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8章:不浄と浄化の石③

【5節.清濁】


都市庁前の広場には、準備を終えた人々の静かな緊張が漂っていた。


アストの指示を受け、エルバートは騎士たちに合図を送った。

ヴェルディアから運んできたグラナイト鉱石が次々と荷車から降ろされていく。


ハルドは荷を確認しながら、部下と短く言葉を交わしていた。



「この数では都市全域に配置するのは難しいでしょう。慎重に分配せねばなりません」



周囲の者たちは皆、固い表情でアストの言葉を待つ。



「まずは鉱山の入り口周辺を重点的に。そこからの不活性魔素流出を防がなくてはいけません。左右に一箱ずつ設置してください」


「そこには私が同行しましょう」



ハルドが即座に応じる。



「次に、血咳症患者を受け入れている病院と診療所。各部屋に一つずつ設置してください。発症者の呼気には不活性魔素が多く含まれています」


「病院には私も向かいます。空気の浄化だけでは重症者の回復が間に合いません。直接治療が必要です」



指示を受けた者たちはすぐに動き出し、

ハルドは鉱山へ、アストとエルバートは病院へと向かう馬車に乗り込んだ。



――馬車の中。


アストとエルバートが揺れる座席に身を預けると、対面には険しい表情の男が静かに座っていた。

その目には、焦りとも不安ともつかない色が宿っている。


病院へ向かう道中、車輪の音だけが響く。


やがて、男が重い息を吐き、口を開いた。



「エルバート殿、本当にこれで血咳症は根絶できるのだろうか?」


「何を言っている、グレン。聖獣様のお言葉だぞ。クロウフォード家の太鼓判もあるお方だ」



エルバートの即答に、グレンと呼ばれた男は小さくため息をつき、アストに向き直る。



「申し遅れました、聖獣殿。私はグレン・バルクス、都市長補佐官を務めております」



丁寧な挨拶の中に、わずかな疑念が滲んでいた。



「アスト・ロカスと申します。アストとお呼びください」


「分かりました、アスト殿。失礼ながら、私は“聖獣”という肩書を盲信するつもりはありません。貴族の後ろ盾も、私にとっては保証にはなりません」



エルバートは怒るでもなく、肩を揺らして笑った。



「相変わらずだな、グレン。アスト殿、彼は自分の目で見たものしか信じない男でして。悪い奴ではないのです、どうかご容赦を」



グレンは仏頂面のままアストを見つめる。



「グレン様、ご心配はもっともです。ですが、今は私が何を成すか──それを見届けていただければと思います」



その静かな言葉に、グレンの表情がわずかに緩んだ。



「……私はこの都市の安全と利益を第一に考えています。あなたの行いが都市のためになるのであれば協力は惜しみません。この目で、見定めさせていただきます」



アストは静かに頭を下げ、エルバートは満足げに笑った。



――馬車が半刻ほど走った頃。


都市庁と並ぶほどの大きな建物が見えてきた。



「重症患者はすべてこちらに搬送されています。貧民層の市民も、隔離措置としてこちらに集められているようです」



受付に書状を提出すると、すぐに奥へ案内された。


ほどなくして、恰幅の良い白衣の男が現れる。



「ようこそ、グレン・バルクス様。当病院の院長、マルティン・ローヴェルです。さて、書状によると血咳症に関する件とのことですが……聖獣様とは?」



グレンが一歩下がり、エルバートがアストを抱えたまま前に出る。



「こちら、クロウフォード家政務長官エルバート・グレイ殿。そして、聖獣アスト・ロカス殿だ」



アストとエルバートは軽く頭を下げる。

マルティンはアストを一瞥し、眉をひそめた。



「どうも、エルバート・グレイ様。そして……こちらが聖獣様ですか。しかし、院内は衛生管理を徹底しております。“獣”を入れるのは少々……」



侮蔑の色を含んだ視線が向けられた。

エルバートの腕に力が入り、アストが苦しげにタップすると、慌てて力を緩めた。


グレンが一歩前に出る。



「これは都市長命令です。重症患者にアスト殿の診察を受けさせてください。責任はこちらで持ちます」



淡々とした口調だが、その奥に揺るぎない誠実さがあった。



「……そうおっしゃるなら」



マルティンは渋々といった様子で案内を始めた。



個室が並ぶ通路を抜け、最奥に広間へ入ると――


簡素なパーテーションの向こうに、貧民街から運ばれた患者たちが横たわっていた。


苦しげな呼吸、うめき声、乾いた咳。

血咳症の凄惨さを、その光景が物語っていた。



「……何だこれは」



エルバートは歯を食いしばり、グレンも眉を顰めた。



「これが病人への扱いか!」



怒りを露わにするエルバートに、マルティンは淡々と返す。



「院内ではお静かに。彼らの中には治療費すら払えない者もいます。文句を言える立場ではないでしょう」


「貴様……!」



詰め寄ろうとするエルバートを、アストが制した。



「待ってください。見たところ、ベッドも衣類も清潔です。換気もされている。点滴を受けている方もいます。最低限の医療措置は行われているようです」



マルティンは「ほう」と目を細めた。



「途中の個室にも重症者がいたはず。それでもこちらを案内した……つまり、こちらの診察を優先したのですね」



アストの言葉に、マルティンは態度を一変させ、深く頭を下げた。



「流石の慧眼です、聖獣様。彼らは鉱山近くの貧民街から運ばれた患者で、この都市で最も症状が酷い者たちです。どうか、彼らをお救いください」



エルバートとグレンはその変わり身に呆気に取られたが、アストはため息をつきながら言った。



「マスター曰く、『善行に欲を足すと、途端に評価は落ちる』……あなたは、損を買って出る方ですね」



マルティンは悪戯っぽく笑う。



「善行の評価など1セムにもなりませんよ。それに、あなたは勘違いをしておいでだ。貧乏人を寝かせていては経費がかさむばかり。一方、上流階級の患者は入院が長引けば金になります。むしろ得をする方かと」



アストは何とも言えない表情で応じ、診察を始めた。


そしてその日のうちに、個室の患者も含め、すべての血咳症患者の治療を終えたアストは――


人々が救われて嬉しいような、金づるを逃して悲しいような、

複雑な表情を浮かべるマルティンに見送られ、病院を後にした。




【6節.再生のいしずえ


病院の外に出ると、夕暮れの光が石造りの街並みに柔らかく降り注いでいた。

昼間の喧騒が嘘のように静まり、風が街路を撫でていく。


アストはふと立ち止まり、空を見上げた。



「……都市を巡る魔素の流れが、少しずつ変わり始めていますね」



その声音は、確信というより“気づき”に近い。

グレンは眉を寄せつつも、胸の奥で何かがほどけるように息を吐いた。



「確かに……空気が軽い。気のせいかと思いましたが」



エルバートは肩をすくめ、笑みを浮かべる。



「気のせいでも構わんさ。そう感じられるようにしていくことが、何より大切だ」



その言葉に、グレンはふと視線を落とし、しばし考え込むように沈黙した。

やがて、アストへ向き直る。



「アスト殿……あなたは、なぜそこまでしてこの都市を救おうとするのですか? この地に、特別な想いがあるわけでもないでしょう」



その問いは責めではなく、純粋な疑問だった。



(……“世界の荒廃”について今ここで語っても、余計な不安を与えるだけですね)



アストはそっと視線を落とし、慎重に言葉を選んだ。



「……それが、神から与えられた私の“役目”だからです」



エルバートは顎に手を当て、興味深そうに身を乗り出した。



「ほう……神とは。まさかエーテ・ミラ神は実在しているのですか?」



アストは小さく首を振る。



「エーテ・ミラ神教が掲げる神と同じ存在かは分かりません。ただ、私は……“大切な方との再会”を約束していただく代わりに、この世界で果たすべき“務め”を預かりました」



グレンは目を見開き、エルバートも思わず息を呑む。



「ですが、役目や使命など関係なく……本当は、“私自身がそうしたいから”なのかも知れません」



その一言に、グレンの表情がふっと和らぐ。



「……なるほど。あなたにも“守りたいもの”があるのですね」


「しかし神と取引とは。アスト殿も案外、俗な──いや、人間味のあるお方のようで。……もっとも、お姿は人よりもよほど愛嬌がありますがな」



エルバートは愉快そうに笑った。


アストは少しだけ目を細め、胸の奥が温かくなるのを感じた。


この二人なら、少しだけ本音を話してもいい――そう思えた。

お読みいただきありがとうございます。

次話も引き続きよろしくお願いいたします。

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