8章:不浄と浄化の石②
【3節.鉱山都市グラナテイル】
鉱山都市グラナテイル――。
豊富な石材に恵まれたこの地を象徴するように、外壁はどっしりとした重みを湛えていた。
「本当に街があるとは……」
アストは思わず息を漏らす。
かつて“サテライト・アイ”での観測波が途絶え、空白地帯として記録されていた場所だ。
これほどの規模の都市が隠れていたとは、にわかに信じがたい。
念のため再度観測を試みたが、魔素の反射はわずかにしか感じられなかった。
馬車が門を越え、石畳の大通りへと入る。
窓の外には、遠方に連なる山々と、そこから切り出された石材で築かれた街並みが広がっていた。
行き交う人々の中には、血咳症と思しき症状を示す者もいる。
だが、空気は澄んでおり、ヴェルディアで感じた淀みはなかった。
「やはり……思ったほど状況は悪くなさそうですね」
アストの呟きに、エルバートが眉を寄せる。
「どういうことですかな? 噂では死者も出ていると聞きましたが」
「詳しい説明は、街の代表者にお会いしてからにしましょう」
やがて、大通りの左手に大きな建物が見えてきた。
エルバートが御者に合図を送り、アストへ向き直る。
「あれが都市庁です」
馬車が停まると、エルバートは書状を門衛に手渡した。
門衛の一人が慌てて建物へ駆け込み、もう一人が馬車の誘導を始める。
ほどなくして、壮年の男性が数名の役員を伴って姿を現した。
「エルバート・グレイ様、ようこそお越しくださいました」
丁寧な挨拶に、エルバートも軽く頭を下げる。
「ハルド殿、ご無沙汰しております。本日は重要なお話があり、参りました。聖獣アスト殿と共に」
エルバートが馬車の方へ視線を向けると、ハルドは馬車の入り口に立つアストを見て息を呑んだ。
――都市庁の応接間。
アストとエルバートは都市長が戻るのを待っていた。
「鉱石を積んだ馬車は、駐留所に待機させております」
「ありがとうございます。後ほど運び出すことになるかと思いますので、その際は人手をお願いできれば」
エルバートが頷いたところで、扉がノックされた。
「ハルド・メイランです。失礼いたします」
都市長が入室し、二人の前に腰を下ろす。
「お待たせしてしまい申し訳ございません。改めてご挨拶を。わたくし、グラナテイルの都市長を務めております、ハルド・メイランと申します」
「初めまして。アスト・ロカスと申します。アストとお呼びください」
ハルドはアストをじっと見つめる。
その眼差しには、都市を預かる者としての責任と慎重さが滲んでいた。
「……聖獣アスト様。あなたが多くの人々を救ったという噂は、我々の耳にも届いております。本日はよくお越しくださいました」
ハルドは姿勢を正し、持っていた書状へと視線を移した。
「さて、書状を拝見いたしました。マルコム様のご回復、心よりお祝い申し上げます。そして……誠に申し訳ない」
深く頭を下げるハルド。
「あの鉱石が毒を持っていたとは……知らなかったとはいえ、ヴェルディアの方々にはなんとお詫びをすればよいか……」
「お気持ちは分かります。しかし、あの鉱石の性質は誰にも分かりませんでした。幸い、ヴェルディアでは死者は出ていません。マルコム様も順調に回復されています」
アストは一拍置き、本題へと移る。
「本日は責任を問うために来たわけではありません。まず、グラナテイルでの血咳症の被害状況を教えていただけますか?」
ハルドは静かに答えた。
「数ヶ月前には工夫の中から死者も出ました。町民の多くも症状を示しておりましたが……最近は新たな重症者は出ておらず、軽度の者は改善傾向にあります」
エルバートが腕を組む。
「ふむ……では、何故この都市では症状が改善しているのか。そろそろお聞かせ願えますかな?」
アストは頷き、説明を始めた。
「書状にも記しましたが、血咳症の原因は鉱石に内包された汚染空気と魔素の乱れです。あの鉱石は空気や魔素を吸収する性質を持っています」
エルバートが続ける。
「つまり、掘り出されたばかりの鉱石は“汚染されている空気”を吸い込む……」
「その通りです。この都市では新しい鉱石が大量に掘り出されているため、空気の浄化がわずかに進んでいるのでしょう」
アストは淡々と続ける。
「本来なら鉱山労働者には塵肺などの症状が出るはずですが、それが見られなかったのも同じ理由です」
ハルドは悔しげに俯いた。
「つまり……我々は、知らぬ間にその鉱石に守られていた……」
「では、この街はもう血咳症の心配はない、ということですかな?」
エルバートの問いに、アストは静かに首を振る。
「いえ。鉱石の吸収量には限界があります。新しく掘り出しても、いずれ毒性を帯びてしまうでしょう」
ハルドは身を乗り出し、必死に問いかけた。
「アスト様……何か解決策はないのでしょうか!? 我々はどんな協力も惜しみません。どうかこの街をお救いください……!」
その時、エルバートが指を鳴らし、口元を吊り上げた。
「なるほど。そこで役に立つのが――ヴェルディアから持ってきた鉱石、というわけですな?」
懐から取り出された鉱石が、光を受けて淡く輝く。
「その鉱石は……」
ハルドが息を呑む中、
アストは静かに、これから行うべき浄化計画を思案していた。
【4節.浄化の石】
アストは、持ち込んだ鉱石を机の上にそっと置かせた。
淡い緑の光を宿した石が、部屋の空気をわずかに揺らす。
「これは、マルコム様がこちらで買い取った鉱石です。ご存じですね」
ハルドは苦い表情で石を見つめ、深く息を吐いた。
「……グラナイト。我々はそう呼んでおります。この都市が生まれた理由の一つでもあります。最初に発見された頃は希少で、商人たちも高値で扱ってくれたのですが……」
言葉を濁したところで、エルバートが静かに続ける。
「金属鉱石の産出が減るにつれ、この石ばかりが増えてきた、というわけですな」
ハルドは重々しく頷いた。
「ええ。グラナイトは非常に硬く、坑道がこれに覆われると掘り進むのが難しくなります。いくつもの坑道が閉鎖となり……大量に産出されるようになってからは、商人に買い叩かれる始末です」
アストは淡く光る石の表面を見つめながら口を開いた。
「この鉱石は多孔質で、空気中の粒子を吸着・放出する性質があります。
そして、それとは別に――
内部に蓄えた魔素が一定量を超えると、“共振状態”へ移行し、特殊な場を生み出す“魔素反応”を起こすようです」
ハルドが眉を寄せる。
「……魔素とは一体何なのでしょうか?」
「この世界に満ちる力の一つです。あらゆる事象に影響し、生態系の根幹にも関わっています」
ハルドはさらに問いを重ねた。
「霊峰エテミラスティアの民が信じる“聖輝”とは別のものでしょうか?」
アストは首を傾げる。
「“聖輝”……この世界ではそう呼ぶのですか?」
エルバートが補足する。
「エーテ・ミラ神教の教えですな。奇跡はすべて、気高き神ミラから与えられる“聖輝”によって起こる、と。
とはいえそれを信じているのは信者くらいで、我が国ゼフィレイアでは、初代国王ヴィクトリアスを崇拝するヴィクトリアス神教が主流です。聖輝という存在を論じていたのも、一部の学者だけでしたな」
そして、にやりと笑う。
「まぁ、今となっては私はアスト神の教徒ですが、わはは」
アストは苦笑しつつ、得られた情報を整理する。
「魔素という名は私が便宜上つけたものです。“聖輝”も同じ現象を指しているのでしょう。名称は重要ではありません。大切なのは――この力が人々の生活に、そしてグラナテイルの危機に深く関わっているということです」
ハルドは静かに頷き、続きを促した。
「このグラナイトには、私が少し手を加えています。汚染された空気を完全に取り除き、内部の魔素を飽和させた状態です」
鉱石は時折、脈打つように光を放っていた。
「光っている時は魔素が放出されている状態です。空気中の魔素が触れると共振反応を起こし、周囲の魔素の流れを大きく揺らします。通常でも微弱な魔素の揺らぎはありますが、飽和させた状態ではその反応が強まるのです」
ハルドは目を見開いた。
「……鉱床の近くで淡い光を見たという報告がありました。正体はこれでしたか」
「ええ。そして、この揺らぎには副作用もあります。“サテライト・アイ”――魔素を利用した私の探知能力の精度が大きく乱されてしまうのです」
エルバートが手を打つように頷く。
「なるほど。だから出立前、周囲の警戒が難しいと言っていたのですな」
頷きながらアストは続ける。
「さて、本題ですが……血咳症は、空気中の粒子を核に魔素が結晶化することで発症します。その原因となるのが、低エネルギー化して結晶化しやすくなった魔素――私は“不活性魔素”と定義しました」
「飽和させたグラナイトの共振は、この不活性魔素を振動させ、活性化を促します。町の要所に設置すれば、不活性魔素を減らすことができるでしょう」
ハルドは感嘆の息を漏らした。
だが、アストは淡々と現実も告げる。
「ただし、問題もあります。飽和状態は永久ではなく、定期的な魔素の補充が必要です。また、飽和したグラナイトは“空気中の粒子を吸着する性質”を失います」
アストは一度言葉を切り、念を押すように継ぐ。
「不活性魔素を活性化させる反応は強まりますが、空気そのものを綺麗にする力はなくなるのです。塵肺などの対策はより必要になるでしょう」
ハルドは肩を落とした。
しかし、エルバートは前のめりになり、アストを見つめる。
「もちろん、それに対する解決策も……考えておられるのでしょう?」
アストは迷いなく頷いた。
「はい。グラナテイルは――必ず再生します」
その言葉は、誇示でも慰めでもない。
ただ静かに、揺るぎない確信だけが宿っていた。
エルバートは誇らしげに微笑み、ハルドは安堵に胸を押さえながら、深く息をついた。
「聖獣様……どうか、この都市をお導きください」
自らが背負うことになる責任の重さを受け止めながら、アストは静かに頷いた。
お読みいただきありがとうございます。
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