9章:都市に灯る色②
【2節.休日の街】
健康診断が始まってから、すでに1ヶ月が過ぎていた。
グレンの計らいにより、リュミナは都市庁の客室で寝泊まりするようになり、
役員たちとの交流を経て、少しずつ人との触れ合いに慣れてきたようだった。
その日は病院の休診日。
アストも診断業務を休み、溜まっていた書類とデータの整理に取りかかっていた。
「AIだった頃なら、こういう作業は一瞬で終わったのですが……紙媒体の確認となると時間がかかりますね」
そう呟きながらも、アストは常人とは比べものにならない速度で書類の山を片付けていく。
寝室から欠伸混じりに現れたリュミナは、机に向かうアストを見て目を丸くした。
「アスト、今日はお休みじゃなかったの?」
「はい。健康診断はお休みなので書類の整理を進めています。リュミナは疲れているでしょう。今日はゆっくりしてください」
そう答えると、アストは再び書類に目を落とした。
リュミナは何か言いたげに立ちすくんでいたが、言葉にはならず、モジモジと足を動かすだけだった。
その時、客室の扉がノックされ、神経質そうな声が響いた。
「アスト殿、グレンです」
入室を促すと、グレンは「失礼します」と一礼して部屋に入ってきた。
リュミナはまだ完全には打ち解けておらず、少し距離を取るように後ずさる。
その様子にグレンはわずかに寂しげな表情を浮かべたが、書類に向かうアストを見て、思った通りだとばかりにため息をついた。
「やはり書類整理をしていましたか……。自分で言うのもなんですが、貴方は私に負けず劣らず真面目すぎるところがある」
「性分ですので。やれることは、やれるうちに済ませておかないといけません」
グレンは、アストのそばで立ち尽くすリュミナに視線を移し、再び深いため息をついた。
「どうされましたか? 先ほどからため息が多いみたいですが、グレン様もお疲れでしょうか」
「いえ……この場の人心に関しては、“聖獣様”より僅かばかり私の方が上かもしれないと思いましてね」
アストが首を傾げると、グレンは続けた。
「せっかくの休日です。リュミナを市街に連れて行ってみてはどうでしょう。本人が嫌がるのであれば無理にとは言いませんが」
その言葉に、リュミナの顔がぱっと明るくなる。
「私、アストとお出かけしたい……です!」
リュミナの嬉しそうな反応に、アストは思案する。
「……確かに、診断の手伝いや魔素の制御訓練ばかりで、息抜きをさせていませんでした。マスター曰く、“ご褒美がなければ人は頑張れない!”……肝心なところを見落としていましたね」
「分かりました。今日は出かけることにしましょう。ただ、残念ながら私には手持ちがありませんね……」
「ご安心を。私も同行します。リュミナが嫌がるようでしたら、離れた場所で見守るだけにします」
その瞬間、リュミナが焦ったようにグレンの元へ駆け寄った。
「嫌じゃ、ありません……!」
突然の大声に、アストもグレンも驚く。
リュミナは胸に手を当てるようにして、一言一言を絞り出した。
「まだ少し……人と話すのは慣れてなくて。でも、バルクス様の色は……優しい人の色だって分かったから……嫌じゃありません……」
それ以上言えず俯いたリュミナに、グレンは優しく微笑んだ。
「そうか……ありがとう」
恐る恐るリュミナの頭に手を乗せると、彼女は一瞬肩を震わせたが、やがてその手を静かに受け入れた。
「君を助けられなかったことの償いになるかは分からない。だが、私にできることなら、何でもしよう」
その言葉に、リュミナは小さく頷いた。
都市庁を出たアストたちは、市街の通りへと足を踏み出した。
リュミナはアストと一緒に、一つの巾着袋を大事そうに抱えていた。
中には小金貨が数枚――手にずっしりと重みが伝わる。
「都市長からのご厚意です。せっかくですので、使わせていただきましょう」
アストが中を確認している横で、グレンも巾着を覗き込み、眉をひそめた。
「しかし、これは額が大きすぎますね。ひとまずは崩しておくべきでしょう。大きな買い物となると、まずはあの人のところでしょうか……。細かいお金ができれば、雑貨店などで身の回りの品を――」
グレンは独り言のように呟きながら、すでに今日の行程を組み立て始めていた。
リュミナは歩きながら、少し前の出来事を思い出していた。
「でも……都市長様、すごく残念そうでした」
――それは、都市庁の通路でのこと。
「なに? リュミナがアスト殿やグレンとお出かけですと?」
すれ違いざまに話を聞いたハルドは目を輝かせて立ち止まり、胸元から巾着を取り出すとアストの手元にぽんと置いた。
「これは私からのお小遣いです。アスト殿に託しましょう。ぜひ、リュミナを楽しませてあげてください」
アストが頷くと、ハルドは悔しげに呻いた。
「ぬぅ……しかし今日が休みでないのが悔やまれる。いや、今からでも会議をキャンセルして……」
「何を言っているんですか! 都市長ともあろう人が、子どもにそう言うところを見せてはいけませんよ!」
涙目で役員に引きずられていくハルドの姿が脳裏に浮かび、リュミナは思わずふふっと笑った。
「それがあの方の仕事ですから。それにしても子煩悩が過ぎますね……リュミナがご子息と同じくらいの年の頃だからと言って。会えない寂しさをリュミナで埋めているのでしょう」
グレンがそう言って微笑むと、リュミナに視線を向ける。
「それよりも、お腹は空いていませんか? まずは何か食べに行きましょう」
一行は市街の出店で軽食を取ることにした。
店主はリュミナに香ばしいトルティーヤのようなものを手渡す。
支払いに出たグレンの姿を見て、店主はもの珍しそうに目を細めた。
「あら……グレン坊じゃないか。この子たちはあんたの連れかい?」
美味しそうに頬張るリュミナの服装を見た店主の表情が険しくなる。
それは役員服を無理やり丈合わせしたような格好で、女の子らしいとはお世辞にも言えないものだった。
「まったく、何て格好させてんだい! 食べながらで良いから婆様のとこに行くよ!」
店主はすぐに店を畳むと、リュミナの背中を押しながら市街を進み始めた。
「お店は大丈夫なのですか?」
アストが尋ねると、彼女はウィンクした。
「趣味でやってるようなもんだから構わないよ。そんなことより、このお嬢さんの方が問題さ。ほら、グレン坊もさっさと付いて来るんだよ!」
強引に押されて行くリュミナとアストの後を、グレンは難しい表情でついて行った。
やがて、一軒のお店の前に辿り着く。
幾世代もの時を越えてきたことを物語る店構え。
豪奢ではないが、磨き抜かれた木の艶や壁の細かな傷が、老舗ならではの落ち着きを感じさせた。
店主が声を掛けると店の奥から妙齢の老人が顔を出す。
二人は二言三言挨拶を交わした後、老人はアストたちに気づいて口を開いた。
「グレン坊じゃないか、こんな時間に何やってんだい?……そっちのお嬢さんが抱いている方は噂の聖獣様だね? お目にかかれて光栄だよ」
「初めまして、アスト・ロカスと言います。こちらは衣服を扱うお店でしょうか?」
「ああ、見ての通りさ」
老人が答えると、店主はリュミナの背後に回り、老人の前へ押し出した。
「あの子ったら、こんな可愛い子にこんな格好させてるんだよ。婆様、ちょっと見繕ってやってくれないかね? じゃ、あとは頼んだよ」
店主はグレンの肩を軽く叩いて店を後にした。
老人はしばしリュミナを見つめ、従業員たちを呼んだ。
「代金は都市庁補佐官様持ちだ、たっぷり着飾ってやりな」
従業員たちは「可愛い! 可愛い!」と言いながらリュミナを連れ去って行った。
アストはグレンに預けられ、店に備え付けられたテーブルで待つことになった。
老人も席に着き、ただ待つのも退屈だろうと、グレンの昔話を語り始めた。
「グレン坊はね、この街の端っこで育ったんだよ。 父親は修理工、母親は教会で子どもの預かり所を開いていてね、この辺りじゃ世話になってる人は多かった。……だから、病でこの子の両親が二人とも亡くなった時は、皆が引き取ろうと言っていたよ」
「でも、この子はあの家を離れなかった。私らのところで働きながら参考書を買い集めて、来る日も来る日も勉強を続けていた。それが実を結んだんだろうね、都市庁の試験に受かって、今じゃ立派な都市長補佐官さ」
老人は誇らしげにグレンを見つめる。
「貴族じゃないから陰口も叩かれたけど、この子は誰よりも真っ直ぐだったよ」
グレンは気まずそうにしていたが、店主には敵わないらしく、黙って聞いていた。
その時、衣装を新調したリュミナが戻ってきた。
周囲から褒められ、照れながらも嬉しそうに笑っていた。
「アスト! どうかな!!」
肩から垂れるケープが歩みとともに揺れ、彼女の笑顔を引き立てていた。
リボンで絞められたスカートは細やかなプリーツが光を受けてきらめき、軽やかに広がる。
黒いタイツとブーツが足元を引き締め、花飾りに揺れる髪がその姿を柔らかく包み込んでいた。
「よくお似合いですよ、リュミナ。グレン様もそう思いますよね」
「え……ええ、見違えました。とても……綺麗です」
不慣れながらも賛辞を述べるグレンに、リュミナは笑顔を向けた。
「ありがとうございます!」
その様子を、老人は目を細めて優しく見つめていた。
新しい衣装に身を包んだリュミナが纏う雰囲気は、街の空気まで明るくしたようだった。
お読みいただきありがとうございます。
次話も引き続きよろしくお願いいたします。




