7章:魔素の医学②
【3節.招致】
村長宅の前――。
ヴァルティスは陽だまりの中で丸くなり、ふわふわの毛並みをゆっくり上下させていた。
そのすぐそばで立ち番をしていた若い騎士が、甲冑越しにも分かるほど震えている。
「おい、大丈夫か?」
隣の騎士が小声で覗き込む。
「だ、大丈夫だ……俺は……まだ耐えられる……」
息は荒く、兜の奥の表情は見えない。
その必死さに、声をかけた騎士は引き気味に眉を寄せた。
「……無理そうなら言えよ」
そう言って前を向き直るが、横目で何度も様子を伺っていた。
──村長宅の中。
アストはトーマの隣に座り、特使との交渉を静かに見守っていた。
当初、トーマはアストに任せようとしたが、「この村の村長はあなたです」と返され、覚悟を決めたのだ。
「この村は確かに豊かになりましたが、それは実りによるものです。商人との取引も物々交換が主で、金銭での貢納は難しい状況にあります」
毅然とした声に、特使エルバートはアストへ視線を向ける。
「聖獣様は、どうお考えになりますかな?」
アストはトーマの頷きを確認し、口を開いた。
「村長の仰る通りです。食料はありますが、金の蓄えはありません。この書状にある通りの貢納は不可能でしょう」
その瞬間、これまで口を閉じていた特使補佐が小さく吐き捨てた。
「……獣風情が」
アストは表情を変えなかったが、トーマの目が鋭くなり、キッチンで茶を淹れていたエリシアの手が止まる。
空気が一瞬で張り詰める。
「カイル・ヴェルナー」
エルバートが低く名を呼ぶ。
補佐は肩を震わせた。
「聖獣様への無礼、深くお詫び申し上げます」
二人が頭を下げると、アストは静かに目を細めた。
「いえ。むしろ新鮮な反応でした。参考にさせていただきます」
そう言って、尾の根元に付けていた金のリングを外し、魔法で机の上へと滑らせる。
「これは……?」
エルバートが目を見開く。
「この村で最も大きな金の塊です。要求額には届きませんが、領主様への贈り物に」
アストが手をかざすと、金は柔らかく形を変え、ヴァルティスを模した小さな細工品へと変わった。
「……まさに神の御業」
エルバートは深く頭を下げ、カイルも慌てて姿勢を正す。
「聖獣様、先ほどの非礼……本当に申し訳ありません!」
アストは二人に頭を上げるよう促し、トーマへ視線を向けた。
「ということです。二人とも、落ち着いてください」
その言葉に、トーマの表情が和らぎ、エリシアもそっと作業に戻る。
アストは小さく息を吐いた。
「……この場にリンネさんが居なくて良かったですね」
アストの言葉が途切れたところで、エルバートが真剣な表情で身を乗り出す。
「聖獣様の知識と御力で……病を治すことは可能でしょうか?」
「症状を診なければ分かりませんが、出来る限りの協力は約束します」
エルバートは手を組み、俯いた。
「今回の貢納金引き上げには、事情があります。アスト殿……不躾なお願いとは存じますが、クロウフォード家へお越しいただけませんか?」
「それが解決できれば、今回の引き上げについて再考していただける……ということですか?」
エルバートは深く頷いた。
「分かりました。解決の保証はできませんが、伺わせていただきます。いつ頃がよろしいでしょうか?」
テーブルに額がつきそうな勢いで、エルバートは頭を下げた。
「できれば……今日にでも出立をお願いしたい!」
アストとトーマは思わず目を見合わせた。
だがトーマはすぐに頭を下げる。
「アスト殿。領主様は民を思う良き方です。このような要求は、よほどの事態が起きている証。私からもお願いいたします……どうかお力をお貸しください」
アストは頷き、エルバートへ向き直る。
「分かりました。医療の知識がある者を一人連れて行きたいと思います。すぐに向かいますので、村の入り口でお待ちください」
エルバートは深く礼を述べた。
──玄関前。
アストが連れの者を呼びに向かい、特使たちが出発の準備を整える中、
先ほど震えていた騎士が、まるで石像のように動かなくなっていた。
「おい、本当に大丈夫か?」
仲間が声を掛けた瞬間、騎士はビクリと震え、そのままヴァルティスへ一直線に走り出した。
「おい!待て!」
止める間もなく、騎士はヴァルティスの腹に抱きつき、兜のまま顔を埋めて深く息を吸い込む。
ヴァルティスはムニャムニャと寝言を漏らすだけで、微動だにしない。
大きな獣に抱きつく甲冑騎士──あまりに異様な光景に、特使たちも言葉を失った。
しばらくして騎士は何事もなかったかのように離れ、静かに隊列へ戻る。
「……申し訳ありません」
素直な謝罪に、誰も追及することはなかった。
整然とした隊列が村を進む中、最後尾の二人がひそひそと声を交わす。
「お前、急にどうしたんだよ……」
「……俺、動物が好きなんだ」
その一言に、騎士は呆れたように笑った。
「苦手だから震えていたわけじゃなかったんだな」
「違う。あんなに大きくて、ふわふわしてて……ずっと触りたかったんだ」
満足げに胸元を撫でる仕草を見て、肩をすくめる。
「……甲冑の上からだけどな」
前を歩くエルバートたちに気づかれないよう、そっと仲間の肩を小突いた。
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