7章:魔素の医学①
【1節.神話の羊】
アストが提案した村の改善計画は、少しずつ形になり始めていた。
森の間伐や、大型魔獣の死骸処理、魔素の流れを整える作業――
村人たちと協力して進めたそれらの取り組みは、確かな成果を見せていた。
それから数か月――。
村の土地は活力を取り戻し、作物は実りの時期を迎えていた。
今年は村始まって以来の大豊作となりそうだった。
「これでは、倉庫が足りなくなるかもしれませんね」
収穫を運ぶ荷車の列を見ながら、イリスが静かに呟く。
その時――。
「メェ~~」
どこか間の抜けた声が、のどかに響いた。
イリスが振り返ると、そこには一際大きな荷車を引く生き物がいた。
モコモコとした体毛に、くるりと巻いた角。柔和な瞳がこちらを見つめている。
アストはその生物を観察し、静かに目を細めた。
「“羊”に近い生物の再生に成功しましたが……体格は少し違いますね」
かつてパルカ・アストリアに生息していたその生物は、牛と見紛うほどの大きさを誇っていた。
「まるで、“アマルティア”みたいですね……」
それは神話に語られる牝の山羊の名。
厳密には羊ではないが、そう呼んでも差し支えないほどの存在感を持っていた。
「それがこの子たちの名前なの?」
生まれたての小さな個体に餌を与えながら、イリスが尋ねる。
「いえ、そういうわけではありません。ただ、彼らにも種族名が必要ですね」
アストはスターリコールで読み取った記憶を思い返す。
かつてこの種は飼育されることなく、狩猟対象だった。
体が大きいゆえに出産数が少なく、それが滅びの一因となった。
絶滅したかつての名をそのまま与えるべきか――アストは少し迷う。
その横で、リリーが元気よく手を挙げた。
「アマルちゃん!」
イリスも笑顔で頷く。
「そうね、アマルティア。綺麗でかわいい名前じゃない」
二人の様子に、アストは肩の力が抜けるのを感じた。
「……そうですね。では彼らの種は、アマルティアと呼ぶことにしましょう」
村人たちは、アマルティアの首元を撫でたり、毛並みを整えたりしながら、まるで古くからの友人のように接していた。
聖獣様が生み出した存在ということもあり、誰一人として食用にしようなどとは考えもしない。
荷車を引くアマルティアは、のんびりとした足取りながらも力強く、
その温和な性格と大きな体は、村の働き手として申し分なかった。
刈り取られた毛は魔素をたっぷり含んでおり、
紡いだ糸を新たな産業に育てようと、村では計画が立てられ始めている。
「彼らはこの世界に生まれたばかり、まだまだ経過を見守る必要があります。二人とも、何かあればすぐに知らせてくれるようお願いしますね」
そう言って二人の方へ視線を向けると――
子アマルティアを抱いたまま、大人アマルティアの柔らかな毛に沈み込むように眠っていた。
「……彼らがもっと過ごしやすい世界になるように、頑張らなくてはいけませんね」
その穏やかな光景を見守りながら、アストはただ、このささやかな日常を守りたいと願った。
【2節.村の客人】
アマルティアたちが村に馴染んでから、村はさらに豊かさを増していった。
アストがパルカ・アストリアに転生してから、気づけば一年が近い。
静かな時間の中で、村の景色は少しずつ、しかし確かに変わっていた。
その日、アストは第二世代となった“アマルティア”の様子を見ていた。
クレイドル生まれの個体が、自然な繁殖で子を成したのだ。
「これからが大切です。最初の個体とは違いますからね……」
アストはプライマル・ナレッジのデータを確認する。
蓄積は膨大で、似た情報が重なり始めていた。
「これは一度まとめ直した方がよさそうですね……」
アマルティアの背に腰掛けたまま、データの整理を続けていると、
村の入り口の方からざわめきが聞こえた。
「また何か起きたのでしょうか……」
最近は魔獣の影も薄く、野生動物による被害もほとんど見られなくなっていた。
森の奥からは、リュンカーの低い呻き声が時折響き、その存在が村の安全を保障しているかのようだった。
近くで昼寝をしていたヴァルティスを呼び、アマルティアから彼の背へと軽やかに移る。
広場へ向かうと、いつかのように人だかりができていた。
ただし中心にいるのは子どもではなく、上品な衣服を纏った二名の人物。
背後には騎士らしき者たちが控えている。
中年の男性が一歩前に出て、落ち着いた声で名乗った。
「我らはウィンター・ホルン筆頭領主、クロウフォード家より遣わされた特使。私はその代表、エルバート・グレイと申します。この村の代表者にお目通り願いたく、参上いたしました」
その声音には礼節と同時に、領主家の威厳が滲んでいた。
村長トーマは慌てて前に出て、深く頭を下げる。
特使一行が村長宅へ案内されていくのを、アストとヴァルティスは少し離れた場所から静かに見守った。
――トーマ宅前。
護衛の騎士たちは家の前に立ち、
特使の二人は応接間へ通されていた。
テーブルには、エリシアが淹れた茶が湯気を立てている。
改めて自己紹介が交わされ、要件が告げられた。
「まもなく貢納の時期が参ります。つきましては今年度の貢納金引き上げ、さらに納付時期を早めるよう領主より命が下りました」
トーマは静かに頷いたが、その手はわずかに強く握られていた。
特使は続けて書状を差し出す。
「最近では村が豊かになっていると伺っています。この程度なら問題ないでしょう」
紙に記された額は法外ではない。
だが、ようやく軌道に乗り始めた村にとっては重い数字だった。
流通も整っておらず、現金での貢納は厳しい。
トーマが口を開こうとしたその時――。
「何だこの大きな獣は!」
家の前で騎士たちの声が上がった。
扉が開き、リリーが元気よく駆け込んでくる。
「ただいまー!」
「こらリリー、お客様が来ているんだ。礼儀正しくしなさい」
トーマが小言を漏らすが、リリーはそのまま自分の部屋に入っていく。
開け放たれた扉の向こうには、ヴァルティスが首を傾げて立っていた。
特使は驚きに腰を浮かせたが、すぐに表情を引き締めた。
ここが“聖獣の村”と呼ばれている噂を思い出したのだろう。
騎士たちを下がらせると、ヴァルティスの前に膝をついた。
「お噂はかねがね伺っておりました。突然の訪問、無礼をお許しください。我らはクロウフォード家より遣わされた者、聖獣様にご挨拶を──」
ヴァルティスは首を傾げる。
「僕は母上じゃないよ?」
特使は目を瞬かせた。
そして、ヴァルティスの頭の上からアストが顔を覗かせる。
「初めまして。アスト・ロカスと申します。一応、この村の“聖獣”ということになっております」
その言葉に、特使はさらに呆然とした表情を浮かべた。
ヴァルティスは、何がいけなかったのか分からないまま、首を傾げ続けていた。
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