8章:不浄と浄化の石①
【1節:快気と旅立ち】
アストがヴェルディアに滞在してから、数日が経った。
リンネと共に街中を駆け回り、血咳症の治療にあたったことで、
沈んでいた街は少しずつ活気を取り戻していた。
病が落ち着いたのを見計らい、
マルコムは改めて感謝の宴を開き、アストとリンネを招いた。
食卓には妻セリーヌ、娘エヴァ、そして後ろに控えるエルバートの姿。
皆が口々に礼を述べ、広間には柔らかな空気が満ちていた。
席を見渡したアストは、見知った顔が一人いないことに気づく。
「ヴェルナー様のお姿が見えませんが、ご体調でも崩されたのでしょうか」
アストの問いに、マルコムは杯を置きながら答える。
「カイルですか。あの者は実家に帰っております。私が倒れてからというもの、エヴァの補佐として働き詰めでしたからな。少し休ませてやることにしたのです」
その言葉に一同が頷き、宴は穏やかに進んでいった。
――食後、アストは礼を述べた後、表情を引き締める。
「治療は終えましたが……根本的な原因はまだ残っています。……リンネ、あれをここに」
数日間の共同作業の中で、アストは自然と名前だけで彼女を呼ぶようになっていた。
リンネは頷き、緑色の石を取り出して机に置く。
光を受けて淡く輝くその石に、場の視線が集まった。
「街の魔素が乱れていた場所を調べていた時、これを見つけました。これは……何なのでしょうか?」
アストの問いに、マルコムは少し目を細めて思い返す。
「それは……私が病を患うことになった街、グラナテイルで買い付けたものです。特産品として売り出す交渉のために視察へ向かっておりました」
「そうでしたか……」
アストは一呼吸置き、静かに告げた。
「申し上げにくいのですが――これが血咳症の原因です」
広間がざわつく。
アストはすぐに手を軽く上げ、続けた。
「安心してください。毒性はすでに取り除いてあります」
マルコムは眉を寄せる。
「この石が……病の原因とは?」
アストは考えをまとめるように説明していく。
「この石は多孔質──目に見えない穴が無数に開いています。周囲の空気を取り込み、環境が変わると溜め込んだ空気を吐き出す性質があります」
一同は息を呑む。
「マルコム様はこの鉱石の商談でグラナテイルを訪れ、血咳症を患いました。そしてこの街では、運搬に関わった者たちから広がったようでした」
マルコムは拳を握り、沈痛な面持ちで呟く。
「つまり……病に侵された街の空気を、私が持ち込んでしまった……ということですか……」
アストは静かに首を振る。
「結果論です。あなたはその街の資源を買い取ることで、救いの手を差し伸べた。その行いに間違いはありません」
マルコムは深く息を吐き、感謝を述べた。
だがすぐに席を立ち上がる。
「石を処分し、グラナテイルにも知らせなければ――」
マルコムの動きを見て、アストは一瞬だけ考えを巡らせた。
「処分の必要はありません。この街の魔素の乱れも、鉱石も浄化済みです。むしろ、私に考えがありますので取っておいていただけると助かります。それより……グラナテイルの方が心配です。場所を教えていただけますか?」
マルコムが目配せすると、エルバートが地図を広げた。
「これがゼフィレイア王国全土の地図です。ここがヴェルディア、こちらがフロック村、そして――ここがグラナテイルです」
マルコムが指した場所は、かつてアストがサテライト・アイで観測した際、“空白地帯”として記録された区域だった。
「ここに……街が?」
激痛の記憶から広域観測を避けていたアストは、その存在を忘れていたことに気づく。
だが今、調査の必要性が明確になった。
「ありがとうございます。翌日には向かいたいと思います。街の長に取り次いでいただける方に同行してもらえると助かるのですが……」
マルコムが「自分が同行しよう」と言いかけた瞬間、胸を押さえて椅子に崩れ落ちた。
セリーヌが駆け寄り、エヴァも立ち上がる。
その様子を見て、エルバートがわざとらしく咳払いをした。
「マルコム様はまだ病み上がりの身。体力も戻っておられません。アスト殿の同行者は私が務めましょう。どうかご養生ください」
慇懃無礼とも取れる丁寧すぎる物腰に、マルコムは思わず声を荒げる。
「ずるいぞエルバート! 私とてアスト殿と旅がしたいのだ!」
叫んだ拍子に胸の痛みが走り、「いたた……」と呻く。
アストが気遣うように穏やかに告げた。
「エルバート様の言う通りです。血咳症は治りましたが、弱った体では別の病を招きかねません。今は安静にしてください」
マルコムは悔しそうにしながらも、力なく頷いた。
「……アスト殿がそう言うのであれば」
椅子に背を預け、額に手を当てて息をつくマルコム。
その姿に、場の空気がふっと和らいだ。
温かな光景が戻ってきたことを、誰もが静かに実感していた。
【2節.旅路の前に】
翌日。
アストはエルバートに抱えられたまま、荷車の積み込みを見守っていた。
荷車の上には、緑色の鉱石がぎっしりと積まれている。
「それにしてもアスト殿……この量はいったい何なのですかな?」
「グラナテイルから買い付けた鉱石を全て積ませていただいています」
「返品を?」
「いえ。事態の収拾に使える可能性があるので、譲っていただきました。治療のお礼代わりですね」
エルバートはよく分からないながらも感心したように頷き、アストは続けて道程を尋ねた。
「これだけの荷を引くとなると、時間が掛かってしまうでしょうか?」
「ご心配なく。あの都市とは以前から交易がありましてな。街道も整備されております。二日もあれば到着しますぞ」
「助かります。……今の私では周囲の警戒に関して力になれないかもしれません。道中よろしくお願いいたします」
「勿論です、護衛は我々にお任せを。アスト殿は旅をお楽しみください」
そんなやり取りをしていると、屋敷からマルコムたちが姿を見せた。
「アスト殿、グラナテイルの件……よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げるマルコムに合わせ、セリーヌ、エヴァ、メイドたちも一斉に頭を下げる。
その中を、リンネが勢いよく駆け寄ってきた。
「新しい街、楽しみですね! アスト様!!」
手を握り、目を輝かせるリンネ。
だがアストは、静かに首を振った。
「いえ。リンネはヴェルディアに残ってください。マルコム様や街の方々の看護をお願いします」
笑顔のまま固まるリンネ。
その様子に、アストは少しだけ不安を覚えた。
「この街の医療従事者にも対処方法を伝えてください。あなたの知識は、この街の医療技術を遥かに超えています。どうか助けになってあげてください」
リンネは唇を震わせたまま動かない。
アストはそっと声を和らげた。
「あなたしか頼れる人はいません……帰ってくる頃には、病の根絶は叶うと思います。そうしたら、一緒に街を見て回りましょう」
その言葉に、リンネは握った手をぎゅっと強め、「……分かりました」と小さく頷いた。
そこへエヴァが駆け寄り、「お姉さま……」と声をかけながらリンネの頭を撫でる。
リンネは驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべてエヴァの手に触れた。
「エヴァ様……いえ、エヴァちゃん。アスト様が戻るまで、私たちでこの街を守りましょうね」
エヴァはこくりと頷く。
「エヴァはすっかりリンネ殿に懐いてしまったようだ」
マルコムの言葉に、周囲から小さな笑いがこぼれた。
アストはその光景を静かに見守りながら、心の中で次なる目的地──グラナテイルを思い描いた。
かつて“サテライト・アイ”の観測波が返ってこなかった“空白地帯”。
そこに街があり、病の原因となる鉱石が流通していた。
「“空白地帯”の調査が、このような形で訪れるとは……マスター曰く『巡り合わせなんてものは所詮偶然。でもそこに“縁”があったと思う方が面白いじゃない』……でしたか」
アストは空を見上げ、静かに告げた。
「それではグラナテイルへ向かいます。その街に何があるのか、何が起きているのか──確かめなければなりません」
マルコムは深く頷く。
「聖獣殿の旅路が……またひとつの希望となりますように」
アストはその言葉を胸に、まだ見ぬ街の方角へ視線を向けた。
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