7章:魔素の医学④
【5節:血咳症】
数日の旅路を経て、アストたち一行はクロウフォード卿が治める街──ヴェルディアへ辿り着いた。
街門をくぐると、石畳の通りに馬車の車輪が静かに響く。
アストは窓越しに街を見渡した。
行き交う人々の中に、咳を押し殺す者が何人もいる。
魔素の流れは濁り、空気そのものが重く感じられた。
「血咳症による死者は出ているのですか?」
アストの問いに、エルバートが眉を寄せながら答える。
「鉱山都市では何名か……。ですが、ここヴェルディアではまだ死者は出ておりません。最も重い症状を示しているのが──マルコム様なのです」
アストは小さく頷いた。
「分かりました。領主様の診察を最優先としましょう」
馬車は速度を上げ、クロウフォード邸へと向かった。
――邸宅の一室。
窓際の椅子に座り、門の方をじっと見つめる少女がいた。
エヴァ・クロウフォード。
咳をこぼしながらも、祈るように両手を胸の前で握りしめている。
やがて、門の向こうに馬車の影が見えた瞬間――
エヴァは椅子を蹴るように立ち上がり、部屋を飛び出した。
階段を駆け下り、玄関の扉を勢いよく開ける。
「エルバート! カイル!」
駆け寄るエヴァに、二人は慌てて手を伸ばした。
「エヴァお嬢様! お体に障ります、出迎えなど……!」
しかしエヴァは咳き込みながらも、必死に言葉を絞り出す。
「お父様が……!」
その一言で、場の空気が一気に張り詰めた。
「ことは一刻を争うようですね……」
リンネがアストを抱えたまま、静かに馬車から降りてくる。
「こちらの方は……?」
エヴァの問いに、エルバートが姿勢を正して答えた。
「こちらが噂の聖獣──アスト殿。そしてそのお弟子のリンネ殿です。マルコム様の治療のため、お連れしました」
「聖獣様……」
エヴァは再び咳き込み、カイルに支えられながら屋敷の奥へと戻っていった。
その背を静かに見送ったアストは、エルバートへ向き直る。
「すぐに診察を行いましょう。案内をお願いします」
エルバートは深く頷いた。
――クロウフォード邸、寝室。
マルコムは浅い呼吸を繰り返し、胸が苦しげに上下していた。
アストはアナライザー・エコーを展開し、体内の状態を探る。
「……これは」
肺の奥で、魔素の結晶が枝のように広がっている。
リンネの推察通りだった。
「体内における魔素の結晶化……こんな形で進行するとは……」
アストの脳裏に、魔獣発生の別の可能性がよぎる。
だが、今は治療が先だ。
「原因は判明しました。リンネさんの言った通り、肺に魔素の結晶が形成されています」
「おぉ……では、マルコム様は……!」
エルバートの声が震える。
「はい。結晶を取り除けば、命に関わることはないでしょう」
アストは微笑み、治療に取りかかった。
力を細く鋭く制御し、肺の結晶へと触れる。
結晶を分解し、傷ついた組織には魔素を流し込んで治癒を促す。
やがてマルコムの呼吸は穏やかになり、顔色も戻り始めた。
「もう大丈夫です。脈も安定しています」
エルバートはその場に膝をつき、涙をこぼした。
「……神よ……」
その時、扉の外からリンネの声が響く。
「アスト様、エヴァ様の治療ですが、私の方で行っておきました」
「……は?」
アストが固まる間に、扉が開き、エヴァが駆け込んでくる。
「お父様は!?」
その声に反応し、マルコムがゆっくりと目を開けた。
「エヴァ……か……私は……」
エヴァは父の元へ駆け寄り、泣き崩れた。
その姿に、エルバートやカイル、控えていたメイドたちも涙を浮かべる。
アストがリンネの元へ歩み寄ると――
すぐに抱き上げられてしまった。
「この光景だけで、領主一家がどれほど慕われていたかが分かりますね」
「ええ、そうですね……」
リンネは同意しつつも、どこか遠くを見るような瞳でその光景を見ていた。
「ところで、エヴァ様の治療はリンネさんがしたということですが……?」
促されると、リンネは誇らしげに胸を張る。
「軽症でしたので、結晶は癒着しておらず肺胞に詰まっていただけでした! アスト様を真似て魔素の流れを整えたら、代謝で自然に分解されていって――」
説明は続くが、アストの意識は別のところに向いていた。
「……他者への魔素干渉。人にそんなことが……」
フロック村では誰も見せなかった力。
リンネが特別なのか、それとも──。
思考を遮るように、マルコムが声を上げた。
「聖獣殿……娘を、私を救ってくれたこと……感謝する」
「私にできることをしただけです」
マルコムは弱々しく首を振る。
「それでも、我々にとっては命を救われたのです。この御恩は必ず返します」
アストは静かに頭を下げた。
「すぐにでも宴の準備を……と言いたいところだが、領民たちが心配だ……」
マルコムが体を起こそうとすると、エヴァとエルバートが慌てて押しとどめる。
「まだ寝ていてください、お父様!」
「マルコム様、今はご自身の回復が先です」
アストも前に出て告げた。
「大丈夫です。街の方々はまだ初期から中期の症状が多いようでした。原因も治療法も分かりましたので、解決は時間の問題です」
アストはリンネへ視線を向ける。
「街の治療を始めます。手伝ってくれますね?」
リンネは満面の笑みで答えた。
「勿論です! “女性の患者”でしたら、私にお任せください!!」
アストは呆れるように耳をぺたりと下げ、エルバートとカイルは苦笑を浮かべる。
マルコムやエヴァは事情が飲み込めず、ただ首を傾げていた。
――こうして、ヴェルディアに広がる血咳症への対処が始まった。
聖獣と、その“女神”のような弟子。
二人の姿は、ただの癒し手ではなく――
街に差し込む、人々の希望そのものだった。
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