9章:都市に灯る色⑥
【節8.帰路と…】
落ち着きを取り戻したリュミナを連れ、鉱山を出る頃には、夕日が街を黄金色に染め始めていた。
アストはリンネに抱かれ、リュミナはリンネの裾を握るようにして、その光景を見つめる。
「もうこんな時間ですか。フロック村を離れて約三ヶ月……そろそろ帰る準備を始めなければいけませんね」
アストの言葉にリンネは静かに頷いたが、リュミナは驚いたように顔を上げた。
「アストたち……帰っちゃうの……?」
不安そうな瞳に、アストは淡々と答える。
「元々この都市に来たのは、人々の治療と血咳症の原因究明のため。その要件は、鉱山の調査に健康診断、そして今後の方策を提案したことで、ほぼ解決したと思います」
リュミナは俯き、足取りを弱める。その様子を見て、アストは少し声を柔らげた。
「今は都市庁の客室を借りていますが、私は引き払うことになります。職員の方々は、あなたが自立できるまで住ませることに同意してくれるでしょう。――それに、ハルド様やグレン様はあなたを娘のように想っていて、養子にしたいと考えている方も多いと聞いています」
「あなたはどうしま──ぎゅぷ!」
言い切る前に、リンネが突然抱きしめる力を強めた。
押し潰されるように声が漏れる。
リュミナは真っ直ぐにアストを見据え、強い声で言った。
「私、アストと一緒に行きたい!」
その言葉に、リンネが満足げに頷く。
「よく言いました。それでこそ、私が見込んだリュミナです」
リンネが手を差し出すと、リュミナは一瞬驚いたが、すぐに笑顔でその手を取った。
「これからよろしくね、リンネ!」
「ええ、共にアスト様を支えて行きましょう!」
朝はあれほどやり合っていた二人の間に、一体何があったのか。
夕日を浴びながら、固く手を握り合う二人。
自分を介さずに話が決まっていくことに、アストは「ええ……」と疑問を浮かべたが、
嬉しそうな二人を見て、それでも良いかと受け入れることにした。
「それでは、話は決まったということで──帰りは少し急ぎますか」
アストは周囲の魔素を取り込み、体内で魔力に練り上げて放出し始める。
次第に二人の体がふわりと宙に浮き、握り合っていた手を離すと、慌ててアストにしがみついた。
「あわわ!」「何ですか……!」
アストはいつもの調子で解説を始める。
「私の魔力で二人を包み込み支えています。安心してください、落ちることはありません。私が保証します」
そう言いながら、都市庁までの距離と跳躍角度、必要なエネルギーを計算し終えると、アストは二人に告げた。
「二人とも、舌を噛まないように。都市庁まで──ひとっ飛びです」
蓄えた魔力を一気に放出し、高空へと飛び上がる。
「ひゃああああ!!!」「きゃああああ!!!」
最初は叫んでいた二人だったが、跳躍の頂点付近になると速度も緩やかになり、景色を見る余裕が出てきた。
三人はしばし、夕日に染まる都市を見下ろす。
「綺麗……」
リュミナが呟くと、リンネは得意げに胸を張る。
「アスト様と一緒にいれば、こんな景色いくらでも見れますよ!」
「どうしてリンネが自慢気なのですか……。それはともかく、そろそろ下降を始めます。注意してください」
そう言うなり落下が始まり、再び二人の悲鳴がグラナテイルの上空に響き渡った。
【8節.明晰な別れ】
グラナテイル出立当日。
都市庁の馬車停留所の前で、アストたちは別れの挨拶を交わしていた。
エルバートの片腕に抱かれたアストが、静かに言葉を紡ぐ。
「ハルド様、グレン様、職員の皆様方。お世話になりました」
一歩前に出たハルドが、深く礼をしながら応える。
「お世話になったのはこちらの方です、アスト殿。重ねてグラナテイルを救っていただき、誠にありがとうございました」
その言葉に合わせて、都市庁の人々も一斉に頭を下げる。
グレンがリュミナに向き直り、柔らかく語りかけた。
「リュミナ。アスト殿にご迷惑をお掛けしないようにな。ヴェルディアでの適正確認への助力、頼んだぞ」
リュミナはこの数日の間に手続きを済ませ、正式にグレンの養子となっていた。
その上で、ヴェルディアでもグラナテイルと同様に魔素の適正確認を実施することが決まり、
リュミナの力が大きな助けになると判断されたため、同行が許可された形だった。
当初リュミナは養子になることに難色を示したが、
アストと同行するにしても、信頼できる人物と養子縁組をして肩書を得ることは彼女にとって良いだろうとリンネが助言し、折れる形となった。
「うん! グレンさ……ううん、お父さん!! 私、アストのお手伝い頑張ります!!」
その言葉にグレンは思わず目頭を押さえ、都市庁の役員たちがリュミナに詰め寄る。
「健康には気を付けるんだよ」
「リュミナちゃん! 絶対に無事で帰って来てね!!」
「アスト様と一緒なのだから大丈夫に決まっているだろう。だけど元気でな」
「色んな世界を観て来るんだぞ」
代わる代わる握手を求めながら、温かな声が飛び交う。
「う、うん……皆も、元気でね……?」
勢いに押されながらも、リュミナは一人一人丁寧に挨拶を返していく。
その様子を見ながら、アストが首を傾げる。
「私の別れよりも惜しまれていませんか……?」
エルバートは微笑ましげに笑う。
「リュミナはもはやグラナテイル都市庁の人気者。役員全員の娘と言っても過言ではないようですな」
リンネも相槌を打つ。
「魔素色覚で悪意のある人間を避けてきたあの子に認められるということは、“良い人”であると判断されるということです。それだけでも嬉しいのでしょう」
アストは同意を示しつつも、静かに語る。
「……確かに彼女には人を見る目があります。ですが、人を惹きつける魅力──それは魔素色覚という能力ではなく、彼女自身の人徳から来るものです」
「……あれだけやり合っていたリンネ殿も、いつの間にやら絆されていましたしな」
エルバートに指摘されたリンネはそっぽを向く。
「別に絆されてなどいません!……ほらリュミナ、そろそろ馬車に乗ってください。皆様も、今生の別れというわけではないのですから」
リンネがリュミナを引き上げると、ハルドたちは惜しみつつも姿勢を正し、アストとエルバートに向き直った。
「アスト殿。ヴェルディアでのお役目、順調に進むことを祈っております」
「リュミナのこと、よろしくお願いいたします」
「はい。私個人は、たびたびこちらに伺うこともあるかと思います。その時には経過報告と一緒に、リュミナの近況もお伝えいたします」
エルバートが苦笑しながら口を挟む。
「これからはアスト殿が都市間を繋いでくれるということですな。聖獣殿を使いにするようで気が引けますが……」
ふっと笑みを浮かべて、グレンが答える。
「アスト殿はそんなことを気にする御方ではありませんよ。権威や名声などは手段の一つと理解している方です。むしろ必要だと判断すれば、国王ですら利用してしまうでしょう」
「何てことを言うのだ、グレン。アスト殿に失礼ではないか」
ハルドがたしなめると、アストは笑いながら答えた。
「グレン様の言う通りです。私は私が大切だと思った人々を助けるための手段は選びません。それが、私の使命ですから」
その言葉にハルドは一瞬驚いたが、表情を柔らげ、深く頭を下げた。グレンもそれに続く。
「それでは、アスト殿。ご壮健でありますように」
「はい。ハルド様、グレン様もお元気で」
アストとエルバートが馬車に乗り込むと、先に乗っていた二人が迎える。
馬車はゆっくりと進み出し、都市庁の門を抜けて大通りを進み始めた。
「アスト、遅い!」
「こういう別れには儀礼的なものがあるのです。道すがら、あなたにはその辺りをしっかり教える必要がありそうですね」
「そうですね。リュミナの教育はリンネにお任せしましょう。ですが、その前に──」
アストが馬車から後ろを振り返る。
都市庁の門から出てきたハルドたちが、手を振っていた。
リュミナが身を乗り出して手を振り返すと、大通りの端々からも見覚えのある人々が顔を見せ始める。
「お達者でのう!」
「またうちの店に食べに来るんだよー!」
「リュミナちゃんー! 聖獣様ー! またねー!」
長く人を遠ざけて暮らしていた彼女が、町の人々に受け入れられるようになったのはほんの短い間に過ぎなかった。
だが、その笑顔と真っ直ぐな言葉は彼らの心に染み入り、まるで家族の一員のように受け入れられていた。
しかし、彼女はまだ魔素色覚の制御が完全ではなく、人々の顔をはっきり見ることはできなかった。
「みんな……」
思わず手を止めてしまうリュミナ。
「リュミナ……」
アストがそっと彼女に触れ、魔力素子の働きを調整する。
次第に、リュミナの視界でも人々の顔が鮮明に見え始めた。
「みんな……! またねーーー!!」
ハルドたちとの別れの際にも涙をこらえていたリュミナの目に、今度は静かに涙が滲んでいた。
その涙は夕日の光を受けてきらめき、彼女の瞳に映る人々の姿を一層鮮やかにしていた。
馬車がゆっくりと街路を進むにつれ、街の声は次第に遠ざかっていく。
それでもリュミナの胸には、確かに温かな絆が刻まれていた。
その絆は、これから歩む新しい旅路を支える灯火となるだろう。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第9章は終了となります。
次章も引き続きよろしくお願いいたします。




