアがぐったりと寝そべっている。
一部は動きが鈍く、毛並みに張りもなく、目にも力がない。
大人のアマルティアたちは不安げに周囲を囲み、世話をしていた村人たちも沈痛な面持ちで見守っていた。
「エヴァ様」
アストが声を掛けると、エヴァが顔を上げる。
「アスト様! この子たちが急に動かなくなって……」
村人が続ける。
「実は、数日前から少し元気がない様子ではあったんです。でも、まさかここまで悪くなるなんて……」
「これまでの状況を教えていただけますか?」
村人は、離乳後に乳を飲まなくなった子アマルティアに、一代目と同じ飼料──麦や牧草を与えていたことを説明した。
最初は食べていたが、徐々に食欲が落ち、消化不良のような症状が出始めたという。
「分かりました。少し確認します」
アストはエヴァの腕に抱かれた個体にアナライザーを掛ける。
「体表面の異常はなし……体内は、水分は足りていますが、エネルギー不足。僅かに栄養失調の兆候……そして組成……これは……」
アストの表情が曇った。
「アマルティアが本来必要とする量の魔素が、著しく不足しています……」
(確かに、この一帯の魔素濃度は、彼らが繁栄していた時代より僅かに薄い。しかし、試算では問題になるほどではなかったはず……)
「まずは応急処置を行います。不調を示している個体を集めてください」
村人たちが協力し、エヴァの抱える個体を含め、4匹の子アマルティアがアストのもとに運ばれた。
アストが魔素を送り込むと、数分後には彼らの呼吸が落ち着き、体の強張りも和らぎ始めた。
「良かった……」
エヴァは腕の中で眠り始めた子アマルティアの体を、そっと撫でていた。
「しかし、原因はなんでしょう……」
村人の問いに、アストも治療の間ずっと考え続けていた。
その時、ヴァルティスに背負われたイリスたちが勢いよく駆け込んでくる。
「アスト!」
柵の前でヴァルティスが止まり、イリス、リリー、リュミナが順に飛び降りた。
「子どもたちは大丈夫!?」
「はい。一先ずは落ち着きました。どうやら栄養不足と魔素の失調が原因だったようです。魔素は私が直接補いましたので、しばらくは問題ないでしょう。問題は食事ですね……」
イリスは胸を撫で下ろしつつも、悔しさを滲ませる。
「確かに、最近はこの子たち、あまり食べてくれなかったんです……」
「念の為、与えていた食料を確認したいと思います。持って来ていただけますか?」
頼まれた村人が飼料の桶を持ってくる。
「村で取れた麦と、他の家畜にも使う牧草です」
アストがアナライザーを掛けると、牧草の魔素含有量が麦と比べて低いことが分かった。
「おそらく、原因はこれですね……」
視線がアストに集まる。
「アマルティアは魔素の必要量が多い生き物です。大人は魔素の豊富な麦を噛み砕いて消化できますが、授乳期を終えたばかりの子どもたちはまだ固形食に慣れていない……柔らかい牧草の方を好んで食べていた結果、魔素が不足し、徐々に弱っていったのでしょう」
アストは説明をしながら、足元に横たわる子アマルティアへと視線を落とした。
弱々しく胸を上下させる小さな体を見つめるその瞳には、分析者としての冷静さと、救いたいという焦りが同居している。
「アスト様、こちらを与えてみてはどうでしょうか」
突然背後から声がして、一同が振り返る。
リンネが箱を抱えて立っていた。
中には濃い緑色をした草がぎっしり詰まっている。
「これは薬草粥の香草ですね。そういえば、村の子どもたちにも似た症状が出た時、これを使った御粥をよく与えていました」
イリスが思い出すように呟く。
「なるほど……」
アストは香草を手に取り、指先で軽くほぐしながら組成を確かめた。
「魔素の含有量が豊富で、構造も緩く、吸収しやすい。これは良いですね」
感心したように頷くアストの脇から、リュミナとリリーがひょいと顔を覗かせる。
「綺麗な緑色! 私があげてもいいかな?」
「私も!」
元気いっぱいの声に、リンネが「はいはい……」と苦笑しながら箱を渡した。
リュミナとリリーが香草を抱えて子アマルティアのもとへ駆け寄ると、起きていた個体たちが一斉に群がり始める。
「わぁ!」
「すっごい食べるよ!」
嬉しそうな二人の声に、村人が納得したように頷いた。
「なるほど……あの子たちには、まだ離乳食のようなものが必要だったんですね」
「ええ。香草ばかりではいけませんので、麦なども細かく砕いて与えるようにしてください」
「分かりました。この村は、今やこの子たちによって支えられています。できることは何でもしますよ」
そう言い残し、村人は他の世話係と相談するために足早に戻っていった。
イリスも香草の栽培と増産について話し合うため、リンネと共に診療所へ戻っていく。
静けさが戻ると、エヴァがそっと息をついた。
「この村は……命を育てる場所なのですね」
エヴァは腕に抱いた子アマルティアの体を、まるで壊れ物を扱うように丁寧に撫でている。
その表情には、領主としての責務ではなく、一人の女性としての純粋な慈しみが浮かんでいた。
「はい。彼らは常に、命と真摯に向き合っています」
アストが応じたその時――
「うわぁ!」
「臭い!」
突然の叫び声が、穏やかな空気を破った。
エヴァが思わず顔をしかめる。
「この匂いは……!?」
声の方を見ると、子アマルティアたちが一斉に排便していた。
「これ、すっごく眩しいよ!」
リュミナが目を覆うほどの魔素が、便から放射されている。
そこへ、先ほどの村人がスコップを手に戻ってきた。
「お、やっと出ましたか。最近は量が少なかったんですが、これを肥料にすると麦がよく育つんですよ」
村人は慣れた手つきでスコップを差し入れ、芳香を放つ便を手早く掬い取っていく。
匂いに顔をしかめながらも、動きは実に機敏だ。
別の村人が蓋付きの桶を抱えて駆け寄り、回収した便を次々と放り込んでいく。
「肥料小屋に運んでおきます!」
声を掛け合いながら、彼らはまるで収穫物を扱うかのように、手際よく牧場の奥へと運んでいった。
「なるほど……道中で見かけた麦の異常な成長速度は、これが原因でしたか」
アストが頷く横で――
エヴァは鼻をつまみ、目を白くしたまま固まっていた。
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