8章:不浄と浄化の石④
【7節.呼吸する山】
アストが加工したグラナイト鉱石は、“クリーンセム”と名付けられた。
それによって、都市はゆっくりと息を吹き返し始めていた。
病院の各部屋では淀んだ魔素が薄れ、鉱山周辺でも工夫たちの症状が収まりつつある。
広場には、久しぶりに子どもたちの笑い声が戻っていた。
都市庁では、報告書を閉じたハルドがアストへ向き直る。
「しかし、クリーンセムとは……皮肉なものですな。“セム”は貨幣、すなわち“価値”を示す言葉。かつて屑石と呼ばれたものが、都市を救う価値を持つとは」
柔らかな笑みを浮かべたハルドは、胸に手を当てて深く頭を垂れた。
「この都市は、あなたによって救われました。アスト殿……いえ、聖獣様」
アストは静かに首を振る。
「私は、ほんの少し手を貸しただけです。病に立ち向かったのは、この都市に生きる人々自身の力ですよ。それに、クリーンセムの効果は永久ではありません。増産も必要ですし……まだまだ、課題は多いですね」
ハルドは深く頷き、再び礼を返した。
――都市が落ち着きを取り戻しつつある今こそ、根本原因に向き合う時だった。
◆
アストはエルバートに抱えられ、血咳症の原因とされるグラナイト鉱山へ向かった。
坑内に踏み入れた瞬間、肌にまとわりつくような重い空気が二人を包む。
「やはり、この鉱山は魔素濃度が高いようですね」
「む……これは……外とは違いますな。私にも何となく分かりますぞ」
エルバートは眉をひそめる。
マスクに仕込まれたクリーンセムが、薄暗い坑道の中でかすかに光った。
「しかし、鉱石と病の関係は判明したのでしょう? 何故わざわざここに?」
「確かめたいことがあるのです。すぐに分かると思いますよ」
アストの言葉と同時に、近くの鉱石の表面に赤黒い霧が滲み出した。
「これは……?」
エルバートが目を細めると、アストは静かに告げた。
「これが汚染された空気と、不活性魔素の正体です」
「しかし、グラナイト鉱石は魔素や空気を浄化する作用を持つとも聞いていますが?」
アストはマスク越しに光るクリーンセムへ視線を向けた。
「浄化と不活性化は、それぞれ別の反応です。グラナイト鉱石は“魔素の濃度やエネルギーの偏り”を嫌う性質があるようで……」
アストは再び鉱石に視線を戻す。
「エネルギーが少ない時は周囲から吸収し、粒子に含まれる魔素を不活性化させます。逆に飽和すると、余剰分を放射して活性化を促す。ただし、この放射は長く続きません。次第に弱まっていきます」
「なるほど……だからクリーンセムの効果も永久ではないのですな」
エルバートが頷くと、アストは周囲の気配に意識を向けた。
「……そして、この鉱山には“不活性化を促す何か”があります。魔素の流れが不自然なのです」
「不自然?」
「少し試したいことがあります」
アストはエルバートの腕から軽やかに飛び降り、地面に手を添えて目を閉じた。
「“サテライト・アイ・L-Wave”」
低い呟きとともに、周囲の鉱石が淡く輝き、波紋のように光が広がった。
「これは……!」
光が収まると、アストは立ち上がり、息を整えた。
「観測波を長波長に変えて放射しました。鉱石の干渉を受けにくく、内部の魔素の動きが見えるのです」
「鉱石が発光したのは、内部の魔素が励起して放出されたためです。悪影響はありません」
エルバートは感心したように目を丸くする。
「便利な能力ですな」
アストは頷きながら続けた。
「観測の結果、この鉱山では“周期的に魔素が噴き出している”ようです」
「魔素が……噴き出す?」
「はい。高濃度の魔素が流れ込むと、まず坑内に漂う塵が魔素を取り込みます。
その後、グラナイト鉱石は濃度勾配を嫌ってそれらの粒子を吸着し、
さらに粒子から魔素のエネルギーを奪って不活性化させます。
そして、空気中の魔素や粒子の濃度が次第に薄れていき、
鉱石内部の濃度との差が逆転した時……不活性化した魔素を含む粒子が、
先ほどのように滲み出すのです」
エルバートが深く息を吐いた。
「つまり……鉱石の性質と、この環境が悪い意味で噛み合ってしまったわけですな」
アストは壁面に手を添え、静かに言った。
「ここは山脈の隆起によって、魔素を噴き出す“脈”が地表近くに露出している場所のようです。私の仮説ですが──魔素とは、この星の地殻運動によって生まれるエネルギーなのかもしれません」
アストがさらに語り始めようとしたところで、エルバートが軽く咳払いをした。
「……それで、これはどうすれば良いのですかな?」
語りすぎたことに気づいたアストは、咳払いを返し、結論を述べた。
「魔素脈の噴出は自然現象で、管理は不可能です。鉱山で働く方々にはクリーンセムを使った防備を徹底してもらう必要があります。そして、鉱石を大量に放置しなければ、ある程度は安全を保てるでしょう」
ようやく話がまとまり、エルバートは安堵の息をついた。
「ひとまず、現地確認は終えたとしましょう。問題は今後の課題ですね……リンネのように魔素の流れを感知できる方がいれば、不活性魔素の濃度が高い場所や時期を避けられるのですが」
再び思索に沈み、動かなくなったアストを見て、エルバートは肩をすくめた。
「……それはまた都市庁で議論するとしましょう。今は戻るのが先ですな」
エルバートがアストを抱き上げると、二人は坑道をゆっくりと戻り始めた。
【8節.色を見る少女】
鉱山を後にしたアストの視界に、近くの貧民街が広がった。
街全体の空気は改善されつつある。
だが――あの一角だけは、まだ重く淀んでいる。
「貧民街……マルティン様がおっしゃっていた場所ですね。市街は浄化されていますが、ここは……」
アストの呟きに、エルバートが目を細める。
「確認に向かわれますかな?」
「助かります。ただ……大丈夫でしょうか?」
今日は護衛の騎士がいない。
治安の悪い場所で、エルバートに何かあれば──。
アストの不安を察したのか、エルバートは胸を張った。
「なぁに、多少は鍛えておりますのでな。自分の身くらい守れますぞ」
その自信に、アストは小さく頷き、二人は貧民街へと足を踏み入れた。
◆
路地を進むにつれ、生活の厳しさが目に見えてくる。
痩せた体つき、薄い衣服。
だが、血咳症の症状は思ったより軽い者が多かった。
「……重症の方は、ほとんど病院に運ばれていたのですね」
アストが感心したように呟くと、エルバートは鼻を鳴らす。
「ふん。多少は良いことをしていたのでしょうが、それでもあの男の性根は好きになれませんな」
アストは苦笑しつつも、歩みを進める。
その途中――ふと、違和感が胸をよぎった。
「……症状が全くない方もいますね。これだけ鉱山に近い場所で」
エルバートも周囲を見回し、眉を寄せる。
「確かに。抗体……いや、耐性のようなものがあるのかもしれませんな」
その時だった。
アストの視線が、路地の隅に佇む小さな影を捉える。
薄汚れた服。
怯えたように、しかしどこか期待するようにこちらを見ている少女。
アストがそっと近づくと、少女は一歩後ずさった。
だが――アストの姿を見た瞬間、息を呑むように目を見開いた。
「……見える」
その一言に、アストの足が止まる。
少女はおずおずと近づき、震える声で名乗った。
「わたし、リュミナ……あなたは……?」
「アスト・ロカスと言います。リュミナさん、少しお話をしても?」
リュミナは小さく頷き、アストをじっと見つめた。
「あなたは……はっきり見える。こんなふうに見えたこと、今までなかった」
その言葉に、アストの胸に小さな警笛が鳴る。
――これは、ただの“感覚の鋭さ”ではない。
「失礼します……」
アストは静かに手をかざし、魔力の流れを乱さないよう慎重に情報を読み取った。
(視覚と認識を司る身体部位の魔力素子が、異常なほど発達している……)
確信が生まれ、アストはそっと問いかけた。
「……人や物が、“色”で見えていたりはしませんか?」
リュミナの瞳が大きく揺れた。
次の瞬間、堰を切ったように涙がこぼれ落ちる。
「……誰も信じてくれなかったの。気持ち悪いって言われて……怖い色の人には近づかないようにして、食べ物も……変な色じゃないものだけ拾って……」
初めて理解してくれる存在に出会えた安堵が、声に滲んでいた。
アストは優しく問いかける。
「リュミナさんには、私たちはどう見えていましたか?」
リュミナはおそるおそるエルバートを見て、そしてアストに視線を戻す。
「最初は……綺麗な白い光。でも、あなたがその光から出て来て……生まれて初めて、“はっきり見えた”んです」
アストは深く頷き、そっと微笑んだ。
「リュミナさん。もしよければ、少し私を手伝っていただけませんか? あなたの感覚は、この都市にとって……きっと大切な意味を持ちます」
戸惑いながらも、リュミナはわずかに頷いた。
その仕草は、ようやく寄り添える木を見つけたひな鳥のようでもあり――
心を預ける先を確かめるように、静かにアストを見つめていた。
その視線の揺れが、これまで彼女がどれほど孤独だったのかを物語っている。
アストは静かに息を吸い、胸の奥に生まれた感情を押しとどめた。
――リュミナのような存在が、この都市に、この世界に何をもたらすのか。
その問いだけが、彼の中で確かに灯り続けていた。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第8章は終了となります。
次章も引き続きよろしくお願いいたします。




